諸問題の発生
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/09/25 10:22 UTC 版)
「ホークスベリ川鉄道橋」の記事における「諸問題の発生」の解説
橋の両端で線路は単線であったが将来の複線化を視野に入れて、橋自体は複線幅で建設されていた。このことが橋上で列車交換(対向列車の通過待ち)を行うという好ましくない運用を招いた。これは2列車分の荷重によって、構造物に定期的に最大応力が負荷されることを意味した。 第1橋は1927年に補強が必要となるまで立派に務めを果たした。1938年、橋脚の1つに深刻な亀裂が見つかり構造物全体を取替えることが必要になった。最南端の橋脚は、そこの河床に堆積物が多く、初代の橋を建設当時は基盤岩にまで基礎を到達させるのが不可能だった。このことが初代の橋が破損した原因になったのだろうと推定された。しかし、橋が破損しているからといって、当時の陸上輸送において重要なルートとなっていた初代の橋は、その使用を中止するわけにゆかなかった。しかも1939年に始まった第二次世界大戦中には、この橋における列車の交通量は1日当たり100本に及ぶに至った。やむを得ず、初代の橋にかかる負荷を軽減する方策が取られていった。具体的には、第2橋完成までは旧橋を走行する列車に速度制限を課すものとされた。制限速度は当初、時速23キロメートルだったが最終的には時速6キロメートルまで落とされ、しかも橋への負荷の強い、橋の上での列車交換を確実に阻むため軌道が1つ取り外され、複線部分が除去された。
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