架橋への機運
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/09 06:50 UTC 版)
橋が架かる前は、マキノー海峡を渡る主な手段はフェリーであったが、1880年代から、2つの半島を結ぶ橋の構想はミシガン州議会で取り沙汰されてきた。この頃、マキノー海峡周辺の一帯、特に1875年にマキノー国立公園に指定されたマキノー島はリゾート地としての人気が定着していた。しかし冬になるとマキノー海峡がしばしば氷結するため、1年を通してフェリーを運航させることは現実的ではないとして諦観されていた。 1883年にブルックリン橋が完成したのをきっかけに、地元住民はこのマキノー海峡にも橋を架けられるのではないかと想像し始めるようになった。1884年、セントイグナスの商店主はブルックリン橋の完成予想図に「マキノー海峡に架かる提案中の橋」という見出しをつけた新聞広告を出した。
※この「架橋への機運」の解説は、「マキナック橋」の解説の一部です。
「架橋への機運」を含む「マキナック橋」の記事については、「マキナック橋」の概要を参照ください。
- 架橋への機運のページへのリンク