写本の主な所蔵者
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/26 01:10 UTC 版)
近代以前には源氏物語の写本はほとんどは天皇をはじめとする公家・大名などの武家・神社・寺院などのものであり、わずかに一部の写本がそれらより身分の低い裕福な町人や農民のものであったと見られる。本居宣長は当時の流布本である青表紙本系統の湖月抄の本文と河海抄や花鳥余情に引かれた多くは河内本系統の本文とが異なっている事などから本文の問題に関心を抱き、自身の注釈書『源氏物語玉の小櫛』では第4巻1巻分をまるまる割いて本文の問題を論じているが、現代から見て本文性格のはっきりしないあまり良質の本文を持つとは考えられない古写本を2本しか見ることが出来なかったとされている。室町時代末期から江戸時代初期にかけては豊臣秀次から徳川家康へ、家康から尾張徳川家へといった形で伝えられた「尾州家本」のように豊臣・徳川といった新興の権力者が貴重な古写本を集める、あるいは公家などから自ら献上されたり、また「大沢本」のように功臣に対して貴重な古写本を下賜するといった事例が見られる。 明治時代以降このような伝統的な所有者から大量に放出され、多くは明治時代以降に勃興した財閥などの個人的な資産家のものになっていき、一部は海外に流出していった。第二次大戦後には財閥解体や財産税などによって個人で高額な資産を維持していくことが困難になり公家や大名の流れを汲む資産家や財閥の関係者などとして資産を得た者が保有していた多くの写本が再度大量に流出した。それらの写本は大学や公的な研究機関のものになっていった。
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