地下鉄東西線開業前
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1949年(昭和24年)12月1日:京阪神急行電鉄株式会社から京阪本線・交野線・宇治線・京津線・石山坂本線が分離譲渡され、資本金3億34万円で、(2代目)京阪電気鉄道株式会社が再発足し、再び同社の京津線となる。 12月11日:普通列車の三条駅 - 浜大津駅間の所要時間を最速32分に短縮。 12月30日:2両連結運転開始に伴う御陵駅、山科駅前駅、四宮駅の各駅の拡張改良工事完了。 1950年(昭和25年)1月7日:古川町駅の上り線に安全地帯を設置。1月30日:四宮車庫の火災によって焼失した大津線車両22両のうち復旧困難な客車15両と老朽電動客貨車各1両(20型1両、撒水車1両)を廃車。 9月3日:ジェーン台風によって駅や変電所などに被害が発生し、その被害額は約3,000万円に及ぶ。大津線の関西電力送電線事故のため、12時30分から約12時間半に渡って停電し、京津線を走行中の13の旅客列車が営業線上に停車。 9月4日:1時50分頃に停電が復旧したため、初発から平常運転を実施。 9月10日:四宮駅上り副本線の新設に伴い、上り急行列車の待避駅を京阪山科駅から四宮駅に変更。 10月30日:ジェーン台風による大津線の被害復旧工事が完了。 11月25日:古川町駅を東山三条駅と改称。 12月25日:大谷駅 - 上関寺駅間の軌道の一部移設工事を完了し、上関寺駅上り線ホームを高床ホームに変更。 1951年(昭和26年)4月1日:三条駅 - 浜大津駅間の普通列車の所要時間を最速30分に短縮。 5月15日:総事業費88万4千円をかけ、長等公園下 - 浜大津間の併用軌道改良工事を着工。 10月15日:三条駅 - 東山三条駅間の併用軌道改良工事を完了。 10月20日:蹴上駅 - 九条山駅間の下り線の水害復旧工事を完了。 12月22日:天満橋駅 - 浜大津駅間にスキー列車の運転を開始。 1952年(昭和27年)10月31日:大津線5型(元阪急34形)3両を廃車。 12月20日:九条山駅 - 御陵駅間約300mの併用軌道改修第2期工事を完了。 1953年(昭和28年)4月1日:山科駅前駅を東へ100m移設し、京阪山科駅と改称。 7月20日:18時50分・九条山駅付近で土砂崩れ発生、21時24分単線で仮復旧するも、再度崩落で不通に。翌21日三条駅 - 九条山駅間の不通箇所間は、京阪自動車で代替輸送し、列車は九条山に仮ホームを設け、浜大津駅 - 九条山駅間の折り返し運転を実施(復旧日不明)。同区間は9月15日朝にも同区間で落石、一時運休。9月25日も台風13号で落石事故で運休している。 10月13日:上関寺国道踏切の遮断機を半自動式に変更。 11月24日:200型運転に伴う京津線の工事方法の変更が認可。 12月15日:大津線車両にスライダー式トロリーポールの試験的使用を開始。 12月28日:日ノ岡駅の営業再開。 12月30日:200型連結運転に伴う三条曲線の変更工事、並びに浜大津駅の改良工事を完了。 1954年(昭和29年)1月4日:日ノ岡駅に安全地帯を新設。 1月25日:浜大津経由の三条駅 - 石山寺駅間の急行運転が開始。 1月29日:大津線車両に車輪々縁注油器の試験使用を開始。 4月11日:九条山防災工事に着工。 7月4日:大津線各駅から宇治直通団体客に対して60型を運転。 1955年(昭和30年)1月:京都市美術館で開催された「ルーブル展」開催期間中の最寄り駅として、東山三条駅・蹴上駅間に臨時駅のルーブル展駅を開設。 12月7日:御陵国道踏切(後の御陵府道踏切。1997年10月12日廃止)の遮断機を自動水平昇降式に改修。 1956年(昭和31年)1月10日:線路名称が制定され、大津線に属する京津線となる。 1月15日:石清水厄除大祭参詣客のため、三条経由の八幡町(現在の八幡市) - 浜大津間直通臨時急行「やわた」号を運転。 