中立政策
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/11 21:43 UTC 版)
第二次大戦後、ユホ・クスティ・パーシキヴィ政権が現実主義に基づく中立政策として対ソ宥和政策をとり、ウルホ・ケッコネン政権もその路線を引き継いだ(パーシキヴィ・ケッコネン路線)。 冷戦下は政治・メディアを中心に監視下におかれ、反ソ・反露言動が事実上禁止されたため、フィンランドに重い影響をもたらした。フィンランドの小説家ソフィ・オクサネンは「ソ連はフィンランドを、ロシアに対する不適切な表現を従順に避ける国になるよう訓練した。そのやり方はいまや私たちの潜在意識に組み込まれている」と語っている。 2022年にフィンランド国際問題研究所のアルカディ・モシェス研究員は産経新聞の取材に、フィンランド化について、「フィンランドはソ連に戦争で大敗し、ほかに道がなかった。あれは小国としての苦渋の選択です」と苦々しそうに答えている。
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