山下敬吾
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/24 23:30 UTC 版)
山下敬吾 九段 | |
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名前 | 山下敬吾 |
生年月日 | 1978年9月6日(45歳) |
プロ入り年 | 1993年 |
出身地 | 北海道旭川市 |
所属 | 日本棋院東京本院 |
師匠 | 菊池康郎 |
段位 | 九段 |
概要 | |
タイトル獲得合計 | 23 |
七大タイトル | |
棋聖 | 5期 (2003・06-09) |
名人 | 2期 (2011-12) |
本因坊 | 2期 (2010-11) |
王座 | 2期 (2006-07) |
天元 | 2期 (2004・09) |
碁聖 | 1期 (2000) |
十段 | 挑戦者 (2006-07・10) |
張栩、羽根直樹、高尾紳路らとともに「平成四天王」と称される。
3大タイトル獲得数歴代6位タイ、棋聖位獲得数歴代4位。棋道賞最優秀棋士賞を2度・優秀棋士賞を6度受賞。
来歴
高校の数学教師の囲碁愛好家の父より、兄(1988年に少年少女囲碁大会小学生の部で優勝を経験・元院生)と共に囲碁を習い、碁会所などで腕を磨く。1986年 旭川市立東栄小学校2年時に少年少女囲碁大会小学生の部で歴代最年少記録で優勝し、小学生名人となる。(このときの決勝の相手はのちにプロでタイトル争いをすることとなる高尾紳路)。1987年 旭川市立日章小学校3年で、連覇を掛け少年少女囲碁大会に出場するが、黒滝正憲に敗れ準優勝に終わる。その12月に母、兄とともに上京してアマチュア強豪菊池康郎の主宰する緑星囲碁学園に入園する。
1988年 板橋区立高島第四小学校4年時、東京都代表として少年少女囲碁大会に出場し、初の兄弟決勝戦となるが(2010年度までその後一度もない)、兄に敗れ準優勝に終わる。1989年に日本棋院院生。1993年 4月に入段。1997年 「週刊碁」1000号記念企画「十代棋士チャンピオン戦」で優勝。
1998年 六段に昇段。新人王戦優勝。以後、同大会に4期連続優勝。
2000年 新鋭トーナメント戦優勝。七段昇段。小林光一を3-2で破り第25期碁聖獲得(初タイトル)21歳11ヶ月での碁聖位獲得は最年少記録[1]。
2002年 棋聖戦リーグ入りし、B組で優勝し挑戦者決定戦で勝利。名人リーグ、本因坊リーグ入り。2003年 王立誠を4-1で破って第27期棋聖獲得。新昇段制度により、棋聖在位による九段昇段。名人戦挑戦。2004年 羽根直樹に3-4で敗れ棋聖位失冠。羽根を3-0で降し、第30期天元獲得。賞金ランキングで自己最高の2位。
2005年 第53期王座戦挑戦者、中環杯準決勝戦進出。第31期天元戦で河野臨に2-3で敗れ、タイトルを失う。
2006年 羽根直樹を4-0で破り第30期棋聖に復位。張栩を3-1で破って第54期王座獲得。初の二冠王に。天元戦挑戦権を獲得、河野に挑むが1-3で敗退。賞金ランキングで3年ぶりに2位。
2007年 小林覚の挑戦を4-0で退け第31期棋聖を防衛。タイトル防衛は初。11月、今村俊也の挑戦を3-1で退け、第55期王座を防衛。天元戦挑戦権を獲得、河野に挑むが1-3で敗退。
2008年 趙治勲の挑戦を4-3で退け第32期棋聖を防衛。棋聖3連覇を達成。張栩に1-3で敗れ、王座を陥落。10月 第1回ワールドマインドスポーツゲームズ囲碁男子団体戦に依田紀基、羽根直樹、河野臨、高尾紳路と日本代表チームを組み出場、銅メダルを獲得[2]。賞金ランキングで3年連続の2位。
2009年 依田の挑戦を4-2で退け、第33期棋聖を防衛、4連覇達成。天元戦にて張を3-2で破り、4年ぶりに天元を奪還。
2010年 第34期棋聖戦にて張栩に1-4で敗れ棋聖位を失冠。5連覇による名誉棋聖獲得はならなかった。第65期本因坊戦において、羽根直樹を4-1で破り、自身初となる本因坊位を奪取。第19期竜星戦にて優勝。全棋士参加の早碁棋戦での初タイトルとなる。第17期 阿含桐山杯優勝。賞金ランキングで2年ぶりの2位。
