現存砲
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/26 07:52 UTC 版)
「一式機動四十七粍速射砲」の記事における「現存砲」の解説
主力対戦車砲であったため、比較的多数が現存しており各地の軍事博物館・基地等で収蔵展示されている。 左側 右側 後方左側 後方右側 一式機動四十七粍砲 一式機動四十七粍砲。塗装(迷彩)の色やパターンは当時とは異なる 一式機動四十七粍砲。防楯は当時とは異なる
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現存砲
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/21 20:12 UTC 版)
横浜環状北線の建設にあたって土壌調査が行われていた横浜市の子安台公園から、2008年1月に砲身が出土した。この砲身は、千葉市の陸上自衛隊高射学校(下志津駐屯地)構内に保管展示されている。 2021年、東京都足立区の工事現場で本砲の本体部分が発見され、錆落とし等の整備のため陸上自衛隊の施設に移送されたと報じられた。 2021年11月現在、陸上自衛隊下志津駐屯地に本体部分が置いてあるのが確認されている。
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現存砲
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「68式155mm迫撃砲」の記事における「現存砲」の解説
陸上自衛隊土浦駐屯地に所在する陸上自衛隊武器学校に二次試作砲が展示されている。
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現存砲
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九六式十五糎榴弾砲の主な現存砲として、沖縄戦を戦った上述の野戦重砲兵第1連隊第2大隊第4中隊の1門が、独立重砲兵第100大隊の八九式十五糎加農とともに良好な状態で東京都千代田区の靖国神社内遊就館に展示されている。これは戦後に沖縄駐留のアメリカ軍が回収し同県の在郷軍人会施設に展示されていたが、同連隊附の経歴をもつ東久邇盛厚を総裁とする関係者一同からなる団体の要請により日本側に返還され、1966年(昭和41年)に靖国神社に奉納されたものである。このほか、沖縄県西原町の西原中央公民館にも2004年(平成16年)に同町陣地壕跡から発見された同連隊の1門が展示されている(以前、西原町立図書館に展示されていた物)。なお、両砲ともに防盾は失われている。 日本国外では、主に中華人民共和国・北京市の中国人民革命軍事博物館の1門(国共内戦で使用され、防盾および車輪を改造)、 イギリス・ハンプシャー州ラムジーの公園内(最上掲画像)の1門など、複数門が比較的良好な状態で現存・展示されている。
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現存砲
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2014/10/23 13:14 UTC 版)
「オードナンス BLC 15ポンド砲」の記事における「現存砲」の解説
王立オーストラリア銃砲博物館(Royal Australian Artillery Museum)、シドニー 南アフリカには6門が現存している。1門はヨハネスブルグの南アフリカ国立軍事博物館(South African National Museum of Military History)に、2門がグラーフ=ライネのKollege Roadに野外展示されており、キンバリー、ケープタウンおよびもう一箇所に1門ずつ現存している。
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現存砲
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/12/20 06:40 UTC 版)
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現存砲
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/22 19:16 UTC 版)
八九式十五糎加農の現存砲として、上述の独立重砲兵第100大隊で運用され沖縄戦に投入されていた第137号砲(1942年・大阪陸軍造兵廠製)が、野戦重砲兵第1連隊の九六式十五糎榴弾砲とともに、レストアを経て極めて良好な状態で靖国神社の遊就館1階玄関ホールで展示されている。本展示砲は洞窟陣地に埋もれていた状態で沖縄戦後に海兵隊に発見され、アメリカ合衆国による沖縄統治時は同軍の博物館にて展示され、沖縄本土復帰後は陸上自衛隊那覇駐屯地に移管、1993年(平成5年)に靖国神社に奉納されたものである。 また、沖縄県の大里農村環境改善センターにも同第100大隊の本砲が原型をとどめている比較的良好な状態で、付属の砲架車・ジャッキおよび九四式三十七粍砲の残骸とともに敷地内に展示されている。本展示砲は2003年(平成15年)に同地にて地中より発掘されたものである。平成28年(2017年)3月、南城市玉城糸数の糸数アブチラガマ近くの南部観光総合案内センター前広場に移設。 なお、このほかラバウルなど外地にも現存している。
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現存砲
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/06/14 09:06 UTC 版)
「試製57式105mm軽りゅう弾砲」の記事における「現存砲」の解説
愛知県幸田町にある幸田町郷土資料館に開脚式の二次試作砲が展示されている。
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現存砲
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「八八式七糎野戦高射砲」の記事における「現存砲」の解説
現存砲としては靖国神社遊就館や、中国人民革命軍事博物館などに比較的良好な状態で収蔵・展示されているほか、フィリピンのオロンガポ(英語版)にある鴨緑丸で死亡した捕虜の慰霊碑に用いられている。
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現存砲
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「一式十二・七粍固定機関砲」の記事における「現存砲」の解説
ホ103は比較的多数が世界に現存しており、代表的な物としては日本国内では茨城県稲敷郡の陸上自衛隊武器学校に九八式旋回機関銃などとともに、また大阪府交野市星田では2005年(平成17年)3月16日に第2京阪道路工事作業中、地中より弾薬数発とともに見つかったホ103が、同じく出土したホ5・ハ40・プロペラ・機体残骸とともに同市のスポーツ施設に展示されている。 なお交野市のこの出土品は、1945年(昭和20年)7月9日正午頃の同市星田村上空におけるP-51との空戦で撃墜された、飛行第56戦隊(伊丹飛行場駐屯)所属・中村純一陸軍少尉(死後陸軍中尉に特進)の搭乗機である三式戦「飛燕」一型丁(キ61-I丁)ないし二型(キ61-II改)であることが判明している。中村中尉は被撃墜時に乗機より脱出し落下傘降下したものの、P-51に落下傘索を切られ戦死(墜死)しており、遺体は同地住民の手により弔われ慰霊碑が建てられている。 国外ではスミソニアン国立航空宇宙博物館(八九式旋回機関銃、九八式旋回機関銃とともに)、中国人民革命軍事博物館(九八式二十粍高射機関砲などとともに)、タイ王国空軍博物館(八九式旋回機関銃、ホ5などとともに)などで展示されている。
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現存砲
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/29 23:55 UTC 版)
現存する本砲のうちの一門がスミソニアン国立航空宇宙博物館 スティーブン F. ユードバー ハジーセンター(Smithsonian National Air and Space Museum Steven F. Udvar-Hazy Center)にて展示されている。
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現存砲
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/07/12 07:04 UTC 版)
「二式二十粍固定機関砲」の記事における「現存砲」の解説
日本国内では大阪府交野市星田にて、2005年(平成17年)3月16日に第2京阪道路工事作業中に地中から見つかったホ5が、同じく出土したホ103・ハ40・プロペラ・機体残骸とともに同市のスポーツ施設に展示されている。約60年が経っての発見であるが出土品の状態は総じて良好で、ホ5は砲身付根が曲がっているだけで原型を留めている。 なおこの出土品は、1945年(昭和20年)7月9日正午頃の同市星田村上空におけるP-51との空戦で撃墜された、飛行第56戦隊(伊丹飛行場駐屯)所属・中村純一陸軍少尉(死後陸軍中尉に特進)の搭乗機である三式戦「飛燕」一型丁(キ61-I丁)ないし二型(キ61-II改)のものであることが判明している。中村中尉は被撃墜時に乗機より脱出し落下傘降下したものの、P-51に落下傘索を切られ戦死(墜死)しており、遺体は同地住民の手により弔われ同地には慰霊碑が建てられている。 日本国外には一定数が現存している。
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