横浜市認定歴史的建造物
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/08/05 23:13 UTC 版)

横浜市認定歴史的建造物(よこはましにんていれきしてきけんぞうぶつ)は、神奈川県横浜市都市整備局都市デザイン室が「横浜らしい景観を創り出している歴史的な建物」として認定した市内各所の建造物である。
概要
都市の魅力を高める貴重な資源としてまちづくりに積極的に生かすため、横浜市都市整備局都市デザイン室が1988年(昭和63年)度に「歴史を生かしたまちづくり要綱[1][2]」を定めた[3][4]。 歴史的建築物として保全すべき部位とその意匠・材料・色彩および活用方法等を「保全活用計画」としており、専門家による調査において特に価値があると判断されたもの、専門家および市民の意見を取り入れて歴史的景観の保全と活用の推進を図ることを目的に設置された「歴史的景観保全委員」の意見および所有者との協議によって、適切な保全活用計画が作成されたものに対して、認定が行われる[5]。
景観上価値があると市が判断した建造物は横浜市登録歴史的建造物として「歴史的建造物登録台帳」に記載され、所有者に登録通知書が送付される。その中で、特に重要な価値のあるものは所有者との協議がもたれ、所有者の同意が得られたものは横浜市認定歴史的建造物となる[4]。建物を使い続けながら景観を保つことが趣旨であり、内部の改変はある程度許容される。外観保全や耐震改修には市から助成が受けられるため、所有者から市に相談が持ちかけられるケースもある[6]。
横浜市認定歴史的建造物の一覧
2025年8月時点で計106件の建造物が認定されている[7]。特に脚注がない項目は、横浜市が発出した一覧を参照[7][8]。表記は()書きを含めて一覧[7]にあわせ、それ以外の説明は〈〉で記す。
- 旧川崎銀行横浜支店〈損保ジャパン日本興亜横浜馬車道ビル〉 - 1988年度認定
- 横浜指路教会 - 1988年度認定
- カトリック山手教会聖堂 - 1988年度認定
- 横浜海岸教会 - 1989年度認定
- 横浜山手聖公会 - 1989年度認定
- 旧横浜船渠第2号ドック〈ドックヤードガーデン〉 - 1989年度認定
- 旧澤野家長屋門 - 1990年度認定
- 横浜第2合同庁舎〈旧横浜生糸検査所〉 - 1990年度認定
- 旧藤本家住宅主屋及び東屋 - 1991年度認定
- 石橋邸 - 1991年度認定
- 関東学院中学校〈旧本館〉 - 1991年度認定
- ホテルニューグランド本館 - 1992年度認定
- 綜通横浜ビル(旧本町旭ビル) - 1993年度認定
- 旧東伏見邦英伯爵別邸〈横浜プリンスホテル貴賓館〉 - 1993年度認定
- 松原邸 - 1994年度認定
- 宇田川邸 - 1994年度認定
- BEATTY邸 - 1994年度認定
- エリスマン邸 - 1994年度認定
- ブラフ18番館 - 1994年度認定
- 中澤高枝邸 - 1994年度認定
- カトリック横浜司教館別館 - 1994年度認定
- カトリック横浜司教館(旧相馬永胤邸) - 1995年度認定
- 旧金子家住宅主屋 - 1995年度認定
- 旧大岡家長屋門 - 1995年度認定
- 旧安西家住宅主屋 - 1995年度認定
- 旧円通寺客殿(旧木村家住宅主屋) - 1996年度認定
- 新川家住宅主屋 - 1996年度認定
- 旧臨港線護岸 - 1996年度認定
- 港一号橋梁 - 1996年度認定
- 港二号橋梁 - 1996年度認定
- 港三号橋梁(旧大岡川橋梁) - 1996年度認定
- 長浜ホール(1.横浜検疫所長浜措置場旧細菌検査室、2.旧事務棟) - 1997年度認定
- 旧清水製糸場本館(天王森泉館) - 1997年度認定
- 横浜情報文化センター(旧横浜商工奨励館) - 1998年度認定
- 横浜地方・簡易裁判所 - 1998年度認定
- 岡田邸 - 1998年度認定
- 山手資料館 - 1999年度認定
- 山手234番館 - 1999年度認定
- 東隧道 - 2000年度認定
- 大原隧道 - 2000年度認定
- 浦舟水道橋 - 2000年度認定
