初代の同棲の噂――川端の未練
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「伊藤初代」の記事における「初代の同棲の噂――川端の未練」の解説
父親のいる岩手の故郷に帰ったとされた初代であったが、石濱金作がカフェ・パリの女給・琴子らから得た情報では、初代は京橋区のカフェ・北日本に2、3日いた後に品川区に家を持って住んでいるということであった。どうやら初代には男(恋人)ができて、まだ東京に住んでいるということが、1923年(大正12年)5月に川端に知らされた。かすかな希望も絶たれて絶望感を味わった川端は、そのことでようやく初代との恋愛事件をその後、具体的・統一的に書き始められるようになった。 川端がその情報を知った頃、初代はすでにカフェ・アメリカの支配人の中林忠蔵(初代より13歳上)と結ばれ、東京市下谷区池之端で暮していた。初代は、妊娠中で、11月に長女・珠江を出産した。その時はまだ初代と中林は正式に結婚届はしておらず、戸籍上では、翌年1924年(大正13年)3月8日に結婚し、珠江は東京府滝野川町(現・北区滝野川)で3月30日生として出生届がなされた。 初代との事件のことを書き始めた川端は、1923年(大正12年)7月10日に最初の一編となる「南方の火」を第6次『新思潮』8月号に発表した。「南方の火」という題名は、初代が丙午生まれということから付けられた。9月1日、関東大震災が起こった。本郷区駒込千駄木町38(現・文京区千駄木1-22)の下宿で震災に遭った川端は、とっさに品川にいるはずの初代のことを思い、幾万の避難民の中に初代の姿を捜し、水とビスケットを携帯して何日も歩いた。
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