廣隆寺とは? わかりやすく解説

こうりゅう‐じ〔クワウリユウ‐〕【広隆寺】


広隆寺

読み方:コウリュウジ(kouryuuji)

宗派 浄土宗

所在 岩手県花巻市

本尊 阿弥陀如来


広隆寺

読み方:コウリュウジ(kouryuuji)

別名 太秦の太子さん

宗派 真言宗御室派

所在 京都府京都市右京区

本尊 聖徳太子

寺院名辞典では1989年7月時点の情報を掲載しています。

広隆寺

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/30 00:27 UTC 版)

広隆寺 (こうりゅうじ)は、京都市右京区太秦蜂岡町にある真言宗単立寺院山号は蜂岡山。本尊聖徳太子。蜂岡寺(はちおかでら)、秦公寺(はたのきみでら)[1]、太秦寺などの別称があり、地名を冠して太秦広隆寺とも呼ばれる[2]渡来人系の氏族である秦氏氏寺であり、平安京遷都以前から存在した京都最古の寺院である。国宝弥勒菩薩半跏像を蔵することで知られ、聖徳太子信仰の寺でもある。毎年10月12日に行われる牛祭は京都三大奇祭として知られるが、現在は不定期開催となっている。





広隆寺

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/12 00:52 UTC 版)

太子信仰」の記事における「広隆寺」の解説

広隆寺は、『書紀推古天皇11年(603年)条によれば太子仏像譲り受けた秦河勝創建した記されるが、実際は『広隆寺縁起』に記される太子没後追善する意味を込めて秦河勝創建したとする由来正しいと考えられる創建当時現在地北東位置する北野廃寺跡にあったが、平安京遷都と共に現在地移転した。なお、太子から譲り受けたとされる仏像は、現存する弥勒菩薩半跏像とする説がある。

※この「広隆寺」の解説は、「太子信仰」の解説の一部です。
「広隆寺」を含む「太子信仰」の記事については、「太子信仰」の概要を参照ください。

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