- せせらぎ公園古民家(旧内野家住宅主屋) - 2000年度認定
- 馬車道大津ビル(旧東京海上火災保険ビル) - 2000年度認定
- 旧横浜市外電話局〈横浜都市発展記念館、横浜ユーラシア文化館〉 - 2000年度認定
- 横浜税関本関庁舎〈クイーンの塔〉 - 2000年度認定
- 旧英国7番館(戸田平和記念館) - 2000年度認定
- ベーリック・ホール - 2001年度認定
- 山手76番館 - 2001年度認定
- 中丸家長屋門 - 2001年度認定
- 響橋 - 2001年度認定
- 昇龍橋 - 2001年度認定
- 山手隧道 - 2001年度認定
- 赤レンガ倉庫〈新港埠頭保税倉庫〉 - 2001年度認定
- 日産自動車株式会社横浜工場1号館(旧本社ビル) - 2002年度認定
- 旧奥津家長屋門並びに土蔵 - 2002年度認定
- 新港橋梁 - 2002年度認定
- 旧東京三菱銀行横浜中央支店 - 2003年度認定
- 旧富士銀行横浜支店(元安田銀行横浜支店) - 2003年度認定
- 旧横浜銀行本店別館(元第一銀行横浜支店) - 2003年度認定
- 伊東医院 - 2003年度認定
- 旧ウィトリッヒ邸 - 2003年度認定
- 旧居留地消防隊地下貯水槽 - 2003年度認定
- 打越橋 - 2003年度認定
- 旧横浜松坂屋西館〈旧松屋横浜支店[9]〉 - 2004年度認定
- 桜道橋 - 2004年度認定
- 霞橋 - 2004年度認定
- インド水塔 - 2005年度認定
- 谷戸橋 - 2005年度認定
- 西之橋 - 2005年度認定
- 旧バーナード邸 - 2006年度認定
- 山手89-8番館 - 2006年度認定
- 旧平沼専蔵別邸亀甲積擁壁及び煉瓦塀〈野毛山住宅〉 - 2006年度認定
- 二代目横浜駅基礎等遺構〈第二代横浜駅駅舎基礎遺構および横浜共同電燈会社裏高島発電所遺構〉 - 2006年度認定
- フェリス女学院10号館(旧ライジングサン石油会社社宅) - 2007年度認定
- ストロングビル - 2007年度認定
- 旧灯台寮護岸 - 2008年度認定
- 横浜税関遺構:鉄軌道及び転車台〈象の鼻パーク内〉 - 2009年度認定[10]
- インペリアルビル - 2010年度認定
- 慶應義塾大学(日吉)寄宿舎(南寮及び浴場棟) - 2011年度認定
- 井伊直弼像台座及び水泉〈掃部山公園内〉 - 2011年度認定
- フェリス女学院6号館別館 - 2012年度認定
- 河合邸 - 2012年度認定
- 旧神奈川県産業組合館 - 2012年度認定
- 旧神奈川労働基準局(元日本綿花横浜支店倉庫) - 2013年度認定
- 山手26番館 - 2013年度認定
- 霞橋(旧江ヶ崎跨線橋) - 2013年度認定
- 旧横浜生糸検査所附属生糸絹物専用B号倉庫及びC号倉庫〈旧帝蚕倉庫〉 - 2013年度認定[5]
- 鈴木家長屋門 - 2014年度認定
- 田邊家住宅(日吉の森庭園美術館) - 2015年度認定
- 俣野別邸 - 2016年度認定
- 旧市原重治郎邸 - 2017年度認定
- 中山恒三郎家店蔵及び書院 - 2017年度認定
- 井土ケ谷上町第一町内会館(旧井土ケ谷見番) - 2018年度認定
- 吉野橋 - 2018年度認定
- 旧横浜外防波堤北灯台及び南灯台 - 2019年度認定
- 山手133番館 - 2020年度認定
- 長者橋 - 2021年度認定
- 杉沢堰 - 2022年度認定
- 山手133番ブラフ積擁壁 - 2022年度認定
- 山手237番館 - 2023年度認定
- 池谷家住宅主屋 - 2023年度認定
- 山手69-6番館 - 2023年度認定
- 山手267番館(Bielous邸) - 2023年度認定
- 旧根岸競馬場一等馬見所 - 2024年度認定[11]
- 横浜郵船ビル - 2025年度認定[12]
- 旧横浜市庁舎行政棟 - 2025年度認定[13]
ギャラリー
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35.横浜地方・簡易裁判所(中区)
