初代の橋
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架橋以前は対岸を結ぶのは渡船にのみで不便を蒙っていたため、1951年(昭和26年)にこの場所に初めての橋として橋長130 m、幅員2.3 mの木製の吊橋が架けられた。しかしながら、この橋は1953年(昭和28年)9月の台風による増水および1954年(昭和29年)に流出し、2代目の橋梁の架橋まで一時的に復活した渡船での行き来を余儀なくされた。
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初代の橋
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/16 07:50 UTC 版)
国道57号から分岐し南郷谷(南阿蘇村・高森町)へ至る、国道325号バイパスの一部として1967年(昭和42年)4月に着工、1970年(昭和45年)12月に完成した(バイパスの全通は1971年(昭和46年))。橋長は205.96メートル、幅員は8メートル、黒川の谷底からは76メートルの高さにあった。総工費は3億1,300万円。1986年(昭和61年)時点では1日平均で約6,000台が利用していた。橋の塗装は当初はオレンジ色で、1994年(平成6年)に景観調和と自殺防止対策(後述)として灰色に塗り替えられたが、以後も地元では「赤橋」の通称で呼ばれていた。橋の両側に幅の狭い歩道とフェンスが設置され、車道は追い越しと駐停車の禁止区間に指定されていた。 1971年の開通後、阿蘇大橋からの投身自殺が相次いだ(1981年から2011年12月までに59件発生していた)ことから、熊本県は1990年(平成2年)に橋の両端から水平に張り出すかたちで約1.5メートルの柵を、2002年(平成14年)には高さ約2メートルの忍び返し付きのフェンスをそれぞれ設置し、1994年(平成6年)には橋の塗装を灰色に塗り替えた。自殺防止対策の結果、2002年(平成14年)以降の投身自殺は4件にとどまっていた(2011年12月時点)。地元の消防(阿蘇広域行政事務組合消防本部南部分署)には投身自殺者の捜索・救助のための救助工作車が配備されている。また、橋のたもとには地元住民により「まてまて地蔵」が設置されている。 2009年度(平成21年度)からは渋滞対策として阿蘇大橋を拡幅し、国道57号への右折車線を15メートルから59メートルに延長する改良工事(総工費:1億5,000万円)が実施され、2015年(平成27年)4月3日正午より供用されていた。
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