『源氏物語』の写本
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「光源氏物語本事」の記事における「『源氏物語』の写本」の解説
『源氏物語』の写本について、本書では「本々のこと」として以下のような現在では全く知られていないだけでなく、『源氏物語のおこり』といった伝説的な記録を除けば他の古注釈などにも全く見られないものまで含めたさまざまな写本について、本文の違いだけでなく判型や表装などについてまで具体的に言及している。 「大炊御門齊院式子内親王御本」 式子内親王とは後白河天皇の第3皇女である。宰相入道頼隆によれば、この写本には「譜巻」なるものが付されていたという。 「紫式部自筆本」 具体的な写本の形状についての記述が無く、今井源衛は「おそらく自筆本そのものを見たのではなく自身が推測した本文の原型について述べたのではなかろうか」としている。 「宇治宝蔵におさめらるる本」 宇治宝蔵とは藤原摂関家累代により築造され、その宝物などを納めた現在では宇治平等院のみが現存する宇治の大伽藍のことであると思われる。『山頂湖面抄』などいくつかの古記録にある「雲隠帖などをこの宇治の宝物殿に隠した」といった伝承との関係が注目される。 「比叡法花堂本」 下記の「比叡山中堂奉納の本」との関係は不明。同一のものを指している可能性もある。 「延久三宮御本」 「延久三宮」とは後三条天皇の皇子である輔仁親王のことと思われる。 「陰明門院御調度草子」 陰明門院とは関白藤原頼実の女、藤原麗子=大炊御門麗子のことと思われる。 「鷹司院按察局福光殿」 按察使検別当源光親の女、源光俊の妹と思われる。 「女院御本 宣揚門院より御相伝本」 宣揚門院とは後白河天皇皇女覲子内親王のことと思われる。 「野宮左大臣殿御本」 野宮左大臣とは徳大寺公継のことと思われる。 「京極自筆の本」 「京極」とは「京極中納言」すなわち藤原定家のことで、この「京極自筆の本」とは青表紙本のそれもおそらくは原本のことであると思われる。「本の奥の巻ごとに勘注などあり」との記述があることから独立した本になる前の第一次奥入が含まれている写本であると思われる。「こと葉もよのつねよりも枝葉をぬきたる本」と批判されている。この「京極自筆の本」に対する「こと葉を抜きたる本」との批判について、青表紙本と河内本やいくつかの別本の本文を比較したとき青表紙本の本文が一番短く簡潔な表現をとっていることが多いため、単に本文のあちこちから装飾的な短い語句を取り去ったようなことを意味するとする見方もある一方で、既存の本文からのもっと大規模な文章の除去、例えば古くは『源氏物語』の中の巻として扱われてきた巣守や桜人のような巻を『源氏物語』から排除したことを意味するのではないかとする見方も存在する。 「頼隆宰相入道本」 頼隆宰相入道とは藤原頼隆のことと思われる。「仮名に漢字を付けたり」とあり、簡単な意味を示す注釈の付された写本であるとしている。 「孝行が本」 河内本のことと思われる。「関の東の人々がら大きなる草を用ひたり」「わろき本」として厳しく批判している。光行、親行、義行、知行のいずれでもなく「孝行が本」と呼んでおり、この「孝行」がこれまで不明であった『紫明抄』の著者素寂の俗名であるとする根拠に使われることがある。 「比叡山中堂奉納の本」 紫式部が女房として仕えた藤原彰子が奉納した本であるとされている。 「大斎院選子内親王へまいらせるる本」 選子内親王とは紫式部らと同時代に人物であり、『源氏物語のおこり』などに記された「『源氏物語』はもともと選子内親王の依頼で書かれた物語である」との伝承との関係が注目される。 「源氏抄」 梗概書や注釈書に付けられるような名前で呼ばれているが、『源氏物語』の写本と並べて記載されている。 「自余の古本」 いくつかの複数の写本を指していると思われ、上記のような個別に列挙したもの以外にいくつかの茶本が存在することを示唆している。
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