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44.旧横浜市外電話局(現横浜都市発展記念館および横浜ユーラシア文化館・中区)
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45.横浜税関本関庁舎(中区)
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47.ベーリックホール(中区)
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53.赤レンガ倉庫(新港埠頭保税倉庫・中区)
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58.旧富士銀行横浜支店(中区)
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97.長者橋(中区)
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104.旧根岸競馬場一等馬見所(中区)
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106.旧横浜市庁舎行政棟(中区)
過去に認定されていた建造物

- 横浜松坂屋(旧野澤屋) - 2024年度認定/再開発計画に伴う解体により、2010年3月15日認定解除[14][15]
- 日本ビクター第一工場ファサード - 1999年度認定/工場売却に伴う解体により、2010年12月20日に認定解除[14][15][16]
- 旧新井家住宅主屋(八巻家) - 2000年度認定/建物の解体により、2018年4月24日認定解除[14][15]
- 岩田健夫邸 - 1989年度認定/移築復元工事に伴う解体により[17]、2023年度認定解除
脚注
- ^ “歴史を生かしたまちづくり要綱”. 横浜市. 2018年9月8日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年9月8日閲覧。
- ^ “歴史を生かしたまちづくり要綱”. 横浜市 (2019年3月12日). 2020年5月2日閲覧。[リンク切れ]
- ^ “「歴史を生かしたまちづくり要綱」のあらまし” (PDF). 横浜市 都市整備局 都市デザイン室(歴史を生かしたまちづくり担当). 2018年9月8日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年9月8日閲覧。
- ^ a b “「歴史を生かしたまちづくり要綱」のあらまし” (PDF). 横浜市 都市整備局 都市デザイン室(歴史を生かしたまちづくり担当) (2015年4月). 2022年11月3日閲覧。
- ^ a b “横浜市の歴史的建造物を新たに1件認定”. 横浜市都市整備局都市デザイン室 (2014年3月28日). 2018年9月8日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年9月8日閲覧。
- ^ “横浜市認定歴史的建造物ってどんな制度?”. はまれぽ.com (2012年9月17日). 2022年11月3日閲覧。
- ^ a b c “横浜市認定歴史的建造物 一覧”. 横浜市都市整備局企画部都市デザイン室. 2025年8月5日閲覧。
- ^ “歴史を生かしたまちづくり 横浜市認定歴史的建造物 一覧”. 横浜市企画部都市デザイン室 (2018年4月). 2018年9月8日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年9月8日閲覧。
- ^ 「甦る建築27「エクセル伊勢佐木(旧横浜松坂屋西館)」」 - 東京ガス『建築環境デザインコンペティション』
- ^ “象の鼻の土木産業遺構1件を横浜市歴史的建造物として認定します” (2010年3月19日). 2018年9月8日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年9月8日閲覧。
