初期設計
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/06/10 09:35 UTC 版)
1980年代、アムトラックは1940年代より運用されてきた旧式のヘリテージ客車(英語版)の置き換えを考えていた。アムトラックでは1979年より新造客車の決定版として2階建てスーパーライナーを増備していたが、この客車は車高が高すぎ、車両限界の関係で米国東部各線のニューヨーク・ペン駅やボルチモア駅に乗り入れることができなかった。そこで、アムトラックはバッド社との協働で、モジュラー構造を活用した新型の寝台車および食堂車の設計を始めた。これは、ユニットバスのように別個に造った内装設備(電装品、給排水設備)を各車輌に装着するというものである。これにより、メンテナンス性の向上や改装のしやすさといったメリットを実現できた。側面にはこのためのハッチが設けられ、ビューライナー系列の特徴となった。 スーパーライナーとは異なり上段寝台の乗客のための窓が設けられているため、上下段両方の寝台から外の景色(view)を眺められるようになっている。 ビューライナーの導入当初、アムトラックは向こう十年間で1000台超にわたる車輌の組み立てを計画していた。ビューライナーの試作車は、1987年から1988年にかけ、バッド社供給の部品を元にインディアナ州ビーチグローブ工場(英語版)で組み立てられた。その内訳は、寝台車2台(2300号車と2301号車)と食堂車一台(8400号車)であった。 これら試作車はシカゴ-ピッツバーグ-ワシントンD.C.を走る夜行列車「キャピトル・リミテッド」で1988年より運用を開始し:133、2002年まで定期列車で用いられた。
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