久所の渡しと初代の橋
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/08 10:21 UTC 版)
「高田橋 (相模川)」の記事における「久所の渡しと初代の橋」の解説
江戸時代中期に大山講が隆盛し(大山道)、武州から相州大山への参詣者の渡河のために久所(田名)・小沢(高峰)間に渡船が行われていた。 その後高峰村・田名村間の渡船は、神奈川県道として整備された愛川・八王子線の一部となっていたが、度重なる洪水で渡船が流失破壊し、請願や寄付の結果、1924年(大正13年)に竣工、高峰と田名の頭文字を取って、高田橋と命名された。
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