横浜市老人リハビリテーション友愛病院
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「横浜市立脳卒中・神経脊椎センター」の記事における「横浜市老人リハビリテーション友愛病院」の解説
横浜電気鉄道(横浜市交通局の前身)の頃に存在した、社員とその家族を対象とした小規模な診療所が前身。施設・設備の拡充のため1936年(昭和11年)8月6日に横浜市電気局共済組合(現 横浜市交通局厚生会)により、旧従業員宿舎(現 横浜市営バス滝頭営業所敷地内)を利用した、横浜市電気局共済組合友愛病院が設立された。1945年(昭和20年)5月には、現在は横浜市立滝頭小学校がある場所に移転。横浜大空襲では一般の患者の治療にもあたった。1946年(昭和21年)4月1日には電気局共済組合が電気局厚生会になり、横浜市電気局厚生会友愛病院に名称変更。拡張を重ね、一般の患者も受け入れるようになったことから事実上地域医療を担う拠点となり、1950年(昭和25年)には分院として生麦診療所を開設(1960年3月閉院)。1972年(昭和47年)4月1日に横浜市衛生局に売却され、1974年から横浜市老人リハビリテーション友愛病院として運営された。病院の老朽化・狭隘化が進んだことから、1991年10月に『友愛病院基本構想検討委員会報告書』がまとめられた。これに基づき「横浜市立脳血管医療センター」(現 横浜市立脳卒中・神経脊椎センター)に統合されることが決定し、1999年4月1日に閉院。
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