20世紀前半のイタリア哲学
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「イタリア現代思想」の記事における「20世紀前半のイタリア哲学」の解説
ベネデット・クローチェ(Benedetto Croce, 1866-1952)とジョヴァンニ・ジェンティーレ(Giovanni Gentile, 1875-1944)はともに、アウグスト・ヴェーラ(Augusto Vera, 1813-1885)、フランチェスコ・デ・サンクティス(Francesco de Sanctis, 1818-1883)、ベルトランド・スパヴェンタ(Bertrando Spaventa, 1817-1883)、アントニオ・ラブリオーラ(Antonio Labriola, 1843-1904)らの「新ヘーゲル主義」を引き継ぎつつ、19世紀イタリア哲学の支配的な立場であったアントニオ・ロズミーニ(Antonio Rosmini, 1797-1855)、ヴィンチェンツォ・ジョベルティ(Vincenzo Gioberti, 1801-1852)らのロマン主義的な「スピリチュアリスム」、および、カルロ・カッターネオ(Carlo Cattaneo, 1801-1869)、ジュゼッペ・フェラーリ(Giuseppe Ferrari, 1812-1876)、ロベルト・アルディゴー(Roberto Ardigò, 1828-1920)らの「実証主義」に対する論争を継続するなかで、「新観念論」と呼ばれるその立場を形成していった。 美学と歴史にその考察の多くを割いたクローチェが、精神における「認識」と「実践」という二項対立を軸に、「歴史主義的観念論」としてその思想を形成していったのに対し、哲学史を中心にしつつ倫理や教育にも考察をめぐらせたジェンティーレは、「絶対的内在主義」「活動主義的観念論」を標榜しつつ、クローチェの二項対立を統合するような精神の純粋な「活動」を軸に思想を形成した。はじめはともに手を携えて思想を形成していったクローチェとジェンティーレだが、その立場はしだいに乖離していき、ファシズムの台頭とともに決裂する。反ファシストを貫いたクローチェの思想は、第二次大戦後もその影響力を保ち、戦後イタリアの哲学者たちに多かれ少なかれクローチェ哲学との対決を迫ることとなった。その一方で、ファシストの理論的主柱となったジェンティーレは、第二次世界大戦末期にパルチザンによって殺害され、戦後、表面的には急速にその影響力を弱めていく。 こうした新観念論こそが、20世紀前半のイタリアでもっとも隆盛を誇ったことはたしかである。しかし、新観念論のみが唯一の動向だったわけではなく、実存主義や新トマス主義(これらは後述)はすでにあらわれはじめていたし、フィリッポ・マッシ(Filippo Masci, 1844-1923)らによって新カント主義が、ジョヴァンニ・パピーニ(Giovanni Papini, 1881-1956)らによってプラグマティズムが導入されはじめてもいた。ほかにも、フランチェスコ・デ・サルロ(Francesco de Sarlo, 1864-1937)、ベルナルディーノ・ヴァリスコ(Bernardino Varisco, 1850-1933)、ピエロ・マルティネッティ(Piero Martinetti, 1872-1943)、パンタレオ・カラベッレーゼ(Pantaleo Carabellese, 1877-1948)、アントニオ・アリオッタ(Antonio Aliotta, 1881-1964)らのように、新観念論とは対立する二元論的な立場の哲学者たちの活躍もあった。そして、独自のニーチェ解釈にもとづく神秘主義思想を展開したファシストたるユリウス・エヴォラ(Julius Evola, 1898-1974)、若くして自殺した詩人カルロ・ミケレシュテッテル(Carlo Michelestaedter, 1887-1910)といった特異な思想家たちもいた。
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