文字
『今物語』第35話 蓮花王という童が7歳で死に、遺骸を帳(とばり)の中に入れたところ、まもなく虫が帳を喰った。見ると「帰命蓮華王、大聖観自在、広度衆生界、父母善知識」と喰って、果ての文字の所に虫が死んでいた〔*同第34話にも、虫喰いとは明記せぬが、木を割ると黒みがあり「南無阿弥陀仏」の文字だった、との説話がある〕。
『北野天神縁起』 円融院の御代、7年のうちに3度も内裏が焼けた。その折の内裏造営工事の時、大工が鉋をかけた南殿(紫宸殿)の裏板に一夜のうちに虫が喰って文字の形をなした。それは「つくるともまたも焼けなむ菅原やむねのいたまのあらぬかぎりは」と判読でき、菅原道真の霊が「北野の社を修造せよ」と要求した歌だった〔*『大鏡』「時平伝」に類話〕。
『熊野の御本地のさうし』(御伽草子) ちけん聖が読経しようと机に向かうと、文字の形の虫喰いがあり、「むなしごのすみくる山を聖とて木の葉かきわけ尋ね給へよ」と読めた。ちけん聖は、この歌にしたがって山を探し、3歳ほどの男児を見つける。男児は善財王の王子だったので、ちけん聖は王子を養い育て、王子7歳の時、善財王の宮廷へ送り、父子の対面をさせた〔*類話の『神道集』巻2-6「熊野権現の事」では、虫喰いではなく蜘蛛が糸を引いて文字にする→〔蜘蛛〕3〕。
『南総里見八犬伝』第9輯巻之12上第114回 行方不明の浜路姫の部屋から、犬江親兵衛に宛てた艶書が見つかるが、それは妙椿尼の幻術によって作られたもので、後に見ると文字が消え白紙になっていた。
『南総里見八犬伝』第9輯巻之52第180勝回中編 丶大(ちゅだい)法師が、白浜に流れ着いた沈の木を刻み四天神王像を造って安房国の守護神とし、仁・義・礼・智・忠・信・孝・悌の8つの珠を、その玉眼としようと考える。しかしその時、八犬士の持つ珠はすべて文字が消えて白珠となっていた〔*同時に八犬士の身体の痣も消えていた〕。
『大岡政談』「村井長庵の記」 悪医者村井長庵は、質両替商伊勢屋の養子千太郎から50両を借りて、受け取り証文を渡すが、後日訪れた千太郎に対し「汝は知らぬ人。50両借りた覚えもなし」と白を切る。千太郎が怒って証文をつきつけると、それは白紙に変じていた。長庵は烏賊墨で証文を書き、烏賊墨の文字は時間がたてば消えるのだった。
『本朝桜陰比事』(井原西鶴)巻3-2「手形は消て正直が立」 問屋が、ある人に銀子5貫目を貸したが、8年たっても返済しない。「借用証書の手形を持って来れば返済しよう」と言うので、問屋が手形を入れた箱を開けると、白紙になっている。烏賊墨に粉糊を混ぜて書いた文字は、3年たてば消えるのだった。
★2c.書き写すと、もとの文字が消えてしまう。カット・アンド・ペースト。
『御曹子島渡』(御伽草子) 御曹子義経は「大日の法」という兵法の巻物を見るため、千島の都のかねひら大王のもとへ到り、ひそかに巻物を書き写した。写し終わると、巻物は白紙になってしまった。
『酉陽雑俎』巻2-74 玄宗皇帝の使者が峨眉山で、真っ白なひげの男に出会う。男は大きな平たい石を指さし、「そこに書いてある上奏文を記録して、皇帝に差し上げよ」と言う。使者は、朱で書かれた百余字を書き写すが、書くにつれて石の上の朱字は1字1字消失し、書き終わると、石の上にはもう1字もなかった。
『力(りき)ばか』(小泉八雲『怪談』) 麹町の金持ちの屋敷に、左掌に「力ばか」という文字の書かれた男児が生まれた。この文字を消すには、前世の身体が埋めてある墓の土で膚をこするしか手だてがないので、下男たちが、9ヵ月程前に死んだ牛込の「力ばか」の家を捜し尋ね、墓の土を少し取って持ち帰った。
★4.文字の読み方。
『一尼公(つれなしのあまぎみ)』(御伽草子) 独り住みゆえ「つれなしの尼公」と呼ばれる尼が、「一」に「つれなし」の訓があるので、自分の名を「一」と表記する。和泉国から京の尼公に手紙を届ける使いが、宛て名「一尼公」の読み方を忘れ、往来の人々に問う。しかし誰も正しく読めず、使いは空しく手紙を持ち帰った。
