現存機・レプリカ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/07 06:48 UTC 版)
終戦時、設計図や資料、及び組み立て途中の2、3号機と十数号機までの部品類が海軍の命令で焼却されたが、1号機は蓆田飛行場の格納庫に保管された。のち連合国軍の命令により、破壊された風防などが復元され(敗戦に憤慨した工員が破壊したといわれている)、さらに飛行させてみよという命令も出たがこれは果たせなかった。 1号機は昭和20年10月に船便にてアメリカへ研究のために運ばれた。また九州飛行機本社以外の分工場に保管されていた資料類も英訳してアメリカ軍に引き渡された。1号機は国立航空宇宙博物館の復元施設であるポール・E・ガーバー維持・復元・保管施設にて分解状態のまま保存されていたが、2017年現在はスティーブン F. ユードバー=ハジー・センター(国立航空宇宙博物館別館)で操縦席から前の部分のみが展示されている。 2022年7月から、福岡県朝倉郡にある太刀洗平和記念館に実物大の模型が展示されている。この模型は東京の映像制作会社が作ったものである。
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