大河内松平家とは? わかりやすく解説

大河内松平家

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/24 10:20 UTC 版)

大河内氏」の記事における「大河内松平家」の解説

天正15年1587年)、秀綱の二男正綱が家康の命で長沢松平家庶流松平正次養子となり、旗本として出世の後、元和3年1617年)に相模玉縄藩2万2000石の大名となったことから、この子孫は大河内松平家と呼ばれる。正綱の兄大河内久綱の子で正綱の養子となった松平信綱は、3代将軍徳川家光小姓から老中に進むとともに武蔵忍藩埼玉県行田市)3万石・同川越藩主(同県川越市)6万石加増され、島原の乱慶安の変鎮圧などで活躍した江戸時代には大名家として三家があった。玉縄藩松平正綱長男正信相続し、その孫正久のときに上総大多喜藩転じた松平信綱その子孫代々松平伊豆守」を名乗り下総古河藩三河吉田藩移りながら老中何人輩出した。信綱の五男信興は下総土浦藩に封ぜられ、養子輝貞からは上野高崎藩主として幕末至った。 なお、近世以前分かれた一族別系に、代々大河内善兵衛」を称した旗本があった。 明治以後大河内氏復し大名三家子爵となった大多喜藩主の末裔として、理化学研究所所長務めた物理学者大河内正敏がいる。 2019年藤原定家による源氏物語若紫巻の鎌倉時代写本が、大河内家邸より発見された。

※この「大河内松平家」の解説は、「大河内氏」の解説の一部です。
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