上江川橋
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/16 08:24 UTC 版)
明治初期までこの地の中心は現在の中心部より南側の郷田、現在の江津本町にあり、古くは江の川の河川舟運の港、近世は西廻海運の港として栄えた。近代に入り1885年(明治18年)国道28号が指定され(のち国道18号、現国道9号)、江津本町に国道が通ることになった。ただ洪水時に暴れ川となる江の川に橋をかけるのは当時の技術的に困難であった。そのため国道間は2艘の渡し船で繋いでいたものの、不便であったため、架橋計画自体は1893年(明治26年)には作成されている。 1904年(明治37年)当時の国道筋、現在の新江川橋より上流側、江津本町から渡津に初めて橋が架かる。これが初代の江川橋、架橋当時は郷川橋、のちに上江川橋と言われる橋で、その時点では舟橋であった。ただ翌1905年(明治38年)洪水で流され、その後も架橋と流出を繰り返している。 架橋前 : 1890年 - 1904年 2艘の渡船 初代 : 1904年 - 1905年 舟橋。1905年洪水により落橋。 2代 : 1905年 - 1917年 板橋。橋長約176間(約316.8m , 2018年時点の上江川橋の碑より)。 3代 : 1917年 - 1943年 鉄柱式の板橋。1920年洪水により一部流出、1921年復旧、1943年洪水により半分流出。 4代 : 1944年 - 1951年 木橋。3代目から下流約50mの位置に架橋、1951年(昭和26年)7月豪雨により流出。 5代 : 1958年 - 1993年 鉄筋コンクリート橋。下流側に現在の江川橋が架橋されたため、上江川橋と言われるようになる。新江川橋架橋に伴い撤去。 現在、江津本町側に碑が建立されている。
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