犬江親兵衛
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「南総里見八犬伝の登場人物」の記事における「犬江親兵衛」の解説
犬江 親兵衛 仁(いぬえ しんべえ まさし) 仁の珠を持つ。脇腹に牡丹の痣。 文明7年(1475年)12月、下総国市川に生まれる。山林房八と沼藺の子で、小文吾は伯父にあたる。八犬士の中では最年少。 生まれつき左手が開かなかったが、これは沼藺が幼少の頃に飲み込んだ珠を握って生まれたためであることがのちに明らかになる。幼名は真平だったが、周囲に大八と渾名され、この名が定着した。この渾名は「片輪」の車という連想によるものであることが知られる。 初登場時は4歳。古那屋で房八と小文吾が争った際、房八に脇腹を蹴られて仮死状態に陥ったが、蘇生後に左手が開いて珠が現れ、房八に蹴られた脇腹に痣が生じたことで犬士であることが明らかになった。丶大は「真平」の名を「親兵衛」に改め、諱を「仁」とした。房八夫妻の死と親兵衛の犬士としての蘇生は「身を殺して仁を成す」を意味している。 丶大や妙真(房八の母)に連れられて安房に向かう途中悪漢に襲われたが、このとき神隠しに遭う。これは伏姫神によるものであり、親兵衛はその庇護のもと富山で育てられ、9歳ながら異様な成長を遂げて里見義実の前に再登場する。蟇田素藤の二度にわたる叛乱を鎮圧した。その後、結城の法要で七犬士と合流し八犬具足を果たす。京都に使者として赴いて武勇を示し、関東大戦では伏姫に与えられた神薬(善人のみに効果がある)で敵味方の戦死者を蘇生させた。物語後半の主役といえる。 儒教の徳目全てを体現した童子で、完璧なまでのヒーローである。それゆえか「八犬士の随一」を自ら称するなど高飛車な言動が目立つ。唯一の弱点は水練だったが、関東大戦への参加を前に霊夢の中で伏姫より習得した。大団円では安房館山城を与えられ、里見義成の長女で9歳年上の静峯(しずお)姫(1466年 - 1504年)と結婚、犬江真平(眞平)如心(犬江親兵衛如心。1492年生まれ。妻に犬田小文吾の娘、子に犬江親兵衛(三世))、犬江屋大八(1493年生まれ。犬江屋依介の養子。妻に犬田小文吾の娘)、長女(名は甫(はじめ)。犬塚信乃戍子の妻、犬塚信乃(三世)の母)の二男一女を儲けるが死別する。その後、独身を貫いた。
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犬江 親兵衛(いぬえ しんべえ)(声:大谷育江)
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「仁」の犬士。初登場時はまだ赤ん坊で、重度のショタコンでもある伏姫に預けられ、後に犬士達の戦列に加わる予定。小文吾の妹の息子で、小文吾とは伯父と甥の関係になる。
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犬江 親兵衛
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「戦国甲子園〜九犬士伝説〜」の記事における「犬江 親兵衛」の解説
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犬江 親兵衞(いぬえ しんべえ)
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「里見☆八犬伝REBOOT」の記事における「犬江 親兵衞(いぬえ しんべえ)」の解説
小文吾の甥。信乃そっくりの女性・沼蘭の実子。数え年4歳。「仁」の犬士。
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