『源氏物語』注釈史上での位置づけ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/11/17 14:48 UTC 版)
「河海抄」の記事における「『源氏物語』注釈史上での位置づけ」の解説
『河海抄』以前には、『源氏物語』の注釈書としては、 当時の文化の中心地といえる京都から離れた鎌倉を中心に活動していた河内方により作られた注釈書(『水原抄』、『紫明抄』、『原中最秘抄』) 特に理解が困難な点について写本に書き付けられた添書を抜き出してまとめた注釈書(『源氏釈』、『奥入』) 解釈が分かれる点についてのみ議論形態で書かれた書(『弘安源氏論議』) といったものしかなく、初めて作られた本格的な『源氏物語』の注釈書であって、これ以前の注釈書の集大成的に位置付けられるとともに、これ以後の源氏物語の注釈の基礎を築いたといえるものである。『源氏物語』の注釈書の歴史においては本書までの注釈書を「古注」、これ以後の注釈書を「旧注」と呼んで区分されている。
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