だいさんプラス‐せだい【第三プラス世代】
読み方:だいさんぷらすせだい
第三世代
第3世代 (OQS-X)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/16 01:30 UTC 版)
「海上自衛隊のソナー」の記事における「第3世代 (OQS-X)」の解説
技術研究本部第5研究所では、1978年(昭和53年)度から1982年(昭和57年)度にかけてアクティブソナー目標類別装置の研究を行なうなどの要素研究が重ねられていた。これを踏まえて、アクティブソナーやTACTASSなど複数のソナーを統合して海洋条件および用途に応じた信号処理を行なうことで運用の適正化を可能とするソナー・システム(OQS-X)の開発が着手された。 1984年(昭和59年)度から1986年(昭和61年)度にかけて試作、1986年(昭和61年)度から1987年(昭和62年)度にかけて技術試験が行なわれ、1988年(昭和63年)度から1989年(平成元年)度にかけて特務艦「あきづき」に搭載されての実用試験が行なわれた。OQS-Xは実用化されなかったものの、信号処理・類別技術や信号処理の共通化技術、ラバー製のソナードーム等はOQS-102およびOQS-5ソナーに採用されたとされている。
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第3世代(大幅向上型)
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「情報収集衛星」の記事における「第3世代(大幅向上型)」の解説
第3世代は、諸外国の光学衛星の開発動向を考慮して更なる高分解能化を目指した衛星である。分解能は60cm級とされており、姿勢制御能力を大幅に向上させて様々な角度からの撮影を行うことができる。また、衛星からの画像を処理するための地上システムも同時に増強されている。
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第3世代(携帯機)
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1980年代後半 - 1990年代前半に当たる。 第3世代の携帯機 ゲームボーイ ゲームギア PCエンジンGT PCエンジンLT ROMカートリッジ交換型の携帯型ゲーム機が実用的なスペックを獲得し、多彩なゲームが楽しめるようになった最初の世代である。Atari Lynx、ゲームギアのスペックは第3世代の据置ハードとほぼ同等であり、PCエンジンGTは据置機第4世代のPCエンジンと互換性があった。モノクロ液晶を採用したゲームボーイは、当時としては卓越した性能と画質を持つ他機種に大きく劣っていたが、当時の液晶技術は未熟で消費電力も大きく、カラー液晶機種はさらに高価でバッテリー(単三乾電池)消費も激しかったなかで、コンパクトで長時間駆動できるゲームボーイは携帯型ゲーム機で最も人気を集めた。ゲームギアは日本では商業的に苦戦したが、北米ではゲームボーイに対して善戦した。実用的な携帯型ゲーム機の登場によって電子ゲームのブームはこの世代で終了したが、電子ゲームは販売されつづけて一定の市場を維持しており、時にたまごっち(バンダイ・1997年)のような大ヒットとなるものもあった。 ゲームボーイ(任天堂、1989年) Atari Lynx、Atari Lynx II(アタリ、1989年、1991年) ゲームギア(セガ、1990年) PCエンジンGT(NECホームエレクトロニクス、1990年) 電子ゲーム バーコードバトラー(エポック社、1991年)
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第3世代(1931年)
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「オンド・マルトノ」の記事における「第3世代(1931年)」の解説
第3世代は楽器前面の木枠に鍵盤を模した絵が書かれたが、これは模造品であり、鍵盤としての機能は果たさない。
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第3世代(2019年〜)
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「Mac Pro」の記事における「第3世代(2019年〜)」の解説
