な‐でん【南殿】
なん‐でん【南殿】
みなみ‐どの【南殿】
南殿
南殿
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/08/27 18:32 UTC 版)
みなみどの
南殿
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生誕 | 生年不詳 |
死没 | 寛永11年(1634年) |
国籍 | ![]() |
配偶者 | 豊臣秀吉 |
子供 | 石松丸、女児 |
南殿(みなみどの)は、安土桃山時代から江戸時代初期にかけての女性。羽柴秀吉の側室。
略歴
宝厳寺の竹生島文書内『竹生島奉加帳』に見られる女性で、秀吉の側室の一人と考えられる[1][2]が、服部英雄は側室にしては竹生島奉加帳の寄進額がだいぶ少ないとして、側室かどうか疑問視する[3]など、異説もある。山名禅高の娘との説もあるが、別人と考える方が自然で、素性など詳細は不明。秀吉が近江長浜城主の頃の側室とされ、秀吉の第一子となる石松丸(羽柴秀勝)を産んだらしい[4][5]。「南殿」の通称は、長浜城で与えられた館が南側にあったためと推測されている。しかし秀勝は数年後に夭折してしまい、その後さらに秀吉との間に女子をもうけたが、これも早世した。
秀勝が亡くなり、一方で女児が生れたとされる天正4年(1576年)は、正室・寧々(高台院、北政所)から夫の不貞と不満とを訴えられた織田信長が、秀吉を「剥げ鼠」といって叱責する書状を返した同じ年であるため、側室の南殿が子を産んだことは、寧々と秀吉の夫婦喧嘩にも何らかの関係があると思われる[6]。ただし、女児が誕生したとされる天正4年には前田利家の娘で秀吉夫妻の養女となった後に宇喜多秀家に嫁いだ豪姫が生まれており、女児は秀吉の実娘ではなく早い段階で養女に迎えられた豪姫のことであるとする説もある(この説では女児の誕生そのものがないため、夫婦喧嘩の一因ではないことになる)[7]。
結局のところ、南殿は、秀吉の5人の有力な妻妾[8]には数えられるには至っておらず、2人の子に先立たれた後ほどなくして竹生島の宝巌寺で出家した。寛永11年(1634年)に死去。
異説
秀勝の母については、浅井家祐筆だった石田長楽庵の娘で秀吉の側室になった於葉の方というと説と、同じく側室・京極竜子であるという説もある[9]。於葉の方は、長浜城主である秀吉に鷹狩りの帰りに伊吹山の観音寺へ立ち寄るように仕向けて、同族である石田佐吉(後の石田三成)を引き会わせ「三杯の茶(三献茶)」のエピソードが生まれたが、秀勝が死ぬと後を追って琵琶湖に入水したという話がある[10]。
一方、黒田基樹は秀勝の実名や戒名が当時からのものであった場合には従来の通説は当時の社会慣習(過去帳に記載されるのは8歳以上、元服は15歳頃に行う)と反しているのではないかと指摘している。その上で、秀勝が実在の子であるならば、秀吉の長浜城主になる前に誕生していた筈で、永禄5年(1563年)頃には既に誕生していた可能性もありえるとする。この説を採用した場合、秀吉と秀勝の母との関係は尾張・美濃時代から始まっていたことになる(黒田は秀吉と寧々の婚姻時期についても通説より遅い永禄8年説を採っているため、秀勝の誕生の方が寧々との婚姻よりも前後する、あるいは既に誕生していた可能性もあるとしている)[11][12]。
淀殿以外の秀吉の子を産んだ側室の存在は、秀吉には子種が無く、淀殿が誰かしら(大野治長、石田三成など)と密通して鶴松・秀頼をもうけたという俗説に対する反証にもなりうる一方で、秀勝の実在を疑問視する声も残っている。
登場作品
- 『おんな太閤記』(1981年、NHK大河ドラマ)演:沢田雅美
- 『秀吉』(1996年、NHK大河ドラマ)演:川上麻衣子 - 設定名は「おかつ」
- 『功名が辻』(2006年、NHK大河ドラマ)演:田辺愛美
- 『軍師官兵衛』(2014年、NHK大河ドラマ)演:辻本みず希
- 『光秀のスマホ 歳末の陣』(2020年、NHK総合)演:小島みなみ
- 『秀吉のスマホ』(2023年、NHK総合)演:小島みなみ
脚注・出典
- ^ 桑田 1979, p. 56.
- ^ 田中阿里子『歴史と旅』1981年1月号、秋田書店
- ^ 服部英雄 『河原ノ者・非人・秀吉』(山川出版社、2012年)p.667
- ^ 桑田 1979, p. 57.
- ^ 秀勝の没年月日は寺の記録等によりほぼわかっているが、生年や没年齢は不詳である。6歳や7歳という記載もあるが、そうすると秀吉が長浜城主となる数年前に生まれたことになる。天正元年もしくは天正2年とするものが「長浜城主の頃の側室が生んだ子」と言う説明に符合するが、いずれしても信憑性に問題のある寺伝等の記述などがあるだけで確固たる根拠はなく、没年から逆算したに過ぎない。黒田基樹のように永禄12年(1569年)以前に誕生していなければ当時の社会慣習と矛盾すると断言する研究者もいる。
- ^ 楠戸義昭『豊臣秀吉99の謎』PHP研究所、1996年。ISBN 4569568564。
- ^ 黒田基樹「秀吉の実子と養子たち」『羽柴秀吉とその一族』KADOKAWA〈角川選書〉、2025年、165-168頁。 ISBN 9784047037397。
- ^ 寧々(高台院、北政所)、淀殿(小谷の方)、松の丸殿、三の丸殿、加賀殿の5人。ただし、近年では正室と4名の別妻が正しく、側室や妾ではないとする指摘もある(福田千鶴説)。
- ^ 豊太閤展覧会 著、豊太閤展覧会 編『国立国会図書館デジタルコレクション 豊公余韻』白木屋計画部、1939年 。
- ^ 日本博学倶楽部 編『戦国武将の意外なウラ事情 : 英雄たちの「秘められた事実」』PHP研究所、2004年。 ISBN 4569661998。
- ^ 黒田基樹「総論 羽柴秀吉一門の研究」『羽柴秀吉一門』戎光祥出版〈シリーズ・織豊大名の研究 13〉、2024年11月、21-24頁。 ISBN 978-4-86403-546-0。
- ^ 黒田基樹「秀吉の実子と養子たち」『羽柴秀吉とその一族』KADOKAWA〈角川選書〉、2025年、160-165頁。 ISBN 9784047037397。
参考文献
- 水江漣子『近世史のなかの女たち』日本放送出版協会、1983年。 ISBN 4140014407。
- 田中阿里子『歴史と旅』(秋田書店、1981年1月号)
- 桑田忠親『戦国の女性』 7巻、秋田書店〈桑田忠親著作集〉、1979年。 ISBN 4253003583。
- 服部英雄 『河原ノ者・非人・秀吉』(山川出版社、2012年)
南殿
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