- ^ 横浜市都市整備局都市デザイン室 (2025年1月22日). “「旧根岸競馬場一等馬見所」を「横浜市認定歴史的建造物」に認定し保存活用していきます”. 横浜市. 2025年1月22日閲覧。
- ^ 横浜市都市整備局都市デザイン室 (2025年5月9日). “「横浜郵船ビル」を横浜市認定歴史的建造物として認定し、保全活用を進めます!”. 横浜市. 2025年5月10日閲覧。
- ^ 横浜市都市整備局都市デザイン室 (2025年8月5日). “「旧横浜市庁舎行政棟」を戦後建造物で初の歴史的建造物に認定し、保全活用を進めます!”. 横浜市. 2025年8月5日閲覧。
- ^ a b c “歴史的景観保全事業 平成30年度事業実績”. 横浜市都市整備局都市デザイン室 (2019年9月3日). 2024年2月29日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年1月1日閲覧。
- ^ a b c “歴史的景観保全活用事業 令和5年度事業実績”. 横浜市都市整備局都市デザイン室 (2024年9月27日). 2025年8月5日閲覧。
- ^ “横浜市認定歴史的建造物「日本ビクター第一工場ファサード」の認定解除について” (2010年12月15日). 2018年9月8日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年9月8日閲覧。
- ^ 横浜市指定有形文化財「岩田家住宅」解体保管工事(その3) - 昭和建設株式会社
関連項目
外部リンク
- 歴史を生かしたまちづくりについて:横浜市認定歴史的建造物 一覧 - 横浜市都市整備局 都市デザイン室
横浜市認定歴史的建造物
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/30 14:14 UTC 版)
1921年(大正10年)に建設された本館の建物は当時世界的に流行したアールデコと呼ばれる幾何学模様のデコラティヴなテラコッタ装飾が施された外観を持つ鈴木禎次が晩年に設計した名建築で、エスカレーターの装飾やエレベーターのアナログ時計式階数表示機、食堂の窓などが昔のまま残され、横浜に唯一現存した戦前に建設されたデパート建築で、「日本近代建築総覧」に記載されて近代建築としての歴史的・文化的遺産としての価値が評価されており、2004年(平成16年)には横浜市の「歴史を生かしたまちづくり要綱」に基づく横浜市認定歴史的建造物にも認定されていた。 そのため同年行われた外観改修工事では、規定によりその費用5,844万円のうち4分の3の4,383万円が横浜市からの助成金として支給されていた。 そのため閉店が決まった際には横浜市は同建物の外観を保存し跡地を再開発するように申し入れ、日本建築学会なども解体・撤去の方針を見直して保存するよう求め、市民団体等が8月9日にシンポジウム「どうなる松坂屋どうする伊勢佐木」開催するなどして解体反対の動きがあった。 既存の施設のままの営業継続では老朽化に伴う耐震補強などで約50-60億円が必要になることからJ.フロントリテイリングは建替えの方針であったが、当初はマンションなどを含む高層複合ビルで下層部に既存の外観を残して歴史的建造物の認定も継続させる方向を模索していた。 しかし、閉店時期が結果的にリーマン・ショックと重なって個人消費が大きく落ち込んで業績が悪化したことなどもあって構想を断念して低層の商業施設としての再建を行うことになり、投資額が大きくなる外観の保存が困難だとして、外観改修工事の際に受取った助成金全額を返還して歴史的建造物の認定解除をするよう2009年(平成21年)10月13日に正式に横浜市に申し入れた。 そして、地元伊勢佐木町の活性化を考慮した横浜市が2010年(平成22年)3月15日付で1988年(昭和63年)の歴史的建造物の制度開始以来初の認定解除を行い、外観などの記録保存を行った後に完全に解体されることになった。
※この「横浜市認定歴史的建造物」の解説は、「野澤屋」の解説の一部です。
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