歴史・変遷
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「ハイライト (たばこ)」の記事における「歴史・変遷」の解説
1960年(昭和35年)6月20日 - ハイライト発売。70円。 1960年(昭和35年) - ハイライトの製造が世界第1位になる。 1968年(昭和43年) - ハイライトの売上が世界第1位になる。 1970年(昭和45年)3月15日 - たばこ税増税にて、80円へ値上げ。 1974年(昭和49年) - 当時の計測で、タール20mg、ニコチン1.6mg。 1975年(昭和50年) - タール19mg、ニコチン1.5mgに変更。 1975年(昭和50年)12月18日 - たばこ税増税にて、120円へ値上げ。 1980年(昭和55年)4月22日 - たばこ税増税にて、150円へ値上げ。 1983年(昭和58年)5月1日 - たばこ税増税にて、170円へ値上げ。 1985年(昭和60年) - 日本専売公社から日本たばこ産業株式会社へ民営化。 1986年(昭和61年)5月1日 - たばこ税増税にて、200円へ値上げ。 1990年(平成2年) - 煙草側面の警告文が「健康のため吸いすぎには気をつけましょう」から「あなたの健康を損なうおそれがありますので吸いすぎに注意しましょう」へ変更。 1993年(平成5年)- 220円へ値上げ。 1997年(平成9年) 4月1日 - たばこ税増税にて、230円へ値上げ。 1998年(平成10年)12月1日 - たばこ特別税施行にて250円へ値上げ。 2001年(平成13年) - 国内煙草販売実績上位20銘柄でランキング15位。 2002年(平成14年) - 国内煙草販売実績上位20銘柄でランキング16位。 2003年(平成15年)7月1日 - たばこ税増税にて、270円へ価格改定。 2003年(平成15年) - 国内煙草販売実績上位20銘柄でランキング19位。 2004年(平成16年)1月7日 - ラム酒フレーバーとメンソール感を両立した「ハイライト・メンソール」を発売。 2004年(平成16年) - 国内上位20銘柄から姿を消す。 2004年(平成16年) - たばこ事業法39条により、警告文表示改定。それに伴いハイライトブルーと称されていたパッケージ色が薄くなる。 2006年(平成18年)7月1日 - たばこ税増税に際して1本1円値上し、290円に価格改定される。 2010年(平成22年)10月1日 - たばこ税増税にて、410円へ価格改定。 2012年(平成24年)5月14日 - 稲妻を思わせる強いメンソール感を実現した「ハイライト・イナズマ・メンソール(8mg/1mg)」を発売。 2014年(平成26年)4月1日 - 消費税増税にて、420円へ価格改定。 2018年(平成30年)10月1日 -たばこ税増税にて、450円へ価格改定。 2019年(令和元年)10月1日 - 消費税増税にて他銘柄の価格が改定される中、ハイライトの価格は450円に据え置き。 2020年(令和2年)10月1日 - たばこ税増税にて、490円へ価格改定。 2021年(令和3年)10月1日 - たばこ税増税にて、520円へ価格改定。
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歴史・変遷
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日本においては、サミュエル・サミュエル商会が自社石油製品輸送用として1893年(明治26年)に使用を開始した車両が始祖とされる。現在まで続く円筒形のタンク体を持つ車両は1900年(明治33年)から使用を開始した。当初は「油槽車」(ゆそうしゃ。記号はあぶらのア)と称し、現在の「タンク車」は1928年(昭和3年)の国鉄貨車の称号改正によるものであり、同年5月17日達第380号により公布された。 使用開始以降の経緯から、荷主自らが車両を所有し、鉄道事業体(国鉄など)に籍を置く「私有貨車」として現在まで発展してきた。台数的に多い石油類の場合、かつては石油元売が多く保有しており、各社のロゴ(社章)が大きく描かれていたが、1980年代以降はほとんどが日本オイルターミナルや日本石油輸送などの専門輸送会社に移管された。 近年はISO規格コンテナを積載可能なコンテナ車が多数製作され、主に小ロット輸送が主となる化成品輸送において、タンク車からタンクコンテナに移行する事例が多い。輸送時間短縮・とみ替えの容易さを実現可能とするコンテナ輸送の利点に加え、従来から使用してきたタンク車自体の老朽化進行に伴う事業者の設備更新の一環である。 輸送規模の小さな拠点では、近隣の拠点への集約や輸送手段の転換(トラック・海運など)、輸送自体の廃止などもあり、タンク車の在籍数は専用種別を問わず漸次減少傾向にある。 JRに移行した直前の 1986年度末には総数で 12,302 両のタンク車が在籍したが、 2005年度末の在籍は総数で 4,719 両である。
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歴史・変遷
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同じ系譜の武器である東洋の弩が歴史に姿を現したのは紀元前6世紀頃からで、紀元前4世紀には機械式の弩も生まれていた。もっとも信頼できる使用された記録は、紀元前342年の中国で起きた馬陵の戦いの時の物である。また、紀元前4世紀頃の古代ギリシアではガストラフェテス (γαστραφέτης, gastraphetes) という腹と地面を使い、体重をかけて固定して、背筋を使って弦を引く方式のクロスボウが存在した(γαστρ-(γαστήρ)は腹、ἀφέτης < ἀφίημιは「(武器を)放つもの」を意味しており、この武器の名前は「腹当て機」とも訳される)。 西洋ではクロスボウが狩猟に用いられることもあり、11世紀以降になってから戦争でも使用されるようになった。 