*「平林」という苗字が読めない→〔読み間違い〕2の『平林』(落語)。
★5a.文字の力。
『蒙求』222「蒼頡制字」 黄帝の時代。蒼頡(そうけつ・そうきつ)がはじめて文字を作った。すると鬼どもは、自分たちの罪が文書に記録され、弾劾されるのを恐れて、夜泣いた。
『文字禍』(中島敦) 紀元前7世紀。ニネヴェのエリバ老博士は、単なる線の集合にすぎぬ文字に一定の音と意味を持たせるものは、文字の霊であることを発見した。そして調査の結果、文字を覚えた人々は身体が虚弱になり、頭が悪くなり、心が臆病になることが明らかになり、老博士は「文字の崇拝を止めるべし」との研究報告をまとめた。文字の霊は、ただちに老博士に復讐した→〔地震〕1。
★5b.特定の文字の力。
『西遊記』百回本第66回 弥勒仏祖の召し使う黄眉童子が逃げ出して悪事を働くので、黄眉童子を瓜畑におびき寄せて捕らえるべく、弥勒は孫悟空の左掌に「禁」の字を書く。悟空が拳を開いて見せると、黄眉童子は「禁」字のまじないにかけられ、退くことも武器を使うことも忘れて、ひたすら悟空の後を追う→〔腹〕1。
『捜神記』巻3-9(通巻57話) 劉柔という人が寝ていて、鼠に左手中指を噛まれた。占者淳于智が「鼠は君を殺そうとしたのだ。今度来たら逆に殺してやろう」と言い、劉柔の手に1寸2分ほどの大きさの「田」の字を朱で書き、「この手を出して寝よ」と教える。そのとおりにすると、翌朝大鼠が枕元で死んでいた。
*「獏」の文字の力→〔名前〕1dの『夢を食うもの』(小泉八雲『骨董』)。
*「米」の文字の力→〔憑依〕6aのひだる神(水木しげる『図説日本妖怪大全』)。
『あいごの若』(説経)5段目 15歳の愛護の若は、母を亡くし父にも見捨てられて絶望し、きりうが滝に投身する。その時、若は左指を食い切り、岩のくぼみに血をため、柳を筆として小袖に恨み言を記し、「神蔵やきりうが滝へ身を投ぐる語り伝へよ杉の群立ち」の歌を残した。
『伊勢物語』第24段 宮仕えに出た夫が3年ぶりに家へ戻るが、妻がすでに別の男と結婚したと知って、去る。妻は夫のあとを追い、力尽きて清水のそばに倒れ、指の血で岩に「あひ思はで離れにし人をとどめかね我が身は今ぞ消え果てぬめる」と書いて死ぬ。
『南総里見八犬伝』第6輯巻之4第57回 文明11年(1479)5月16日未明、犬坂毛野は、父や兄たちの仇馬加大記一族を対牛楼で皆殺しにした。その時毛野は壁に、仇討ちの趣意と自らの姓名など50余文字を、敵の血で書き留めた。
『緋色の研究』(ドイル) ジェファースンは、恋人ルーシーを死にいたらしめた2人の男、ドレッバーとスタンガスンを殺し、恨みをはらした(*→〔一夫多妻〕5)。ドレッバーを毒殺した時、多血質のジェファースンは興奮の余り、おびただしい鼻血を出す。彼はその鼻血で、壁に「RACHE(復讐)」と書いた。スタンガスンを刺殺した時も、ジェファースンは床に「RACHE」の血文字を残した〔*ジェファースンは、ホームズによって逮捕された直後に、動脈瘤が破裂して死んだ〕。
『保元物語』下「新院御経沈めの事」 讃岐国に配流された崇徳院は、指先から血をしたたらせて5部の大乗経を3年間で書写し、「都近くの社寺に納めたい」と願うが拒否された。院は髪も剃らず爪も切らず、生きながら天狗の姿になって「我、日本国の大魔縁とならん」と祈り、舌先を食い切って流れる血で大乗経の奥に誓文を記した。
*蛇の血文字→〔蚊帳〕4の『絵本百物語』第27「手負蛇(ておひへび)」。
『カター・サリット・サーガラ』「『ブリハット・カター』因縁譚」 かつてシヴァ神が語った物語をカーナブーティが口誦し、それを大詩人グナーディヤが7年間で7千頌の「ブリハット・カター」となして、墨がなかったため自らの血で書いた。しかしサータヴァーハナ王がこの物語を軽んじたので、グナーディヤは6千頌を焼き捨て、1千頌のみを残した。
