歴史・地理
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/03 01:02 UTC 版)
「デルスウ・ウザーラ (書籍)」の記事における「歴史・地理」の解説
アムール川の流域に住んでいたナナイ、ニヴフ、ウリチなどの先住民は、16世紀に清、17世紀にロシア帝国の進出を受け、清露国境紛争に巻き込まれた。先住民は当初はロシアに抵抗したが、18世紀からはニヴフを中心にロシア人と交易を行い、清を君主として朝貢をした。産業革命後の19世紀以降のロシアは、鉱物資源を得るためにシベリアや極東への領土拡大を積極的に進めた。そのため毛皮をとる狩猟民との取り引きに代わり、移民による農地、工場、鉱山の開発が増えた。人口が逆転して先住民は少数民族になり、キリスト教徒ではない先住民は宗教や文化の面からロシア移民に差別された。 ロシア帝国は1840年代からアムール川流域の探検を進め、清と条約改正を交渉した。1860年の北京条約では沿海州がロシア領となり、海鼠衛と呼ばれていた集落はロシア名のウラジオストックとなった。極東ロシアへの移住と開発を進めるためにシベリア鉄道が建設され、ヨーロッパ・ロシアからの移民が増えた。鉄道工事にともなって中国、朝鮮、日本からも出稼ぎ者が多く訪れ、ウラジオストックは多民族構成の都市として拡大した。1884年時点のウラジオストックは、全人口10094人のうちヨーロッパ系が6309人、アジア系が3785人だった。 先住民は土地所有権を認められず、交易の権益も縮小してゆき、未開の集団として扱われた。人類学者や民族学者が調査に訪れ、レフ・シュテルンベルクやブロニスワフ・ピウスツキらは、当時の社会運動ナロードニキの思想にもとづいて先住民の支援を試みた。地理学者のニコライ・ミハイロヴィチ・プルジェヴァリスキーはロシア人として沿海州を初めて調査し、1867年から1869年にかけての記録を『ウスリー地方における旅』(1870年)という本にまとめた。
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