サンデー毎日告発報道と坂本弁護士一家殺害事件(1989年下期)
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「オウム真理教の歴史」の記事における「サンデー毎日告発報道と坂本弁護士一家殺害事件(1989年下期)」の解説
詳細は「坂本弁護士一家殺害事件」を参照 サンデー毎日は、1989年10月15日号で「オウム真理教の狂気」連載をスタートし、以降11月26日号まで7週間にわたって、血のイニシエーションや、布施、信者が家族から隔離されているなど告発報道を始めた。 サンデー毎日1989年10月15日号「告発スクープ第一弾 オウム真理教の狂気 これはイエスの方舟とは違う 息子を、娘を返せ」(発売日:10月2日) 記事は信者らのコメントを掲載するなど、両論併記の方針が貫徹していた。第一弾発売日の10月2日、麻原らは編集部に押し掛け、「高校生のお布施30万円は高すぎる」と牧が言うと、麻原は「いくらならいいのか、金額をいえ」「抗議行動を起こす」と交渉決裂した。10月8日から牧太郎編集長の自宅近辺には「でっち上げはやめろ」「許すな!悪徳ジャーナリスト」と牧の自宅や電話番号まで書かれたビラが120枚以上一斉に貼り出され、自宅の電話は鳴りっぱなしで、街宣車は自宅や子供の通う学校にも来た。10月10日には毎日新聞社本社ビル内のトイレに一斉に同様のビラを貼った。他、オウムに批判的な報道をしたテレビ朝日「こんにちは2時」や文化放送などにも「ヤラセ、ウソ、偏見報道の責任をとれ」と担当者の実名、自宅住所、電話番号が書かれたビラをまいた。さらに教団は、サンデー毎日で証言した元信者の自宅にも押しかけ、記者を装ってドアを開けさせて車に連行し、「証言は事実に反する」という文書に署名させた。この書面をもって教団がテレビ局に抗議すると、フジテレビとテレビ朝日は訂正放送に応じ、テレビ朝日は麻原に20分自由に話させる放送を行った。 10月11日放送のテレビ朝日「こんにちは2時」の「大島渚の熱血!!生トーク 特集 息子を返せ!! 父親がオウム教教祖を訴え」では、司会に大島渚と水口義朗、教団からは麻原、石井、早川、上祐が出演し、被害者の会の親たちは体面を考え出演せず、永岡弘行会長だけが生出演となった。永岡が息子(永岡辰哉)と連絡が取れないと事情を話した後、麻原は「実は、大変なお客さんが来ているんです」と述べると、女装した永岡の息子がスタジオに登場し、麻原はこれを拍手で迎え、「オウムが監禁しているか、白黒はっきりさせたい」と述べ、永岡の息子が麻原を「言動一致、嘘をつかない人」であると述べた。番組では子供を出演させない約束だった。息子の出演を聞いておらず、動揺した永岡が発言しようとすると、司会の大島渚がそれを遮って、「(番組は)オウム真理教を叩こうとか、そういう意図はない。冷静に事実を知りたいわけで…」と述べると、続けて永岡の息子が父は嘘つきだと非難を開始し、オウムの素晴らしさを語った。大島渚は「宗教では親子が切り離されるのは特別なことではない、ただ、(布施など)お金の問題はちょっと一般の常識からいうと不思議な感じもする」と語った。麻原は400人の出家信者のうち、親子問題が起きているのは10組だけで、その親たちは嘘を吹聴してオウム叩きをしていると述べた。麻原は、親が拉致されたと主張する子供を全て出演させることもできる、と答えた。麻原に制された永岡会長は、ほとんど発言の機会が与えられないまま、番組は終わった。こうして、教団は生放送を出演条件とした上で、事前の打ち合わせを無視し、番組を教団宣伝の場所に変えることに成功した。以降、オウムはテレビや週刊誌に抗議するよりも、それを利用する作戦をとるようになり、元信者の証言に対しては「実名をばらすぞ」と脅迫するなどし、マスコミもオウムの強引な要求を峻拒できず、オウムの弁護手段として利用されるようになっていった。 サンデー毎日1989年10月22日号「告発スクープ第二弾 ニセ薬の過去と血の儀式」 教団では、百万円で麻原の血を飲ませる「血のイニシエーション」が行われていたが、その根拠として、「麻原の血液には特別のDNAがあり、これを体内に取り入れると、クンダリニーが上昇して霊的向上をもたらすことが京都大学医学部の研究でわかっている」と宣伝されていた。