『かるかや』(説経)「高野の巻」 弘法大師空海が天竺を目ざし流沙川を越えた時、文殊菩薩が童子に変じて現れ、飛ぶ雲に「阿毘羅吽欠(あびらうんけん)」の文字を書いた。空海は流れる水に「龍」の字を書いたが、童子が「点が1つ足らぬ」と言う。空海が点を打つと、「龍」の眼のところに筆が当り、洪水が起こった。
『弘法大師の書』(小泉八雲『知られざる日本の面影』) 弘法大師が少年(=文殊菩薩の化身)に請われて、空に文字を書き、川に文字を書く。少年が「私もやってみよう」と言って川に「龍」の字を書くが、点が1つ打ってなかった。弘法大師が点を打つと、「龍」の字は本物の龍となって昇天した。
*應(=応)天門の「應」の点を後から打った、という物語もある→〔書き間違い〕5の『今昔物語集』巻11-9。
★8.文字を見つめて考えていると、それが正しい文字かどうかわからなくなる。
『門』(夏目漱石)1 宗助が縁側に寝ころんで、「近来の『近』の字はどう書いたっけね」と、妻のお米に尋ねる。お米は物差しの先で、『近』の字を書いて見せる。宗助は「どうも字というものは不思議だよ」と言う。「いくらやさしい字でも、こりゃ変だと思って疑(うたぐ)りだすと、わからなくなる。紙の上へ書いて、じっとながめていると、なんだか違ったような気がする」。お米は「あなた、どうかしていらっしゃるのよ」と言う。宗助は「やっぱり神経衰弱かもしれない」と考える。
『狼疾記』(中島敦) 三造は中学生の頃から、「存在の不確かさ」に不安を感じるようになった。ちょうど、字というものはヘンだと思い始めると、――その字を一部分一部分に分解しながら、「いったいこの字はこれで正しいのか」と考え出すと、しだいにそれが怪しくなってきて、だんだんとその必然性が失われていくと感じられるように、彼の周囲のものは、気をつけて見れば見るほど、不確かな存在に思われてならなかった。
★9.筆跡。
『球形の荒野』(松本清張) 昭和36年(1961)。もと外交官野上顕一郎は、約20年ぶりにひそかに日本に戻った。彼は奈良の古寺を訪れ、芳名帳に変名で記帳する。ある男がそれを見て、特徴ある筆跡から、野上が日本に来ていることを察知する。男はもと軍人であり、野上を、日本を敗戦に導いた売国奴と見なしていた(*→〔偽死〕1)。男は、野上を殺そうと、つけねらう〔*野上は無事で、日本訪問の目的である娘との対面を果たし、国外へ去った〕。
黒住宗忠の逸話 黒住宗忠が68歳になった弘化4年(1847)の元旦。彼は「天照大神」の神号の揮毫を、18歳の気分で書いた。後に鑑定家がこれを見て、「世にも稀な高徳の人の書で、筆跡も見事だ。しかしよく見ると、18歳くらいの人が、この春あたり書いたものらしい。18歳前後でこのような高徳の人があろうとも思われず、不思議なことだ」と言い、署名を見ると「68歳」とあるので、ますます合点が行かず首をかしげた。
『太平記』巻12「大内裏造営の事」 弘法大師は、大内裏の諸門の額(がく)を書くに際し、将来を案じて、わざと違う文字を書いた(*→〔書き間違い〕6)。小野東風は大師の意図を悟らず、「大極殿は火極殿、朱雀門は米雀門」と批難した。その罰(ばち)であろうか、東風は筆を執ると手が震えて、正しい文字を書けなくなったが、もともと草書の名手だったので、震えて書いた文字も、それなりの独自の筆勢となった。
★10.文字の起源。
『蒙求』222「蒼頡制字」 昔、黄帝の臣下蒼頡(そうけつ・そうきつ)が、砂上についた鳥の足跡の形を見て、文字を作った。それまで人間は純朴だったが、文字を知るとともに偽りが芽生えた→〔落下〕7。
『奇談異聞辞典』(柴田宵曲)「兎除(うさぎよけ)の札」 兎が小麦畑を荒らす害を防ぐために、「狐のわざと兎が申す」と書いた木札を、農夫が立てる。狐は木札を見たら、「兎が小麦を食って、我(=狐)に濡れ衣を着せたのだ」と怒り、兎を責めるだろう。それを恐れて兎は小麦畑を荒らさない、というのだ。馬鹿々々しい話だが、この木札を立てれば、兎の害は必ず止む。不思議なことだ(『甲子夜話』巻11)。
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