20世紀前半のチベット情勢
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/08 08:42 UTC 版)
「中華人民共和国によるチベット併合」の記事における「20世紀前半のチベット情勢」の解説
チベットはユーラシア大陸の中央部に位置する険しいチベット高原に存在し、独自の文化圏を築いていた。しかし、清朝の時代の一時期に、清国軍の駐屯を受け入れて保護国となった。また19世紀にはイギリスの勢力下にあり、1904年にイギリス軍はラサに駐屯していた。辛亥革命後にチベットは自立し、第二次世界大戦においては中立政策を保持していた。ただし第二次世界大戦におけるチベットは、中立政策を掲げながらもイギリス軍やアメリカ軍などの連合国軍へ、中華民国への兵站線を提供していた。 当時のチベットの指導者は第14代ダライ・ラマであった。第二次世界大戦が1945年に終結すると、インドと中華民国に代表団を派遣してチベットの主権を確立しようと試みたが、中国国民党内の強硬派の抵抗にあって失敗し、さらに主権確立、つまり完全独立への画策は同年に勃発した国共内戦で先送りにされた。
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