中立政策とベトナム戦争への関与
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/06/12 03:24 UTC 版)
「サンクム」の記事における「中立政策とベトナム戦争への関与」の解説
またベトナム戦争においてシハヌークとサンクムの政権は中立政策を採ることで左右に偏らない宗教上の社会秩序と平和のオアシスとして「東南アジアのキャメロット」のイメージを喧伝したが、戦争の激化によって1965年2月にアメリカが北ベトナムへの爆撃(北爆)を開始するとカンボジアは対米断交に踏み切り、さらにホーチミン・ルートの一部としてシアヌーク・トレイル(英語版)の設置を黙認して北ベトナム寄りの姿勢もみせた。 この頃からカンボジアの余剰米の少なくとも4分の1が北ベトナムと南ベトナム解放民族戦線(ベトコン)に売り渡されていたという(上記のサムロートでの衝突の背景にも、この政策があった)。これに対しアメリカ軍と南ベトナム空軍はしばしばカンボジア領内へも限定的ながら爆撃を加え、またシハヌークとサンクムを「容共」の存在とみなし、その排除をめざすようになった。
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