架橋前
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/13 13:38 UTC 版)
かつて奈良時代に、「河内大橋」とよばれた朱塗りの橋が大和川・石川合流地点付近にあり、『万葉集』にも謳われている。 この橋はどの位置にあったかは定かでなく、複数の説がある。 しかし、増水のたびに破損・流出し、以来、この付近には架橋されなくなったと考えられる。 近くには河内国府があり、竜田道(渋川道)と 長尾街道(大津道)の合流点にもなっていた。さらに東高野街道が整備され、交通の要所となるも、川越えの橋はなく、柏原村と船橋村の間を渡し船で越えていた。
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