それまで一般に使われていた弓は、他の武器に比べ射程が長く強力ではあるものの、弓を引き絞って構えるための筋力と、その状態で狙いをつけて放つための技術・訓練が必要で、弓術の訓練を受けた弓兵や狩猟で使う猟師以外には扱いにくかった。またモンゴル帝国など騎射による強力な軍隊を有する勢力が優位となってからも、幼少から馬と弓に慣れ親しんだ騎馬民族以外には簡単には真似できないことから軍事的に大きな優位となっていた。 これらの弱点を克服するために、台座に弓を取り付けることで固定し、あらかじめ弦を引いてセットしたものに矢を設置して引き金(トリガー)を引くことで矢を発射できるようにしたものがクロスボウである。弓のように長期間の訓練が不要となり、ほぼ素人でも強力な弓兵として運用が可能となった。また、台座を固定して弦を引っかける時だけ力があればいいので、手では引けないような強力な弓を搭載することで、威力や射程を大幅に高めたクロスボウも登場した。 弦を引く方式にはいくつかの種類があり、初期には、台尻の腹当てを腹にあてて体重を使いながら手で弦を引っ張ったり、先端にとりつけたあぶみに足を掛けたり、腰のベルトの鉤に滑車の鉤をかけて立ち上がったりすることで弦が引かれる方式、ゴーツフット(goat'foot。山羊の脚)というレバーで弦の掛け金をてこの原理で引く方式、てこの原理でレバーを押す方式、後部のハンドルをネジのように回すことでハンドルが後ろへ下がり弦が引かれるスクリューアンドハンドル (Screw and Handle) 方式、後々にはウィンドラス (windlass) という後部に付ける大きな両手回し式のハンドルを回して弦に繋がる滑車を巻き上げる方式や、クレインクイン(cranequin。クレインクラインとも)という下部や側部に付ける足掛け不要な片手回し式ハンドルを回して歯車と歯竿で弦を引く(ラック・アンド・ピニオン)方式のクロスボウなども誕生した。一部には弓の張力をやや落してハンドル操作で矢のセットと弦をつがえる操作を行えるリピーター・ボウも登場したが、こちらは威力が小さく構造が複雑で故障も多かったため、あまり普及せずに終わっている。 クロスボウは扱いが簡単であるが威力は高かったため、被弾した兵士に致命傷を与える危険性があった。致命傷を与えてしまうことは、生け捕りにして身代金を要求するという当時の戦争のやり方にもそぐわないものだった。そのため、各地の騎士・貴族からこの武器に対して猛反発が起こり、1139年にインノケンティウス2世が召集した第2ラテラン公会議で、「キリスト教徒への使用」は非人道的として禁止する教令が出されるほどにもなった。しかし、対異教徒に限定されず使用され、1199年にリチャード1世がクロスボウによって死亡した事例なども見られる。 中世のイスラム世界では、7世紀頃に中国から伝わった。足で押さえ付けて弦を引くことから足弓 (qaws al-rijl) とも呼ばれ、引き金の両横に足の踏み場があるアクゥアル (qaws al-'aqqar)、先端に足を掛ける金具がある鐙弓 (qaws al-rikab) などの発展系もある。9キログラム以上のボルトを打ち出す巨大なアクゥアルも見られる。11世紀頃の東ローマ帝国ではtzangra,tzagra,tzarcheなどと呼び、ペルシア由来の大型クロスボウはザンバーハ(zanburak; ペルシア語でハチを意味する zanbur に由来)、軽量のクロスボウがアラビアで派生したものはジャーハ (jarkh) という。西欧人の武器としてフランク弓 (qaws fereng) とも呼ばれた。 現代のクロスボウはボディが主にプラスチックやアルミニウム、チタンなどの軽量素材で製造されており、リム(limbs, 弓の部分)は概ねグラスファイバー製である。 ボルト(矢)はアルミニウムやCFRP(炭素繊維強化プラスチック)、GFRP(ガラス繊維強化プラスチック)が用いられる。 リムに滑車が搭載されているものはコンパウンドクロスボウ、それ以外はリカーブクロスボウと呼ばれる。 コンパウンドクロスボウは滑車の原理を利用したもので、ドローウェイト(弦を引くのに必要な力)が同じリカーブクロスボウと比べ、同じ質量の矢を発射した場合により大きな初速を得ることができる。しかし、コンパウンドクロスボウはリムに滑車を搭載している構造上、リム自体が重くなり前方に重心が偏るフロントヘビーになりがちである。また、弦を交換する際にボウプレス(bow press)と呼ばれる専用の道具を用いる必要があるため、メンテナンスの容易さではリカーブクロスボウが勝ると言える。
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歴史・変遷
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/10 09:35 UTC 版)
この番組は、『金曜テレビの星!』での特番後レギュラー化、半年で終了した視聴者参加クイズ番組『クイズ!当たって25%』(1991年10月17日 - 1992年3月26日放送)が原点になっている。『クイズ100人に聞きました』などと同じく、番組フォーマットを海外から購入している。この番組フォーマットはイギリスのCelador Productions(英語版)が開発したものである。なお、導入されたのはクイズのルールのみであり、コンピューターシステム、「Ready Go!」や「Answer Check!」などのコール、その他番組のイベントは日本オリジナルのものである。 出題および解答のコンピューターシステムはTBS側が国内企業(テクノネット)に依頼し、日本仕様に独自開発したものである。選択ボタンの増加やタッチパネルの導入、複数解答・移動体通信での解答への対応など、随時バージョンアップ(1997年秋・2006年春・2017年秋に3回システムが更新)されている。当番組も2006年春に双方向サービスが現実のものとなって、一般視聴者もクイズ参加が楽しめるようになった。
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