現存状況
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「九条家本源氏物語系図」の記事における「現存状況」の解説
最初と最後の部分が失われており、現存部分は光源氏(六条院)の途中からはじまり常陸介の系譜で終わっている。「九條」なる蔵書印は現存部分の冒頭に押されているため九条家のものとなる以前に欠けてしまったと考えられている。 このような状況であるため、本写本が本来どのような題名(外題・内題)が付けられていたのかも不明であり、序文や奥書があったのかどうかも不明である。さらには他の古系図において「前付」や「後付」などと呼ばれて系譜部分の前や後に付けられていることがある 系譜に挙げた人物を数え上げる記述 不入系図(系譜の明らかでない人物を個々に列挙したリスト) 源氏物語の巻名や巻序の説明(『源氏物語巻名目録』 詠歌の数を巻別や詠歌者別に数え上げる記述 源氏物語のおこりといったさまざまな源氏物語に関する言説 などがもともとはあったが欠けてしまったのか、それとも最初から無かったのかも不明である。
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現存状況
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「70年代われらの世界」の記事における「現存状況」の解説
1975年11月27日放送の「大学卒~高学歴社会と職業~」(PHP研究所提供)ほか数回分が保存されている。
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現存状況
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/02 06:39 UTC 版)
東京23区内では2013年現在5本が残っているのみである。 埼玉県川越市では蔵造りの町並みや寺社にあるポストは景観を考えて丸型にしている。 東京都小平市では2021年現在37本残っている。小平市の公式サイト内でも紹介されており、これは都内の自治体で最高の保有数である。小平市では2008年11月から「丸ポストマップ」を配布しており、2009年11月5日〜12月6日の間「小平丸ポストラリー」(スタンプラリー)が実施された。また、イベントを記念してルネ小平(小平市民文化会館)前に日本一大きな丸ポストが設置された。 兵庫県芦屋市では2020年8月現在17本残っている。市内のポストは半数以上が丸型である。 愛知県名古屋市では「郵便差出箱1号(丸型)」は2014年現在、4本が残っているのみである。 愛知県半田市には2021年現在で5本が現役で存在する。うち2本は地区祭礼での山車の運行に支障が出ないよう意図的に残してあるもの、他の3本は観光目的で新たに設置されたものである。
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現存状況
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「藤原定家自筆本源氏物語」の記事における「現存状況」の解説
現在、藤原定家自らが筆をとったとされる源氏物語の写本として「花散里」、「行幸」、「柏木」、「早蕨」、「野分」、「若紫」の6帖のみが断片的に現存しているが、その多くはさまざまな問題を含んでいるために定家筆としては扱われないこともある。 「花散里」(尊経閣文庫蔵)一面九行。帖末に『奥入』は無い。下記の「柏木」帖とともに同じ箱に入れられて加賀藩の藩主前田氏に伝来したものであり、外題は後柏原天皇の筆とされる。納めた箱には第三代藩主前田利常の筆で「花散里 柏木 定家卿筆」とある。寛永4年5月16日(1627年6月29日)付けの古筆了佐の添状が付されている。定家自筆と伝えられるものの全文が定家「風」の書体であり、定家自筆とは認め難い筆跡である。また、引歌が付箋に貼付されているが、それも定家筆ではない。校異源氏物語及び源氏物語大成校異編に底本として採用されている。 「柏木」(尊経閣文庫蔵 )一面九行、十行、十一行が混在。帖末に『奥入』(第一次)を有する。上記「花散里」帖とともに同じ箱に入れられて加賀藩の藩主前田氏に伝来したものである。第1丁表1行目「衛門のかむのきみ」から第11丁裏5行目「おとろ/\し」までが定家筆と見られ、第11丁裏6行目「御かた/\さま/\に」以下最終50丁裏2行目「なれはこのきみゐさりなと」までは定家「風」筆である。帖末51丁表と裏には奥入が付載されているが、それも定家風筆で、定家自筆とは認め難い筆跡であり、定家が家中の子女に書かせたものと見られている。また、引歌が付箋に貼付されているが、それも定家筆ではない。校異源氏物語及び源氏物語大成校異編に底本として採用されている。 「早蕨」(安藤積産株式会社蔵)一面九行。帖末に『奥入』は無い。保阪潤治旧蔵本であるが、別本の保坂本とは別のものである。1935年(昭和10年)5月付けの「野崎・木村両家入札品目録」に現れ保阪潤治の所蔵となったとされる。校異源氏物語及び源氏物語大成校異編に底本として採用されている。長らく詳細な調査が行われていなかったが、2018年(平成30年)、後述する「行幸」巻と共に影印本が刊行された。1937年に重要文化財に指定されている。現在は安藤積産株式会社の所蔵となっている。 「行幸」(文化庁蔵)一面八行。帖末に『奥入』を有する。名古屋市某家の入札目録に現れて関戸家の所蔵となり「関戸本」として紹介される。校異源氏物語及び源氏物語大成には採用されていない。大津有一は「関戸家旧蔵本」とし、「現在の所有者は不明」としたが、玉上琢弥は「現在も名古屋の関戸家にあることを知り調査を願い出て許された」として自身の注釈付き校本である『源氏物語評釈』の底本として使用している。玉上琢弥によれば明らかに定家筆とは異筆であり、定家が邸内の者に書かせたものではないかという。その後、2016年(平成28年)になって東京都内の業者から文化庁が購入しており、現在は同庁が保管している。