新島七五三太とは? わかりやすく解説

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新島襄

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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/24 06:50 UTC 版)

新島 襄(にいじま じょう 英字表記:Joseph Hardy Neesima1843年2月12日天保14年1月14日) - 1890年明治23年)1月23日)は、キリスト教徒教育者である。


注釈

  1. ^ 日本基督組合教会の牧師・松山高吉が「Joe」の漢字化にあたり、「譲」を避けて「襄」にするように新島に進言した。[4]
  2. ^ 旧主家の板倉氏の祖である板倉勝重京都所司代を務めたこともある関係で、新島家は公家とも広く親交があった。
  3. ^ 北里柴三郎の従妹で、のちに京都大学病院初代看護婦長を務めた。
  4. ^ 公義は初め、早世した双六の跡を継ぐ名目で新島家に養子縁組し、襄からは義理の甥となる。襄にも実子が無かったので、襄の死後に新島家自体の家督も継いだ。

出典

  1. ^ 新島襄~キリスト教主義による「一国の良心」教育、2018年01月23日 公開、2022年08月25日 更新、2024年2月26日閲覧
  2. ^ ポール・F・ボラー 『アメリカンボードと同志社:1875-1900』北垣宗治 訳、新教出版社 2007年発行 18-19頁 ISBN 9784400226635
  3. ^ 新島襄と同志社女学校 - 同志社女子大学
  4. ^ 『現代語で読む新島襄』290頁
  5. ^ 小野(2003年)91頁
  6. ^ 同志社山脈編集委員会編 『同志社山脈』 晃洋書房、2003年、32頁
  7. ^ 『同志社九十年小史』 56頁、166頁、309-310頁
  8. ^ 同志社々史々料編纂所 『同志社九十年小史』 学校法人同志社、1965年、34-37頁
  9. ^ 『新島襄全集 第3巻(書簡集)』p169-173。「明治13年2月25日付新島八重への手紙」より
  10. ^ a b 石田明夫「会津の華は凛として」 第48回「夫・襄との別れ」 福島民友新聞社、2013年2月24日
  11. ^ 「新島襄の交遊」本井康博 著・2005年 思文閣出版 ISBN 4784212329
  12. ^ 『新島襄 良心之全身ニ充満シタル丈夫』 278-309頁
  13. ^ 田尻佐 編『贈位諸賢伝 増補版 上』(近藤出版社、1975年)特旨贈位年表 p.35
  14. ^ 【文化人シリーズ】新島襄 | シリーズ切手(昭和),文化人 | 日本郵便趣味協会
  15. ^ a b c 歴史秘話ヒストリア「明治悪妻伝説 初代“ハンサムウーマン”新島八重の生涯」


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