大山へ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/09 21:43 UTC 版)
世の中は混沌として、南北朝の時代になると、争いが酷く新田氏、足利氏、山名氏、赤松氏が天下に割拠していたので、宝鑰寺がある古吉野もいつ争いの舞台になるのかわからなかったので、美作国英田郡巨勢の大山へ寺を移すことになった。 貞和元年(1344年)5月より名前を改め顕密寺と呼ぶようになり、ますます寺は栄えた。老若男女や僧侶がひっきりなしに参拝したという。その評判を聞いた後醍醐天皇や足利義満も寺に仏具を奉納した。また、足利氏や細川氏の祈願所にもなった。天文の頃には、江見荘の江見次郎からも信仰を集める。
※この「大山へ」の解説は、「大山 (岡山県)」の解説の一部です。
「大山へ」を含む「大山 (岡山県)」の記事については、「大山 (岡山県)」の概要を参照ください。
- 大山へのページへのリンク