ベルギーとルクセンブルク
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/06 14:03 UTC 版)
列強が独立を承認したベルギーとルクセンブルクはロンドン条約により、永世中立が定められた。しかし両国とも、第一次世界大戦でドイツ帝国の侵攻を受けた。ベルギーは国土の大半を占領されながらも抵抗し、非武装であったルクセンブルクは、全土が占領された。その後、1920年に発効したヴェルサイユ条約で、永世中立義務は解除された。 ベルギーはその後、連合国の一員としてロカルノ条約等に参加したが、ロカルノ体制崩壊後は中立に回帰した。ルクセンブルクは国際連盟によってロンドン条約は有効であるため永世中立国であると再認定され、非武装中立政策を継続していたが、両国とも1940年にナチス・ドイツの侵攻を受け、国土は占領された。 ベルギーは、第二次世界大戦後に中立政策を放棄している。ルクセンブルクは、1948年のNATO加盟と憲法改正により、事実上中立政策を放棄した。ただし憲法上では、中立政策を採ると規定している。
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