架橋まで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/13 09:46 UTC 版)
秩父鉄道の開通や親鼻架橋によって秩父郡北部の中心地となった皆野町は、それに伴い周辺町村との交通量の増加への対応から、当地に縣道皆野停車場小柱線の橋として架けられる事となった。工事は1934年(昭和9年)1月22日に着手した。橋の設計者は増田淳、施工は斎藤組である。架橋場所は周囲が岩盤で地質が良好であったことと、秩父の景観に配慮したことから橋の形式は拱橋(アーチ橋)が採用され、架橋場所の周辺には砂利や砂が豊富で骨材の入手が容易だったことから、橋の素材は鉄筋コンクリートが採用された。高欄は鉄筋コンクリートの膠泥(モルタル)仕上げである。橋台および橋脚の上部に中柱を立てて背の高い橋灯が8ヶ所設置されていた。洪水面からの余裕高は橋台の起拱線(アーチの立ち上がりの部分)を大田側は1.652メートル、皆野側は2.347メートルとした。また、橋の工事に合わせて長さ523.88メートル(皆野側330メートル、大田側193.88メートル)、幅員5.50メートルの取り付け道路工事が行われた。 橋は1935年(昭和10年)4月11日に竣工し、同4月17日に開通式が挙行された。総工費は56,029円(内、橋梁工事費42,555円、取り付け道路工事費13,474円)で、工事に関わった作業員人数は12,655人であった。
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架橋まで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/01 14:59 UTC 版)
更なる交通量の増加により橋長127.7 m、幅員7 mの現在の橋に架け替えられた。架橋は1961年(昭和36年)10月に着手、1965年(昭和40年)10月に完成した。2径間の曲弦ワーレントラス橋である。
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架橋まで
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東京府南葛飾郡奥戸村は東京都心方面である西方の村境が中川になっていた。そしてこの中川を渡る手段は5箇所の渡船(曲金の渡し、諏訪野の渡し、奥戸新田の渡し、奥戸の渡し、上平井の渡し)しかなく 不便だったため、1912年 (大正元年) 10月、奥戸村大字奥戸新田の石井源治ほか19人によって私設による橋梁架設の出願が行われ、翌1913年 (大正2年) 6月、竣工日より15年間は所定の賃料を徴収する賃取橋として認可された。架設は当時の奥戸村長 関根保太郎を理事長とする「奥戸村中川架橋協会」によって7月より開始され、翌1914年 (大正3年) 3月竣工、4月1日に開通した。橋は木造で長さ77間、幅2間半(長さ140 m、幅4.5 m)であり、経費15,500円のうち、2,800円は影響を受ける渡船への損害賠償に充てられたという。
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架橋まで
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架橋開始時。国土地理院 空中写真閲覧サービス CKT794-C7B-2を元に加工。 竣工直前。国土地理院 空中写真閲覧サービス CKT843-C7B-24 を元に加工。 青砥橋は環状7号線の中で最後に開通した区間(青戸八丁目ー奥戸陸橋)の一部であり、工事は1979年(昭和54年)10月に着手、1985年(昭和60年)1月に橋梁が完成した。橋長640.8 m、幅員23.0 m、主径間115 m の鋼連続箱桁橋(一部鋼鈑桁、およびPC桁)である。
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架橋まで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/07 06:16 UTC 版)
関東大震災の後の帝都復興事業に対応する形で新たに決定した1927年 (昭和2年) 8月の東京府の都市計画の中に「補助線道路82号」(現在の東京都道308号千住小松川葛西沖線のうち本田広小路ー八蔵橋間)があり、平和橋はこの新小岩駅(1928年開業)と本田町(1928年町制施行)を直線で結ぶ新道路の一部に当たっている。道路部分は中川の両岸で開通していたものの、橋は終戦まで架けられていなかった。 初代の橋は終戦間もない1947年 (昭和22年) 6月開通、橋長144.2 m、幅員6 mの仮設木製であった。竣工式は6月27日に行われたという。
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