横浜市認定歴史的建造物とは? わかりやすく解説

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横浜市認定歴史的建造物

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/11/14 22:32 UTC 版)

横浜市認定歴史的建造物(よこはましにんていれきしてきけんぞうぶつ)は、神奈川県横浜市都市整備局都市デザイン室が「横浜らしい景観を創り出している歴史的な建物」として認定した市内各所の建造物である。


  1. ^ 歴史を生かしたまちづくり要綱”. 横浜市. 2018年9月8日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年9月8日閲覧。
  2. ^ 歴史を生かしたまちづくり要綱”. 横浜市 (2019年3月12日). 2020年5月2日閲覧。[リンク切れ]
  3. ^ 「歴史を生かしたまちづくり要綱」のあらまし” (PDF). 横浜市 都市整備局 都市デザイン室(歴史を生かしたまちづくり担当). 2018年9月8日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年9月8日閲覧。
  4. ^ a b 「歴史を生かしたまちづくり要綱」のあらまし” (PDF). 横浜市 都市整備局 都市デザイン室(歴史を生かしたまちづくり担当) (2015年4月). 2022年11月3日閲覧。
  5. ^ a b 横浜市の歴史的建造物を新たに1件認定”. 横浜市都市整備局都市デザイン室 (2014年3月28日). 2018年9月8日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年9月8日閲覧。
  6. ^ 横浜市認定歴史的建造物ってどんな制度?”. はまれぽ.com (2012年9月17日). 2022年11月3日閲覧。
  7. ^ 歴史を生かしたまちづくり 横浜市認定歴史的建造物 一覧”. 横浜市 (2018年4月). 2018年9月8日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年9月8日閲覧。
  8. ^ 横浜市認定歴史的建造物 一覧”. 横浜市都市整備局企画部都市デザイン室 (2020年3月19日). 2020年5月2日閲覧。
  9. ^ 甦る建築27 エクセル伊勢佐木(旧横浜松坂屋西館)」『東京ガス 建築環境デザインコンペティション』。
  10. ^ 象の鼻の土木産業遺構1件を横浜市歴史的建造物として認定します” (2010年3月19日). 2018年9月8日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年9月8日閲覧。
  11. ^ 横浜市認定歴史的建造物「日本ビクター第一工場ファサード」の認定解除について” (2010年12月15日). 2018年9月8日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年9月8日閲覧。
  12. ^ 歴史的景観保全事業平成30年度事業実績” (2019年9月3日). 2021年1月1日閲覧。


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横浜市認定歴史的建造物

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/30 14:14 UTC 版)

野澤屋」の記事における「横浜市認定歴史的建造物」の解説

1921年大正10年)に建設され本館建物当時世界的に流行したアールデコ呼ばれる幾何学模様デコラティヴテラコッタ装飾施され外観を持つ鈴木禎次晩年設計した建築で、エスカレーター装飾エレベーターアナログ時計階数表示機、食堂の窓などが昔のまま残され横浜唯一現存し戦前建設されデパート建築で、「日本近代建築総覧」に記載され近代建築としての歴史的文化的遺産としての価値評価されており、2004年平成16年)には横浜市の「歴史を生かしたまちづくり要綱」に基づく横浜市認定歴史的建造物にも認定されていた。 そのため同年行われた外観改修工事では、規定によりその費用5,844万円のうち4分の3の4,383万円横浜市からの助成金として支給されていた。 そのため閉店決まった際には横浜市は同建物の外観保存し跡地再開発するように申し入れ日本建築学会なども解体・撤去方針見直して保存するよう求め市民団体等が8月9日シンポジウム「どうなる松坂屋どうする伊勢佐木開催するなどして解体反対動きがあった。 既存施設のままの営業継続では老朽化に伴う耐震補強などで約50-60億円が必要になることからJ.フロントリテイリング建替え方針であったが、当初マンションなどを含む高層複合ビル下層部に既存外観残して歴史的建造物認定継続させる方向模索していた。 しかし、閉店時期結果的にリーマン・ショック重なって個人消費大きく落ち込んで業績悪化したことなどもあって構想断念して低層商業施設としての再建を行うことになり、投資額が大きくなる外観保存困難だとして、外観改修工事の際に受取った助成金全額返還し歴史的建造物認定解除をするよう2009年平成21年10月13日正式に横浜市申し入れた。 そして、地元伊勢佐木町活性化考慮した横浜市2010年平成22年3月15日付で1988年昭和63年)の歴史的建造物制度開始以来初の認定解除行い外観などの記録保存行った後に完全に解体されることになった

※この「横浜市認定歴史的建造物」の解説は、「野澤屋」の解説の一部です。
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