これについて被害者弁護団が京都大学に照会したら、そのような研究は行われていない、また同学部助教授が「科学的にもそのような効果はない」と回答があった。坂本堤弁護士が青山吉伸教団弁護士に問い質すと、教団は10月13日に「あの研究は遺伝子工学を専攻する京大大学院生が教団本部で検査したもの」と回答、さらに坂本弁護士がデータを見せてほしいと要求したが、水中サマディの修行で猶予をくれと回答を遅らせ、10月31日に教団は、麻原の血液のDNAを分離して培養した研究で、普通(一般人)のDNAを飲んだデータと比較実験するまでもないと回答、結局教団は証拠となるデータを持ってこなかった。10月21日には、坂本弁護士の支援の下でオウム真理教被害者の会が結成された。 サンデー毎日1989年11月5日号「告発スクープ第四弾」(発売日:10月23日) 10月23日に発売された11月5日号では、「血のイニシエーション」儀式の根拠とされる東大、京大の研究は存在せず、虚偽広告だったことが報道された。その後、教団は毎日新聞社ビルを爆破するための下見をした。10月25日には教団は毎日新聞社を相手に名誉毀損による損害賠償請求訴訟を提起した。 10月26日にはTBSワイドショー『3時にあいましょう』のスタッフが、坂本弁護士へのインタビューを放送前にオウム幹部に見せたTBSビデオ問題が起きていた(この事件は、TBS側は否定していたが、1996年3月になって認めた)。10月31日の交渉で、教団が「信教の自由だ」と主張すると、坂本弁護士は「人を不幸にする自由など許されない」と答えた。 10月31日に発売されたサンデー毎日第五弾11月12日号「肉食拒否の尊師がビフテキ弁当を売る欺瞞」では、霊感商法まがいの悪徳商法と報道した。 11月1日に坂本弁護士は、元信者から「血のイニシエーション」でお布施させられた百万円を取り返したいという相談を受ける。同11月1日、被害者の会は水中サマディや空中浮遊の公開実演を教団に要求した。 殺害の決行 麻原は、坂本弁護士がオウム告発報道や被害者の会のリーダーであるとみなし、11月2日深夜(11月3日未明)、教団幹部らに「世の中汚れきっている。もうヴァジラヤーナしかないんだ。お前たちも覚悟しろよ」と坂本弁護士のポア(殺害)を指示し、塩化カリウムによる殺害を指示した。11月4日午前3時頃、オウム幹部ら6人が坂本弁護士宅に侵入し、一家3人を殺害した。午前7時頃、一行が富士本部に到着すると、麻原と石井久子が出迎え、麻原は「よくやった、ごくろう」と上機嫌に述べた。その後の説法で麻原は「今日は午前4時前から、アーモンドの修法を行った」とし、欲について説いた。説法後、麻原は「遺体はドラム缶に詰めて遠くの山に埋めて、車は海に捨てろ」と幹部らに指示した。同日午前中に出発した一行は、長野県大町市関電トンネル電気バス扇沢駅近くの湿地帯に1歳の長男の遺体を埋めた。その後、新潟県西頸城郡能生町のドライブイン駐車場で仮眠をとり、翌5日、大毛無山に弁護士の遺体を、翌6日、妻の遺体を富山県魚津市僧ヶ岳中腹に埋めて証拠湮滅を狙った。村井は坂本夫妻の歯をツルハシで砕いた。11月9日、車の廃棄場所を探していた一行に対して麻原はオウムバッジ「プルシャ」を落とした中川智正を叱責し、手袋をせず指紋を残した可能性のある早川、村井に富士本部に帰るよう指示した。11月11日未明、麻原は帰ってきた一行に「真理を妨害することで得た金で養われている者も悪行を積んでいる」と説いて、「三人殺したら死刑は間違いない。みんな同罪だ。死刑だな」と笑みを浮かべながら語った。 11月13日に発売された第六弾11月26日号の記者座談会では、「宗教の名を借りたオウム商法」とも語られた。 一方、警察では、坂本弁護士宅に「プルシャ」が落ちていたため、オウム犯行説が広まるが、任意の失踪の可能性があるとされ事件性すら確定されなかった。坂本弁護士が所属する横浜法律事務所も、マスコミも「某新興宗教団体」と当初はオウムの名を出さなかったため、統一教会や創価学会関連の情報提供も多かった。警察の初動捜査も消極的で、11月18日の会見で教団は警察からの事情聴取依頼はないと答えており、翌日警察は事情聴取を申し入れたが、教団から修行を理由に拒否された。