1940年の橋とは? わかりやすく解説

1940年の橋

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/10 01:30 UTC 版)

太郎右衛門橋」の記事における「1940年の橋」の解説

1940年昭和15年)に冠水橋架設陳情書が県に提出され木造板橋冠水橋かんすいきょう)がけられた。長64.3メートル幅員3メートル上流側丸太斜めに傾けた木組み流木避け設置されていた。道幅狭く交互通行であり、重量制限設けられていた。河川区域内の高水敷けられた冠水橋なため、洪水のたびに通行止めになり、1965年昭和40年9月17日台風24号による洪水流失した。県は25414000円の工事費掛けて1966年昭和41年3月25日開通予定復旧工事進められた。通行止めになりその間仮設けられた。

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1940年の橋

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/09 00:13 UTC 版)

高砂橋 (荒川)」の記事における「1940年の橋」の解説

白鳥村流失した復旧換え行い1940年昭和15年3月竣工した二代目初代の橋とほぼ同様の規模及び構造木製面を持つ吊り橋である。長101.1メートル幅員2.68メートル水面からの高さ21メートル面は先代と同じ木製で、メインケーブルとハンガーケーブルは鉄索製で、主塔は鋼トラス構造有している。また、欄干鉄製両側耐風索および耐風支索と呼ばれるの横変位捩れ抑制するための鋼ケーブル設けられている。橋台水害影響考慮すべく、以前よりも高く作り直された。主塔岩の上に高い橋脚立ててそこに設置された。主塔設置場所段丘面とほぼ同じ高さであるため取り付け道路勾配段差がなく、単径間となっており側径間有していない。人や自転車の他、自動車通行が可能であった竣工当時野上町白鳥村架かる白鳥村所有であった1943年昭和18年9月8日合併により両岸とも野上町になり、町所有のとなった。この補修繰り返しながら30年近く利用され続けたが、通行量増加木造ということもあって老朽化進行早く重量制限1トン通行制限実施していたが、それでも自動車通行危険な状態になったため新橋完成待たず1967年昭和42年)に廃止され取り壊された。上流側西詰に旧橋取り付け道路跡地利用したポケットパーク設けられ、そこから初代の橋遺構を望むことができる。

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