旧橋の崩落
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/26 23:05 UTC 版)
「日本・パラオ友好の橋」の記事における「旧橋の崩落」の解説
しかし、1996年9月26日17時35分頃、轟音と共に突如中央部から真っ二つに折れて崩落して2名が死亡、4名以上が負傷した。 橋はコロール島からパラオ国際空港(後にロマン・トメトゥチェル国際空港に改名)へと向かう唯一の道路であり、またバベルダオブ島からコロールへ供給されていた、電気・水道・電話のライフラインが通っていたため、首都機能が麻痺し、クニオ・ナカムラ大統領は国家非常事態宣言を発令した。「暗黒の9月事件 (Black September)」とも呼ばれている。 その直後から、官民挙げての復旧作業が進められ、9月30日に緊急の送電線を敷設したことで電気が復旧した。続いて10月6日には橋の両側から消防用ホースを通して、時間制限付きながらも水道を復旧させた。また交通手段として渡し舟が復活した。 各国も橋崩落を受け、支援を開始した。日本国政府も飲料水の緊急輸送や仮設橋(ポンツーンと呼ばれるプレートをつないで作る浮き橋)の設置などの支援を行った。 崩壊をめぐる訴訟は法廷外で解決されたため、崩壊の原因は公表されなかった。しかし、初期設計においてロバスト性が不足していたために、橋は常に偶発的な損傷に対して脆弱であり、最終的には再舗装工事の一環として発生したと結論づけられている。 現在、当時の橋の名残としてハングルとアルファベットの碑文が刻まれた記念碑のみが残されている。 崩壊した旧KB橋 旧KB橋の碑文"KOREA"の文字が削られているが、左には한국(韓国)とある。
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