2018年に先述した「早蕨」巻と共に影印本が刊行された。文化庁によると、この巻も加賀藩前田氏に伝来したもので、五十嵐道甫作の蒔絵箱に収められているという。1935年(昭和10年)に重要美術品に認定され、2018年に重要文化財に指定されている。 「野分」(天理大学附属天理図書館蔵)定家筆と伝えられている写本であるが、定家の筆跡としては疑問が多く、鎌倉末期の書写と見られており、河内本に近い本文を含んでいるとされる。校異源氏物語及び源氏物語大成には採用されておらず、「定家本がある巻はこれを用いる」とされている玉上琢弥の『源氏物語評釈』にも用いられていないが、『新編日本古典文学全集』には上記のような問題点を認めつつも対校本文の一つに採用されている。 「若紫」(大河内家蔵)冷泉家時雨亭文庫(京都市上京区)が2019年(令和元年)10月8日、東京都の旧三河吉田藩主大河内松平家の子孫宅から発見したと発表。本文が記されてある紙が鎌倉期に多く見られる繊維が不揃いな「楮紙打紙(ちょしうちがみ)」が使われていたことなどから、定家本と断定した。存在が確認されていなかった帖の発見であるため、現在使用されている教科書の「若紫」の本文が書き換わる可能性があり、今後の検証が待たれる。明治時代に作成された目録によれば、1743年(寛保3年)に福岡藩主黒田継高から老中松平信祝に贈られたものとされる。
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現存状況
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/04/21 05:47 UTC 版)
第5巻とされる若菜上から幻までを含む天理大学付属天理図書館蔵本1冊(佐佐木信綱旧蔵本。1945年(昭和20年)に天理大学図書館の所蔵になる。)のみが知られている。その他に「華洛非人桑門了悟」なる著者名と奥書の「至徳3年」という日付が共通することから本書から「本の事」つまり『源氏物語』の写本や本文に関する記述を抜き出したと見られる『光源氏物語本事』なる書物が存在しており、島原松平文庫蔵本と高田市立図書館蔵本の二つの写本の存在が確認されている。
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現存状況
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/03 07:50 UTC 版)
本絵巻で現存するのは絵巻全体の一部分のみである。 名古屋市の徳川美術館に絵15面・詞28面(蓬生、関屋、絵合(詞のみ)、柏木、横笛、竹河、橋姫、早蕨、宿木、東屋の各帖)、東京都世田谷区の五島美術館に絵4面・詞9面(鈴虫、夕霧、御法の各帖)が所蔵され、それぞれ国宝に指定されている。徳川美術館に所蔵されている3巻強はもと尾張徳川家にあったものである。一方、五島美術館にある1巻弱はもと阿波蜂須賀家にあったものが明治20年頃に他の美術品などと一括して美術商柏木探古に売却され、その後実業家で茶人の益田孝(鈍翁)の所蔵となり、さらに戦後になって東京コカ・コーラボトリングの創業者・高梨仁三郎の所有となり、東急グループの総帥・五島慶太が同人の死の直前に買い取ったものである。 徳川本・五島本とも1932年(昭和7年)、保存上の配慮から田中親美によって詞書と絵を切り離し、巻物の状態から桐箱製の額装に改めたものの、徳川本に関しては、2018年(平成30年)、台紙が反ったり、紙に亀裂が出たりしたという、保存上の理由から、再び巻子本に表装し直された。このほか、東京国立博物館に若紫の巻の絵の断簡があり、書芸文化院の春敬記念書道文庫に飯島春敬が収集した末摘花、松風、常夏、柏木の詞書の断簡が、その他数箇所に若紫、薄雲、少女、蛍、柏木の詞書の断簡が所蔵されている。但し個人蔵とされているものの中には現在所在不明になっているものもあるとされている。2015年11月13日、徳川美術館により源氏物語絵巻の修理過程で計3面から構図の異なる下絵が見つかったと発表された。
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現存状況
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/27 10:24 UTC 版)
1347年に書写された写本が現存しており、天理大学付属天理図書館に所蔵されている。
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現存状況
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/27 10:18 UTC 版)
2種類の写本があり、前田育徳会尊経閣文庫と国立歴史民俗博物館にそれぞれ所蔵されている。前者は九十九条、後者は百七条で構成されている。写された時期は尊経閣文庫のものが室町時代中期、国立歴史民俗博物館のものが1550年とされている。国立歴史民俗博物館所蔵の写本は、尊経閣文庫所蔵の写本の誤りと思わしき記述が訂正されている他、尊経閣文庫写本には見られない九ヶ条がある。ただし、二十四条が欠落している。
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現存状況
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/14 04:22 UTC 版)
日本テレビ社内のライブラリーには、リストに記載はあるものの、現物は見つからない状態だという。また、NHK放送文化研究所の高橋浩一郎は「映像は残っていない」としている。 なお、本作のスチル写真は「テレビ夢50年 番組編①」、「キネマ旬報」1958年2月上旬号、「キネマ旬報」1958年3月下旬号に掲載されている。
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