貞慶とは? わかりやすく解説

じょうけい〔ヂヤウケイ〕【貞慶】

読み方:じょうけい

[1155〜1213平安末期から鎌倉初期法相(ほっそう)宗の僧。初め興福寺入り、のち、海住山寺住持した。戒律厳守し、旧仏教改革提唱法相宗中興称された。著「愚迷発心集」など。笠置上人解脱上人


貞慶

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/11/16 09:50 UTC 版)

貞慶
久寿2年5月21日 - 建暦3年2月3日
1155年6月22日 - 1213年2月24日新暦))
諡号 解脱上人
尊称 解脱房
生地 京都
宗派 法相宗
寺院 笠置寺
海住山寺
覚憲
弟子 信円
著作 『愚迷発心集』
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貞慶(じょうけい)は、鎌倉時代前期の法相宗である。 祖父は藤原南家の藤原通憲(信西)、父は藤原貞憲。号は解脱房。釈迦如来弥勒菩薩観音菩薩春日明神を深く信仰し、戒律の復興に努め、法相教学の確立に大きな役割を果たした。その一方で朝廷の信任も厚く、勧進僧と力を合わせ、由緒ある寺社の復興にも大きく貢献した。勅諡号は解脱上人。笠置寺上人とよばれた。興福寺の衆徒が法然らの提唱した専修念仏の禁止を求めて朝廷に奏上した『興福寺奏状』の起草者としても知られるのだ。

経歴

祖父信西は保元元年(1156年)の保元の乱の功により一時権勢を得たが、平治元年(1160年)の平治の乱では自害させられ、また父藤原貞憲も 土佐に配流された[1]。生家が没落した幼い貞慶は望まずして、興福寺に入り11歳で出家叔父覚憲に師事して法相を学んだ。

寿永元年(1182年)、維摩会竪義(ゆいまえりゅうぎ)を遂行し、御斎会・季御読経などの大法会に奉仕し、学僧として期待されたが、僧の堕落を嫌って建久4年(1193年)、以前から弥勒信仰を媒介として信仰を寄せていた笠置寺に隠遁した。それ以後般若台や十三重塔を建立して笠置寺の寺観を整備する一方、龍香会を創始し弥勒講式を作るなど弥勒信仰をいっそう深めていった。その間の文治2年(1186年)には大原勝林院法然重源によって行われた大原問答に出席している。

元久2年(1205年)には『興福寺奏状』を起草し、法然の専修念仏を批判し、その停止を求めた。しかし、法然に師事したのが、その時は既に亡くなっていたが、貞慶の叔父(父貞憲の弟)の円照 (遊蓮房)であった。

承元2年(1208年)、海住山寺に移り観音信仰にも関心を寄せた。

建長5年(1253年)に書かれた「三輪上人行状記」に、三輪上人(慶円)は、惣持寺の本尊・快慶作 薬師如来の開眼導師を解脱上人貞慶に依頼され行ったとあるように慶円三輪上人とは無二の親友であった。

貞慶の墓は、持聖院(旧惣持寺、奈良県生駒郡三郷町)・笠置寺京都府相楽郡笠置町)・海住山寺(京都府木津川市)でそれぞれ伝承される。平成28年(2016年)には持聖院境内の五輪塔下の骨壺(蔵骨器)に関して調査が実施され、壺内に残された人骨の分析により、五輪塔は貞慶の分骨墓であったと推定されている[2]

主な著作

法相・律・弥勒信仰に関する著作が数多く残されており、以下が代表的な著作。

  • 『唯識論同学鈔』(ゆいしきろんどうがくしょう)
  • 『法相心要鈔』(ほっそうしんようしょう)
  • 『愚迷発心集』(ぐめいほっしんしゅう)

注釈

  1. ^ 尊卑分脈』(吉川弘文館、1958年)第2篇、487頁
  2. ^ "奈良・持聖院 五輪塔、貞慶の墓か 鎌倉時代前期の高僧"(毎日新聞、2016年8月5日記事)。
    "奈良の寺に高僧・貞慶の骨? 塔の下から発見、年代測定"(朝日新聞、2016年8月12日記事)。

参考文献

  • 「解脱上人戒律興行願書」、「愚迷発心集」、「興福寺奏状」
日本思想大系15 鎌倉旧仏教』(鎌田茂雄田中久夫校注、岩波書店、初版1971年、新装版「続・日本仏教の思想」1995年)に収録
  • 多川俊映 『貞慶「愚迷発心集」を読む 心の闇を見つめる』(春秋社、2004年)- 著者は元・興福寺貫首(管長)
  • 『愚迷発心集 附愚迷発心集直談』、高瀬承厳校註、岩波文庫、初版1934年 - 復刊1986年、1996年。書き下しのみ。
  • 奈良国立博物館編 『御遠忌八〇〇年記念特別展 解脱上人貞慶 --鎌倉仏教の末流--』 (奈良国立博物館 神奈川県立金沢文庫 読売新聞社発行、2012年)
  • 『解脱房貞慶の世界 『観世音菩薩感応抄』を読み解く』阿部泰郎・楠淳證編(法藏館、2024年)

関連項目


貞慶

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/29 07:01 UTC 版)

念仏」の記事における「貞慶」の解説

貞慶は、釈迦観想念仏励行する一方で法然専修念仏批判した

※この「貞慶」の解説は、「念仏」の解説の一部です。
「貞慶」を含む「念仏」の記事については、「念仏」の概要を参照ください。

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