2011年 第66期本因坊戦において羽根直樹の挑戦を4-3で退け、本因坊位を初防衛。自身8年ぶりの名人挑戦となった第36期名人戦では井山裕太を4-2で破り、初の名人位を獲得すると共に史上7人目の名人本因坊となった。棋聖戦4連覇・本因坊襲位などが評価され、小林光一に続く囲碁界では2人目の北海道民栄誉賞受賞。
2012年 井山裕太の挑戦を受けた第67期本因坊戦は3-4で敗れ失冠。3連覇はならなかった。第37期名人戦は羽根直樹を4-3で退け、名人位を初防衛。
2013年 第22期竜星戦で河野臨を下し優勝。三コウ無勝負打ち直しの末の勝利であった。第38期名人戦で井山裕太棋聖に4-1で敗れ、無冠となる。第38期棋聖戦で井山裕太棋聖に挑戦が決定。
2014年3月13日、第38期棋聖戦で井山裕太棋聖に4-2で敗れ、タイトル奪取には至らず。11月13日、第39期棋聖戦挑戦者決定戦で村川大介七段に勝利し2期連続で棋聖戦挑戦権を得る。
2015年3月20日、第39期棋聖戦で井山裕太棋聖に3連敗の後3連勝するが敗退。8月7日、第40期碁聖戦で井山裕太碁聖に挑戦するが1勝3敗で敗退。11月9日、900勝達成。プロ入りから22年7ヶ月、37歳2ヶ月での到達は高尾紳路を抜いて最年少記録。[3] 賞金ランキングで5年ぶりの2位。
2016年、第40期棋聖戦で3年連続で挑戦するも井山裕太棋聖(六冠)の前のストレート負け。9月、第41期棋聖戦Sリーグ2位で挑戦者決定トーナメントに進出するも10月に張栩九段に敗れ4年連続の挑戦とはならなかった。
2017年、第42期碁聖戦で2年ぶりに挑戦するも井山裕太碁聖(六冠)の前にストレート負け。11月、第42期棋聖戦Sリーグ2位で挑戦者決定トーナメントに進出するも決勝で一力遼七段に敗れた[4]。
2018年 4月5日第73期本因坊リーグで2敗同士の黄翊祖八段に勝利し、同じく2敗の伊田篤史八段が芝野虎丸七段に敗れたため、山下が5勝2敗で3年ぶりに本因坊への挑戦権を獲得した[5]。7月1日、第73期本因坊挑戦手合で井山裕太七冠に1-3で敗退した[6]。9月3日、第44期天元戦挑戦者決定戦で許家元碁聖に中押し勝ちし井山裕太天元への挑戦権獲得[7]。
2019年、前年11月8日の第43期棋聖戦挑戦者決定変則三番勝負で勝利した山下は、井山裕太棋聖とのタイトル戦に臨んだ。七大タイトル17年連続出場は歴代2位の記録[8]。同時に史上24人目の通算1000勝を達成。25年7ヶ月での達成は史上最速記録[9]。井山と山下が七大タイトル戦の挑戦手合で対戦するのは、通算12回目で歴代最多記録となる(当時)[注釈 1][10]。しかし番勝負では敗れて、通算成績は1勝11敗となった。
2019-20年、第44期棋聖戦Sリーグでは2勝3敗で5位となり陥落[11]。
2020-21年、第45期棋聖戦Aリーグでは5勝2敗で1位となりSリーグ昇格。挑戦者決定トーナメントでは高尾紳路九段に敗北[12]。
2021-22年、第46期棋聖戦Sリーグでは0勝5敗で6位となり陥落。挑戦手合1局目では立会人を務めた[13]。
2022-23年、第47期棋聖戦Aリーグでは6勝1敗で1位となりSリーグ昇格[14]。挑戦者決定変則三番勝負に進出。勝てば2019年以来4年ぶりの挑戦手合進出であったが、芝野虎丸名人に敗れて挑戦を逃す。
2023年2月12日、プロ棋士ペア碁選手権2023では鈴木歩七段とペアを組み、初優勝。初戦から決勝までの4局すべてで逆転勝ちであった。
棋戦決勝進出結果
棋戦 |
三大タイトル |
他七大タイトル |
国際タイトル |
他大会 |
数 | 棋戦 | 期・回 | 対局日 | 相手 | ||
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優勝 | 1 | 新人王戦 | 23期 | 1998年10月 | 高尾紳路六段 | 2-1 |
優勝 | 2 | 新人王戦 | 24期 | 1999年10月 | 羽根直樹七段 | 2-0 |
優勝 | 3 | NEC俊英トーナメント | 14期 | 1999年 | 蘇耀国五段 | 1-0 |
優勝 | 4 | 新鋭トーナメント | 30期 | 2000年 | 高尾紳路六段 | 1-0 |
