1940年のアイルランド分断終結提案
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/28 10:13 UTC 版)
「第二次世界大戦期アイルランドの局外中立」の記事における「1940年のアイルランド分断終結提案」の解説
ナチス・ドイツのフランス侵攻の最中である1940年6月17日から終結後の6月26日にかけて行われた一連の会議で、イギリスの特使であるマルコム・マクドナルド(英語版)はアイルランドが中立を放棄し、独伊との戦争に参戦する事を条件に「アイルランド統一の原則」を受け入れてアイルランドの分断(英語版)を終結させる提案を行った。 しかし、統一の実現には「エール政府と北アイルランド政府(英語版)の代表者」の合意が必要であり、双方の代表者は相互に激しい不信の念を抱いていた。その結果、7月4日にデ・ヴァレラは「我々が中立政策をただちに放棄する」事で「最終的にアイルランドが統一されるという保障はない」として提案を拒否した。デ・ヴァレラはアイルランドの分断に反対しており、彼の起草による1937年の憲法には「アイルランド島全体」をアイルランド国家の領土と規定する民族統一主義に基づく条項が存在した。戦後もデ・ヴァレラは分断の解消を求め続けたが、1970年に伝記が出版されるまで、マクドナルドの提案とそれをデ・ヴァレラが拒否した事実が公表される事はなかった。
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