5月24日:大津線車両200型201-202号車に車内放送装置を取り付け、試験使用を実施。 9月13日:大津線客車7両に車内放送装置を設置。 10月15日:追分駅 - 大谷駅間の重軌条更換工事を完了。 12月15日:総工費380万円をかけた三条駅 - 東山三条駅間の併用軌道舗装改修工事が完了。 1957年(昭和32年)1月10日:三条駅入口付近の曲線部軌条更換工事と浜大津駅の改良工事を着工。 2月15日:京阪山科駅 - 追分駅間での重軌条更換工事を完了。 3月15日:総工費213万円を投じた三条駅入口付近の曲線部軌条更換工事が完了。 4月26日:大津線260型2両を新造。 7月10日:九条山駅 - 日岡駅間の重軌条更換工事を完了。 7月11日:大津線260型5両を新造。 7月15日:浜大津駅改良工事完成、ホームを2面2線に増強。 1958年(昭和33年)12月24日:大津線車両のうち急行車用26両に暖房器を新設。 1959年(昭和34年)1月20日:電車の集電装置(ポール)をホイール式からスライダー式に変更。 3月1日:長等公園下駅の改築工事が完了し、上栄町駅と改称されるとともに、急行停車駅となる。 4月8-14日:皇太子殿下御成婚奉祝花電車を運転。 12月25日:京阪山科駅の連動装置を遠方制御式に変更。 1961年(昭和36年)8月12日:抑速回生と発電ブレーキ併用の高性能車80型営業運転開始。 11月23日:浜大津 - 枚方公園間の「菊号」の運行をもって、60型による京阪線への直通運転を中止。 1965年(昭和40年)6月24日:300型(2代)4両が竣工(この時、片町駅(廃駅)の側線から搬入され京阪線を走らせて京津線へ送られた)。 10月16日:三条発の島めぐり臨時特急(260型2両編成)が蹴上駅 - 九条山駅間で併用軌道から専用軌道に入る際、トラックと衝突。九条山駅 - 浜大津駅間で折り返し運転。 1966年(昭和41年)11月4日:デッドマン装置の未設置車43両にデッドマン装置の設置を完了。 1968年(昭和43年)3月25日:運転間隔を(三条駅 - 石山寺駅間の急行、三条駅 - 浜大津駅間の普通の各列車)15分毎から(三条駅 - 石山寺駅間の急行、三条駅 - 浜大津駅間の普通、三条駅 - 四宮駅間の普通の各列車)20分毎に変更し、京阪線の間隔に合わせる。 6月15日:集電装置のパンタグラフ化準備のための逢坂山トンネルの掘り下げ工事竣工。 6月27日:(新)四宮変電所竣工、旧変電所は廃止。変電所の集中制御化工事竣工。 11月22日:蹴上 - 東山三条間の併用軌道で脱線事故、午前10時20分まで九条山駅以西が運休。 1969年(昭和44年)11月6日:三条駅構内の京阪本線との連絡線路を撤去。 1970年(昭和45年)7月1日:京津線に過速防止装置の使用を開始。 7月30日:三条駅で60型(びわこ号)のお別れ式を挙行。 8月23日:電車の集電装置をスライダー式ポールからパンタグラフに変更。 7月:80型81-93を順次2両連結編成に改造(1972年1月までに2両固定編成化完了)。 10月:80型94-96は2連連結用として竣工。 1971年(昭和46年)8月15日:上関寺駅廃止。大規模なダイヤ改正が実施され、準急を新設し、運転間隔を20分毎から(三条駅 - 浜大津駅・石山寺駅間の準急、三条駅 - 四宮駅間の普通の各列車)15分毎に変更することにより京津線と京阪本線との連絡が強化。全列車を2両連結編成での運行とし、単行運転を廃止。急行は朝夕のみの運行となる。 1979年(昭和54年)4月16日:500型営業運転開始。 9月20日:西大津バイパスのインターチェンジ建設と国道1号線拡幅のために四宮駅の東から追分駅の東・名神高速の交差部分までの区間、京津線の線路を約15m北側へ移設、追分駅移設竣工。 1980年(昭和55年)10月30日:大津線全車両62両に排障器および補助排障器の取付けが完成。 