Late 2013モデルの欠点を踏まえ、従来のタワー型モデルとも異なる設計のモジュラー式の採用を前提に開発されており、ラックマウントモデルも用意されるなど、筐体・内部構成が全面的に刷新されたフルモデルチェンジとなっている。 筐体は、ステンレス製の脚からハンドルまで繋がったSpace Fameと多数の穴Lattice Patternの空いたアルミニウム製のケースを採用している。 本体内部は、8つのPCI Expressスロットを搭載し拡張性に優れたロジックボート、及びそれに伴い最大構成でも十分なエアフローが得られるよう巨大な3機の静音ファンを搭載したデザインに刷新される。CPUは Intel Xeon Wを搭載。 前モデル同様の大幅な仕様変更により、パーツ自体の流用が不可能であるが、PCI Expressスロットの復活採用により、Mid 2012まで使用可能なPCI Express拡張カードの殆どが流用可能である。 オプションで脚を交換出来るキャスターも用意される。
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第3世代 (水電妨)
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「海上自衛隊の電子戦装置」の記事における「第3世代 (水電妨)」の解説
NOLQ-2のECMアンテナ。 NOLQ-2BのECMアンテナ。 NOLQ-3のECMアンテナ。 NOLQ-3DのECMアンテナ。 NOLQ-3のESMアンテナ群。 NOLQ-3DのESMアンテナ(DF)。 NOLQ-3DのESMアンテナ。 技術研究本部第4室では、ASMDに対応した次世代の電子戦装置として、昭和50年度より「水上艦用電波探知妨害装置」(水電妨)の開発に着手していた。これは瞬時探知・妨害を目標としており、昭和52・53年度には部分試作、昭和54・55年度には本試作を経て、昭和56年度から59年度にかけて、「ゆきかぜ」において技術・実用試験が行われた。 昭和58年度には開発を完了したものの、護衛艦に装備するには非常に大型となり、また開発期間中に技術的に陳腐化した部分も多かったことから、まずその技術を応用した電波探知装置としてNOLR-8が開発された。このような経緯があったことから、これは従来の電波探知装置とはまったく別系列で、対艦ミサイル防御(ASMD)を重視しており、通信波帯ESM機能を削除する一方で、ミサイル・シーカー波の瞬時探知・全方位同時捜索などの機能を備えていた。また戦術情報処理装置やOLT-3電波妨害装置との連接にも対応していた。昭和60年度艦より装備化されたものの、公試中から早くも長短両面が顕在化したことから、海上幕僚監部主導のもと、官民合同の戦力化検討会が設けられ、改良が重ねられた。 一方、水電妨を元にした電波探知妨害装置の開発も継続され、まずこんごう型(63DDG)よりNOLQ-2が装備化された。これは海上自衛隊のイージス艦において標準的な電子戦器材となり、あたご型(14DDG)でも、一回り小型化するなどした改正型であるNOLQ-2Bが搭載された。まや型(27/28DDG)でも同系列のNOLQ-2Cが搭載されたが、これはECM機能を削除した電波探知装置となった。 またDD・DDH向けとしてはNOLQ-3が開発された。これはむらさめ型(03DD)より装備化され、たかなみ型(10DD)にも搭載されるなど、第2世代DDで標準的な装備となった。 その後、デジタル化など最新の信号処理技術を適用したNOLQ-3Dに発展し、これは平成19年度計画艦から装備化された。受信系については、指向性アンテナを従来の回転式から固定式に変更し、従来のチャネライズド受信機をデジタル化することで感度向上をはかるとともに、探知距離の延伸を実現している。またいずも型のNOLQ-3D-1では、方向探知の方式を従来の振幅比較方式に対して位相差方式に変更し、精度向上を図っている。 あさひ型のNOLQ-3D-2では、更に妨害手法の追加やデジタル無線周波数メモリ (DRFM) の機能性能の向上、ECMアンテナのRCS低減などの改正が施されている。またOPY-1やOQQ-24などと同様、電子計算機とコンソールを国産のCOTS計算機であるOYX-1情報処理サブシステムに更新している。もがみ型のNOLQ-3Eでは、本型に搭載されるOPY-2 多機能レーダーとアンテナ部が共用化されており、レーダーとアンテナを共有するEA(電子攻撃)はXバンドに限定される。 このほか、ミサイル艇用の小型の電波探知装置として、NOLR-9も開発された。電波封止状況での捜索手段として用いられる。 