優勝 | 5 | 新人王戦 | 25期 | 2000年9月 | 羽根直樹八段 | 2-0 |
奪取 | 6 | 碁聖戦 | 25期 | 2000年 | 小林光一碁聖 | 3-2 |
優勝 | 7 | 新人王戦 | 26期 | 2001年9月 | 久保秀夫五段 | 2-0 |
奪取 | 8 | 棋聖戦 | 27期 | 2003年3月 | 王立誠棋聖 | 4-1 |
奪取 | 9 | 天元戦 | 30期 | 2004年12月 | 羽根直樹天元 | 3-0 |
奪取 | 10 | 棋聖戦 | 30期 | 2006年2月 | 羽根直樹棋聖 | 4-0 |
奪取 | 11 | 王座戦 | 54期 | 2006年12月 | 張栩王座 | 3-1 |
防衛 | 12 | 棋聖戦 | 31期 | 2007年2月 | 小林覚九段 | 4-0 |
防衛 | 13 | 王座戦 | 55期 | 2007年11月 | 今村俊也九段 | 3-1 |
防衛 | 14 | 棋聖戦 | 32期 | 2008年3月 | 趙治勲十段 | 4-3 |
防衛 | 15 | 棋聖戦 | 33期 | 2009年3月 | 依田紀基九段 | 4-2 |
奪取 | 16 | 天元戦 | 35期 | 2009年12月 | 張栩天元 | 3-2 |
奪取 | 17 | 本因坊戦 | 65期 | 2010年6月 | 羽根直樹本因坊 | 4-1 |
優勝 | 18 | 竜星戦 | 19期 | 2010年9月 | 中野寛也九段 | 1-0 |
優勝 | 19 | 阿含桐山杯 | 17期 | 2010年10月 | 二十五世本因坊治勲 | 1-0 |
防衛 | 20 | 本因坊戦 | 66期 | 2011年7月 | 羽根直樹九段 | 4-3 |
奪取 | 21 | 名人戦 | 36期 | 2011年10月 | 井山裕太名人 | 4-2 |
防衛 | 22 | 名人戦 | 37期 | 2012年11月 | 羽根直樹九段 | 4-3 |
優勝 | 23 | 竜星戦 | 22期 | 2013年9月 | 河野臨九段 | 1-0 |
- ^ 21歳の山下、最年少の碁聖に 初の公式タイトル
- ^ 日本棋院 第1回ワールドマインドスポーツゲームズ(WMSG)
- ^ 山下が3年連続棋聖戦挑戦者に【第40期棋聖戦挑戦者決定トーナメント】・ 山下敬吾九段 最年少900勝
- ^ 第42期 棋聖戦
- ^ “山下敬吾九段が挑戦者に!【第73期本因坊戦挑戦者決定リーグ最終一斉対局】”. 2018年5月3日閲覧。
- ^ 第73期 本因坊戦
- ^ 第44期 天元戦
- ^ 山下敬吾九段が囲碁棋聖戦の挑戦権獲得、通算1000勝達成
- ^ 山下棋聖戦挑戦者に! 同時に通算1000勝を達成【第43期棋聖戦挑戦者決定変則三番勝負】
- ^ 井山天元挑戦者に山下九段 7大タイトル戦歴代最多
- ^ “第44期 棋聖戦”. 2022年9月28日閲覧。
- ^ “第45期 棋聖戦”. 2022年9月28日閲覧。
- ^ “第46期 棋聖戦”. 2022年9月28日閲覧。
- ^ “第47期 棋聖戦”. 2022年9月28日閲覧。
- ^ a b 今週の本棚:好きなもの=山下敬吾 - 毎日jp・2012年4月8日
- ^ 囲碁名人戦七番勝負 第5局1日目ダイジェスト - 朝日新聞デジタル・2013年10月16日
- ^ 囲碁名人戦7番勝負 第1局2日目 - 朝日新聞デジタル・2011年9月2日
- ^ 本因坊戦:先番・山下で第70期開幕 - 毎日jp・2015年5月13日
- ^ https://twitter.com/migodojo/status/603026706551558144
- ^ “就位式で山下本因坊 「道吾」の号を披露”. asahi.com(朝日新聞社) (2010年8月26日). 2012年1月21日閲覧。
- ^ 旭川市「栄誉をたたえて表彰者一覧」
- ^ 旭川市「旭川市新人奨励賞受賞者一覧」
- ^ 北海道「栄誉をたたえて受賞者」
- ^ 旭川市「こうほう旭川市民」平成15年5月号
- ^ 北海道「栄誉賞受賞者」
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