1981年(昭和56年)1月9日:浜大津駅前の京津線と石山坂本線との連絡線を廃止し、浜大津経由の三条駅 - 石山寺駅間の直通運転を廃止。 4月12日:京津線の浜大津駅を石山坂本線の同駅(旧東口)に統合。ダイヤ改正を実施し、急行を廃止。 7月31日:浜大津駅の移設・統合化工事が完成。京津線の旧浜大津駅跡地には、明日都浜大津ビルが建設された。 石山坂本線の旧浜大津駅(旧東口)は、わずかに湖側に移動して現在の浜大津駅になった。 浜大津駅の統合でスイッチバックがなくなることになり、石山坂本線内で京津線車両の向きが逆になり保守点検などで不都合が生じることになった。そのため錦織車庫に転車台を仮設して同年5月28日 - 6月8日にかけて京津線の車両(80型16両・260型12両・500型4両)を1両ずつ向きを変える作業が行われた。 1983年(昭和58年)4月1日:蹴上駅 - 四宮駅間にATSを設置。 1984年(昭和59年)4月1日:ATSの設置を完了。 4月26日:京津線初の冷房車600型営業運転開始。 1986年(昭和61年)1月17日:列車無線連絡装置の使用を開始。 7月30日:全駅で朝夕ラッシュ時に禁煙タイム実施。 1987年(昭和62年)4月1日:京津線の三条駅を京津三条駅へ改称(5月23日までは同一改札内で三条駅と京津三条駅が同居)。 5月24日:京阪本線の東福寺 - 三条間の地下化により、京阪本線の三条駅が地下化され、京津三条駅が地上に取り残される。 6月1日:地下化された京阪本線の三条駅との連絡調整を主目的とし、大津線・京阪線同時にダイヤ改正。 1989年(平成元年)4月12日:冷房化した80形1編成の使用を開始。 10月1日:プリペイド式の「Kカード」を導入。 1992年(平成4年)5月1日:建設中の京都市営地下鉄東西線への直通運転開始に伴う大津線の電圧の1500V昇圧に対応した700形営業運転開始。 11月14日:700形705-706に京阪電気鉄道初の車椅子スペースが設置され竣工。 1994年(平成6年)12月29日:600形の建設中の京都市営地下鉄東西線への直通運転開始に伴う大津線の電圧の1500V昇圧準備工事を完了。 1995年(平成7年)1月30日:京阪電気鉄道株式会社と京都市の間で京津線列車の京都市営地下鉄東西線への乗り入れ関する基本協定が締結される。 9月1日:車内普通券発券機を導入。 12月29日:地震計の使用を開始。 1996年 (平成8年)10月28日:京都市交通局東西線直通用車両800系の搬入開始(翌年6月までに8編成32両が導入される)。 11月2日:四宮駅の延伸部分の使用を開始。 11月14日:追分駅改修工事竣工、ホームに地元作家の大津絵4枚が掲げられる。 11月16日:大谷駅を東へ71m(営業キロ上は0.1 km)移設、ホーム4両編成対応化。 11月:終電 - 始発間の深夜に石山坂本線の架線電圧を600Vから1500Vに昇圧し、800系の試運転開始(翌1997年7月まで)。 (時期不明)京阪山科駅 - 浜大津駅間の4両編成対応のホーム延伸工事を完了。 御陵府道東踏切付近で下り線側から京都市営地下鉄東西線へ接続する新線への単線渡り線と架線を設置。 1997年(平成9年)4月8日:800系が京都市営地下鉄東西線に乗り入れての試運転を開始、7月末までに全8編成が東西線での試運転を行う。 6月28日:四宮駅新駅舎供用開始。 7月1日:大津支社廃止。 10月11日:80形81-82号車による京津三条駅 - 四宮駅(早朝のみ京津三条駅 - 浜大津駅)間の普通と260形261-262号車による京津三条駅 - 浜大津駅間の準急を京津三条駅 - 御陵駅間のさよなら列車として運行(詳細な最終日の様子は「京津三条 - 御陵間の廃止に関する出来事」を参照)。
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