搭載艦艇 NOLR-8あさぎり型護衛艦(58〜61DD) - 60DDよりNOLR-8を搭載、前期建造艦にも後日装備、OLT-3併載 あぶくま型護衛艦(61〜01DE) - NOLR-8・OLT-3 ましゅう型補給艦(12/13AOE) - NOLR-8B NOLR-91号型ミサイル艇(02/04PG) - NOLR-9 はやぶさ型ミサイル艇(11〜13PG) - NOLR-9B NOLQ-2こんごう型護衛艦(63〜05DDG) - NOLQ-2 あたご型護衛艦(14/15DDG) - NOLQ-2B まや型護衛艦(27/28DDG) - NOLQ-2C NOLQ-3むらさめ型護衛艦(03〜09DD) - NOLQ-3 たかなみ型護衛艦(10〜13DD) - NOLQ-3B ひゅうが型護衛艦(16/18DDH) - NOLQ-3C あきづき型護衛艦(19〜21DD) - NOLQ-3D いずも型護衛艦(22/24DDH) - NOLQ-3D-1 あさひ型護衛艦(25/26DD) - NOLQ-3D-2 もがみ型護衛艦(30FFM) - NOLQ-3E
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第3世代 (1971-1973)
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「ビュイック・リヴィエラ」の記事における「第3世代 (1971-1973)」の解説
1971年モデルのリヴィエラでは流れるような劇的な「ボート・テール」 デザインを取り入れ、革新的にデザインの変更が行われた。ビル・ミッチェル指導下で後に日産自動車のデザイン部門の長となるジェリー・ハーシュベルグ(Jerry Hirshberg)の手によるデザインは、リヴィエラのプラットフォームに1963年モデルのコルベット・スティングレー クーペのファストバック形式のリヤウィンドウを融合したものであった。このデザインは元々はGM・Aプラットフォーム(GM A platform)向けに用意されたものであったが、ホイールベースで3インチ(76.2 mm)長く、120 lb (54 kg)重い1971年モデルのリヴィエラの外観は議論を呼んだ。(『Collectible Automobile』誌は1971-76モデルのフルサイズ ビュイックに関する記事内で却下された1971-73モデルのリヴィエラに似た2ドア・クーペのスケッチを掲載した)455エンジンは、アメリカ合衆国環境保護庁の環境規制に合致するように圧縮比を下げたことにより255 hp (190 kW)、グランスポートで265 hp (198 kW)に低下していた。性能は適度な活気を保ってはいたが、リヴィエラのスポーティなイメージは急速に消えていった。注目に値する先進機構は、滑る路面での加速時に発生するホイールスピンを防止するトラクションコントロールシステムであるビュイック製「マックス・トラック(Max Trac)」であった。1971年モデルのリヴィエラはGMの「フルフロー("Full-Flo")」換気システムとトランクの蓋上にはまった2つの大きな格子を備えていた。(不運なことに、ある状況下では雨を巻き込み車室内に吹き返す真空状態が作り出されることから「フルフロー」換気システムは再設計され、1972年モデルでは格子はトランクの蓋から移設された) これらの装備にも関わらず1971年モデルのリヴィエラの販売台数は当時としては最低の33,810台に落ち込んだ。1972年モデルの変更点はほとんど無く、455エンジンがネット出力225 hp (168 kW)、グランスポートで250 hp (190 kW)の物へ変更されたが、ネット出力での実質低下は僅かに5 hp (3.7 kW)であった。販売台数は最低ラインの33,728台であった。1973年モデルでは250 hp (186 kW)エンジンが標準となり、ポジティブ・トラクション後輪デフ(positive traction rear differential)とクローム塗装のエアクリーナーを備えた「ステージ・ワン(Stage One)」パッケージでは260 hp (190 kW)となった。グランスポート パッケージは、後輪のスタビライザー、J78-15ホワイトウォール・スチールベルトのラジアルタイヤ、特製チューンの「ラジアルタイヤ仕様("radial roadability")」サスペンション、追加の遮音材と特製「"Gran Sport"」バッジを備えたハンドリング・パッケージとして別オプションながらまだ残されていた。1973年モデルは、後部の「ボート・テール」が幾分大人しい形状になったことで1972年モデルと識別でき、この変更によりリヤバンパーは平たい形状になった。 1972年モデルのリヴィエラは、テレビドラマの騎馬警官の中で主要登場人物のレイ・ベッキオ刑事(Detective Vecchio)を取り巻いて散見される。
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