20世紀半ばから後半
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/10 22:55 UTC 版)
「トムズリバー (ニュージャージー州)」の記事における「20世紀半ばから後半」の解説
20世紀の終盤20年間、タウンシップの人口はかなり変化し、1990年代には2万人以上が増えた。タウンシップは自治体と郡政府の中心でありながら、ガーデン・ステイト公園道路の開通もあって、地域の人口は第二次世界大戦後の10年間で爆発した。トムズリバーは2世紀にわたってタウンシップの中で人口が多く、また密度も高かったが、現住民の大半は、町の他の部分で買い物し、働いている。 トムズリバーのリトルリーグ野球チーム、「ビースト・フロム・ジ・イースト」が1990年代の5年間に3度リトルリーグ・ワールドシリーズに出場し、1998年には日本のチーム(茨城県鹿嶋市)を12対9で破って優勝した。優勝した後のパレードには4万人以上の観衆が州道37号線に集まった。2010年にはウィリアムズポートで開催された第4回大西洋岸中部選手権にも出場した。 1996年、トムズリバー・レイダー・ジュニア・ピーウィー・フットボールチームが全国タイトルを獲得した。1993年、トムズリバー・リトルインディアン・ミジェット・チア隊が最初のチアリーディング全国タイトルを獲得した。2001年から2003年の3年連続でもトムズリバー・エンジェルスが全国タイトルを獲得した。2005年、トムズリバー・リトルインディアンスがさらに2つの全国タイトルを持ち帰り、トムズリバー・レイダースも全国優勝した。2006年、トムズリバー・エンジェルス・ミジェット・ラージ・アドバンスト・チア・スカッドとトムズリバー・リトルインディアンス・ミジェット・スモール・インタミディエイト・チア・スカッドがさらに2つの全国タイトルをもたらした。さらに2007年位はトムズリバー・エンジェルスが1つ、インディアンスが2つの全国タイトルを持ち帰った。 1990年代半ば、州と連邦政府健康環境機関が、1970年から1995年のトムズリバーで子供の癌症例が増加したと報告した。州と連邦政府健康環境機関による複数の調査で、癌増加の要因は1952年から操業していたトムズリバー化学品工場(チバガイギー)による汚染の可能性があることを示した。この地域は地下水から有毒な化学品が検出された後の1983年、アメリカ合衆国環境保護庁のスーパーファンド適用となった。翌年、郡道571号線(ベイ・アベニュー)とボーン・アベニューの角で排水管に漏れがあることが分かり、閉鎖された。工場は1996年に操業を止めた。1996年から2000年に行われた追跡調査で、予想以上に癌が発症している一方で、発症率が著しく低下しており、州平均の発症率と比較して統計的に有意と判断されることが示された。1996年からトムズリバーの上水道は州内でも最も厳しい試験を行うようになり、現在は飲用に適していると見なされている。ジャーナリストのダン・ファギンが2014年にピューリッツァー賞を獲得した著作『トムズリバー: 科学と救済の話』は、この汚染の問題を詳細に検証したものである。
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