初代の橋とは? わかりやすく解説

初代の橋

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/30 19:28 UTC 版)

逢来橋 (富士川)」の記事における「初代の橋」の解説

架橋以前対岸を結ぶのは渡船にのみで不便を蒙っていたため、1951年昭和26年)にこの場所に初めてのとして130 m、幅員2.3 mの木製吊橋けられた。しかしながら、この1953年昭和28年9月台風による増水および1954年昭和29年)に流出し2代目の橋架橋まで一時的に復活した渡船での行き来余儀なくされた。

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初代の橋

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/16 07:50 UTC 版)

阿蘇大橋」の記事における「初代の橋」の解説

国道57号から分岐し南郷谷(南阿蘇村高森町)へ至る、国道325号バイパス一部として1967年昭和42年4月着工1970年昭和45年12月完成したバイパス全通1971年昭和46年))。長は205.96メートル幅員は8メートル黒川谷底からは76メートルの高さにあった総工費は3億1,300万円1986年昭和61年時点では1日平均で約6,000台が利用していた。塗装当初オレンジ色で、1994年平成6年)に景観調和自殺防止対策後述)として灰色塗り替えられたが、以後地元では「赤橋」の通称呼ばれていた。両側に幅の狭い歩道フェンス設置され車道追い越し駐停車の禁止区間指定されていた。 1971年開通後、阿蘇大橋からの投身自殺相次いだ1981年から2011年12月までに59発生していた)ことから、熊本県1990年平成2年)に両端から水平に張り出すかたちで約1.5メートルの柵を、2002年平成14年)には高さ約2メートル忍び返し付きフェンスそれぞれ設置し1994年平成6年)には塗装灰色塗り替えた自殺防止対策結果2002年平成14年以降投身自殺は4件にとどまっていた(2011年12月時点)。地元消防阿蘇広域行政事務組合消防本部南部分署)には投身自殺者の捜索・救助のための救助工作車配備されている。また、橋のたもとには地元住民により「まてまて地蔵」が設置されている。 2009年度平成21年度)からは渋滞対策として阿蘇大橋拡幅し、国道57号への右折車線15メートルから59メートル延長する改良工事総工費1億5,000万円)が実施され2015年平成27年4月3日正午より供用されていた。

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