横浜市認定歴史的建造物
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横浜市認定歴史的建造物(よこはましにんていれきしてきけんぞうぶつ)は、神奈川県横浜市都市整備局都市デザイン室が「横浜らしい景観を創り出している歴史的な建物」として認定した市内各所の建造物である。
- ^ “歴史を生かしたまちづくり要綱”. 横浜市. 2018年9月8日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年9月8日閲覧。
- ^ “歴史を生かしたまちづくり要綱”. 横浜市 (2019年3月12日). 2020年5月2日閲覧。[リンク切れ]
- ^ “「歴史を生かしたまちづくり要綱」のあらまし” (PDF). 横浜市 都市整備局 都市デザイン室(歴史を生かしたまちづくり担当). 2018年9月8日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年9月8日閲覧。
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- ^ a b “横浜市の歴史的建造物を新たに1件認定”. 横浜市都市整備局都市デザイン室 (2014年3月28日). 2018年9月8日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年9月8日閲覧。
- ^ “横浜市認定歴史的建造物ってどんな制度?”. はまれぽ.com (2012年9月17日). 2022年11月3日閲覧。
- ^ “歴史を生かしたまちづくり 横浜市認定歴史的建造物 一覧”. 横浜市 (2018年4月). 2018年9月8日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年9月8日閲覧。
- ^ “横浜市認定歴史的建造物 一覧”. 横浜市都市整備局企画部都市デザイン室 (2020年3月19日). 2020年5月2日閲覧。
- ^ 「甦る建築27 エクセル伊勢佐木(旧横浜松坂屋西館)」『東京ガス 建築環境デザインコンペティション』。
- ^ “象の鼻の土木産業遺構1件を横浜市歴史的建造物として認定します” (2010年3月19日). 2018年9月8日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年9月8日閲覧。
- ^ “横浜市認定歴史的建造物「日本ビクター第一工場ファサード」の認定解除について” (2010年12月15日). 2018年9月8日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年9月8日閲覧。
- ^ “歴史的景観保全事業平成30年度事業実績” (2019年9月3日). 2021年1月1日閲覧。
- 1 横浜市認定歴史的建造物とは
- 2 横浜市認定歴史的建造物の概要
- 3 脚注
横浜市認定歴史的建造物
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1921年(大正10年)に建設された本館の建物は当時世界的に流行したアールデコと呼ばれる幾何学模様のデコラティヴなテラコッタ装飾が施された外観を持つ鈴木禎次が晩年に設計した名建築で、エスカレーターの装飾やエレベーターのアナログ時計式階数表示機、食堂の窓などが昔のまま残され、横浜に唯一現存した戦前に建設されたデパート建築で、「日本近代建築総覧」に記載されて近代建築としての歴史的・文化的遺産としての価値が評価されており、2004年(平成16年)には横浜市の「歴史を生かしたまちづくり要綱」に基づく横浜市認定歴史的建造物にも認定されていた。 そのため同年行われた外観改修工事では、規定によりその費用5,844万円のうち4分の3の4,383万円が横浜市からの助成金として支給されていた。 そのため閉店が決まった際には横浜市は同建物の外観を保存し跡地を再開発するように申し入れ、日本建築学会なども解体・撤去の方針を見直して保存するよう求め、市民団体等が8月9日にシンポジウム「どうなる松坂屋どうする伊勢佐木」開催するなどして解体反対の動きがあった。 既存の施設のままの営業継続では老朽化に伴う耐震補強などで約50-60億円が必要になることからJ.フロントリテイリングは建替えの方針であったが、当初はマンションなどを含む高層複合ビルで下層部に既存の外観を残して歴史的建造物の認定も継続させる方向を模索していた。 しかし、閉店時期が結果的にリーマン・ショックと重なって個人消費が大きく落ち込んで業績が悪化したことなどもあって構想を断念して低層の商業施設としての再建を行うことになり、投資額が大きくなる外観の保存が困難だとして、外観改修工事の際に受取った助成金全額を返還して歴史的建造物の認定解除をするよう2009年(平成21年)10月13日に正式に横浜市に申し入れた。 そして、地元伊勢佐木町の活性化を考慮した横浜市が2010年(平成22年)3月15日付で1988年(昭和63年)の歴史的建造物の制度開始以来初の認定解除を行い、外観などの記録保存を行った後に完全に解体されることになった。
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