ベルギーにおける防衛計画
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/01 09:58 UTC 版)
「ベルギーの戦い」の記事における「ベルギーにおける防衛計画」の解説
ドイツによる攻撃に対するベルギーの作戦計画 アルベール運河沿いにアントウェルペンからリエージュ、マース川沿いにリエージュからナミュールにいたるアントウェルペン - ナミュール - ジョーヌ(Givet)防衛線はフランス、イギリス両軍が遅滞戦術を取るには十分であった。これについてはドイツ軍の侵入の3日前、ベルギーの保障する部隊が活動していることが見込まれていた。 アントウェルペン - ナミュール防衛線への撤退。 ベルギー軍が連合軍の防衛地点であるアントウェルペンを含むルーヴェン地区を占領すること。 イギリス、フランス両軍は合同でフランス第7軍(司令官アンリ・ジロー)として可能ならばオランダのゼーラント州を越えて、ブレダを経由してベルギーに向かうことになっていた。イギリスの第6代ゴート子爵ジョン・ヴェレカーによって率いられるイギリス遠征軍はブリュッセル - ヘントの隙間を占領することが主要目的であり、主なベルギー防衛線をブリュッセルの東約20kmの地点を保持しているベルギー軍の支援を行うこととなっており、さらにアントウェルペンの主防衛線は周囲約10km地点で環状に形成され、ベルギー軍が保持することとなっていた。フランス第7軍はジーランドかブレダに到着することが可能であり、アントウェルペンを保持しているベルギー軍の左側面の支援を行えることとなり、さらにドイツ軍の北もしくは右側面を脅かすことができるようになるはずであった。 さらに東部においてアルベール運河に沿って遅滞戦術のための防衛線を築き、これはマースリヒト西のマースの防衛線と結びついており、さらに南へ伸びてリエージュに繋がっていた。特にマースリヒトとリエージュの間は固い防衛線が築かれていた。エバン・エマール要塞は都市の北の防衛線を形成しており、各都市を防衛しているベルギー軍の奥深くへ枢軸軍の戦車部隊がベルギー西部へ進撃することを防いでいた。防衛線はさらに南西方向へ延びており、リエージュ - ナミュールを覆っていた。ベルギー軍はさらにイギリス遠征軍の南側面でガンブルー、アニューへ向かって進撃、サンブル川流域の防衛を行い、フランス第1軍の支援を行うことになっていた。これにより、南部のナミュールのデイル線におけるベルギー軍の防衛線に生じていた隙間を防いでいた。更にその南部で、フランス第9軍はマース川のギヴェ - ディナ(Dinat)防衛線へ進撃することになっていた。フランス第2軍は防衛線の残り100kmにおいて防衛を行う責任があり、スダン、マース、ベルギー・ルクセンブルク国境とマジノ線北方の防衛を担当していた。
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