また警察は「坂本弁護士はサラ金で首が回らなくなっていた」というガセネタを流したり、「横浜法律事務所の弁護士たちがマスコミに喋るので困る」と事務所を敵視するような言動をとった。11月18日には東京新聞が、裏付け取材をせずに「活動家の内ゲバか」と報道。横浜法律事務所は即日抗議し訂正を求めたが、東京新聞は取材の成果として拒否した(後、続報で内ゲバ説を否定)。 麻原はオウムバッシングの背景には創価学会や内閣情報調査室やアメリカがいると語り、1989年11月にはフジサンケイグループをバックとした政治家あるいは宗教団体が動いていると語り、このけがれきった世の中に対して二つのアプローチがあり、一つは選挙で議席をとって徳の政治に変える。もう一つは、武装して日本をひっくり返して真理でないものを潰して救済する、と述べた。11月10日には大阪で「私は最後の救世主だ」「間違いなく第三次世界大戦はやってくる。それまでの間に、オウム真理教以上の宗教は現れないだろう」「あなた方は選ばれた魂であるということもできる。そして、あなた方は義務を持った魂ということもできる」「オウム真理教にアットホームはいらない。オウム真理教に必要なのは救済だ」と説教した。また、1989年冬ごろには、教義強化部長の選任にあたり、麻原は「マイトレーヤ(上祐)しかいないだろう。オウムの教義については、討論したら、多分、私の方が負けてしまうよ」と述べた。 メディアの利用 1989年11月15日に坂本事件が公表されると、同日夕方、青山弁護士から教団の名誉毀損をしないよう警告書を報道各社にファックスをした。11月18日教団の会見では、バッジは坂本弁護士が被害者の会の親から預かったものか、第三者(創価学会)が故意に置いたと主張。 11月30日にドイツのボンで会見し、事件に教団は無関係で、失踪事件は横浜法律事務所が仕組んだ狂言であり、「犯人は坂本弁護士の身内と考えるのが妥当」と述べ、弁護士の親族らを激怒させた。その後もテレビでバッジは女性信者の親が取り上げたもので、「被害者の会が犯人である疑いが極めて強い」と主張を繰り返した。信者への説法でも麻原は「坂本弁護士をさらっても、すぐ次の弁護士が出てくるんだから、オウムが拉致するメリットはない」「坂本弁護士はこのままだったら地獄に落ちるから、彼が被害者の会に殺されたにしろ、誘拐されたにしろ、彼はこれ以上オウムに迷惑をかけないわけだから、彼のカルマのためにはいいことだ」と「被害者の会」犯人説を主張するとともに、坂本弁護士の死を「カルマの法則」で肯定した。他方、教団の幹部早川は、高校生の信者に説得していた被害者の会のメンバーに「お前一人を抹殺することくらいわけはない」と脅迫した。 12月4日に帰国した麻原は空港で「マスコミで反論するために帰ってきた」「こちらの言い分を出してくれるメディアを選んで出演する」と述べ、翌12月5日朝から、ワイドショーなどに次々と出演。テレビ朝日のモーニングショーは富士総本部の実況中継を行い、フジテレビの「おはよう!ナイスデイ」では富士総本部の麻原一家が仲睦まじい姿を報じ、TBS「3時にあいましょう」12月12日放送でオウムの修行風景や、信者に教団の魅力を取材するなど、坂本弁護士事件とは関係のない教団の宣伝となっていった。 一方、宗教学者の中沢新一は雑誌SPA!同年12月6日号で初めて麻原と対談、麻原は事件には一切関わっていないと公言、二人は宗教論で意気投合し、中沢は週刊ポスト同年12月8日号の「誰も言わないバッシングの構造を明かす オウム真理教のどこが悪いのか」で、麻原を高い意識状態を体験している宗教家であると絶賛した。サンデー毎日報道の「狂気」「反社会的」といった言葉も、麻原は中沢新一との対談を通じて、都合よく回収していった。(詳細は後述#中沢新一へ。)また、女性セブン1989年12月21日号も教団に好意的な誌面作りをした。 オウムは、被害者の会は警察が指揮して結成した組織で、坂本弁護士一家事件は宗教弾圧であり、オウムこそ被害者であると主張した。
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