初代の上京――暴力団の一夜とは? わかりやすく解説

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初代の上京――暴力団の一夜

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/10 09:36 UTC 版)

伊藤初代」の記事における「初代の上京――暴力団の一夜」の解説

1922年大正11年3月川端石濱金作らと久しぶり本郷元町のカフェ・エランに行ってみると、以前いた女給1人新たな経営者夫婦となっていて、彼女か初代東京来ていることを知らされた。早速、初代働いているという本郷3丁目のカフェ・パリに行って覗くと、初代の姿が見え石濱らはすぐに店に入ろうとするが、川端はそれを押しとどめ、明日自分1人会いたいと言った翌日学年試験の後1人で店に入り初代もう一度考え直してほしいと川端は頼むが、初代は、もう自分はいない者と思って忘れていただきたいと冷たい態度川端帰したその後日、川端石濱一緒にカフェ・パリに行くが初代は店に出ておらず、朋輩女給から初代権藤(あるいは権堂)という20歳学生福岡県出身百万長者息子)の下宿行っていると告げられた。そのの夜、石濱促され権藤下宿屋の前まで行ってみた後、川端石濱下宿泊まり降り出した朝まで語り明かした翌日の夜もカフェ・パリに行くと、初代ついさっき来て夜行列車権藤故郷九州に行くと朋輩女給告げていた。川端石濱そのまま店の二階にいると、階下に、一高帝大先輩川島仮名)がやって来た。「パルチザン」という渾名川島法学士弁護士の資格持ち柔道四段で、この界隈不良仲間首領格として、私大柔道選手らを引き連れていた。 前から初代に目をつけていた川島は、店の帳場で畳に短刀突き立てながら、店の主人初代居所聞き出すと、それならお前が2人初代権藤)をまとめてやれと引き下がり川端石濱飲み誘い無銭飲食2、3軒つき合わせた無頼川島連中は、関係のない客に理由なくつっかかり喧嘩をした後、川端別れる時に初代のことはさっぱり諦めろ忠言した。 カフェ・パリには何人もの客が初代目当て通い結婚口約束をした翌日に、初代の名前を左腕刺青して来た男もいた。その頃カフェを知る今東光によると、初代惚れ込んだヤクザ常連客が、自分女に横恋慕する奴だと川端名指しし、撲るとか斬ると言っていたのを知ったため、今東光相棒宮坂普九と一緒に、「其奴殴り倒し二度と川端に対して手を出せないよう仕様と、実は短刀まで用意した」と述懐している。川端は、荒れたカフェ自身内面交錯させるように小説綴った。 彼女が東京来てカフェに出ると、そこはカフェ荒し廻つてゐた暴力団刃傷沙汰中心になつてしまつた。僕はそのカフェに通つて、斬られて血を流したり、投げられて骨を挫いたり、首を締められ気絶したりする者達を、平然と眺めてゐた。 — 川端康成処女作祟り

※この「初代の上京――暴力団の一夜」の解説は、「伊藤初代」の解説の一部です。
「初代の上京――暴力団の一夜」を含む「伊藤初代」の記事については、「伊藤初代」の概要を参照ください。

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