戦中・戦後編(1940年代)
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「とと姉ちゃん」の記事における「戦中・戦後編(1940年代)」の解説
1940年(昭和15年)、常子は職場の先輩に誘われてビアホールに行くが、男性客に絡まれ乱暴されそうになり、通りすがりの不良・お竜たちに助けられる。警察に事情聴取され常子は無罪釈放となるが、事件が誤解された形で上司に伝わり懲戒解雇される。同じ頃森田屋は、経営難と、妊娠した一人娘・富江を労るために、高崎への移転を決めて東京を去り、小橋母娘は再び青柳家の世話になる。そして、タイピストへの再就職が見つからない常子は、甲東出版の事務に就職する。 常子は甲東出版で働くなか、内務省職員で挿絵・標語作家の花山伊佐次と出会う。男女平等な社風もあり常子の提案が雑誌記事に採用されるが、検閲により問題内容と判断されて編集長・谷誠治が逮捕拘束、掲載ページは削除が命じられる。一方、滝子は再生不良性貧血を患い容体は悪化、戦争により経営が次第に圧迫されていた青柳商店は1942年(昭和17年)陸軍に店舗兼住宅建物の供出を求められたことを機に廃業を決める。滝子は木曽の療養地へ移り、小橋母子は目黒の借家に転居する。 1944年(昭和19年)、戦局は激しさを増していく。甲東出版の社員たちは徴兵されていき、やがて独り残された常子は社の蔵書で貸本業を営む。妹たちは学校を卒業し、鞠子は軍需工場の事務職、美子は軍服の縫製工場で働くが、美子の宝物を物々交換に差し出す程に食糧事情は厳しく、更に隣組組長に理不尽な言動をされ怒りを堪えながら小橋家は日々を暮らしていく。1945年(昭和20年)、常子は東京大空襲から焼け出された人々の群れの中に妹弟を連れて歩くお竜を見つける。小橋家に招かれ休息するお竜は、戦争が終わったら色々な事を知りたいという希望を常子に話し、翌日避難先へ旅立っていく。小橋母子が空襲や女世帯の危険に不安を感じ始めたある日、突如叔父の小橋鉄郎が訪れ、彼女たちのために同居を始める。そして8月、玉音放送を聞いた常子は、戦争に負けた悔しさを感じつつも、自由に雑誌を作れる喜びに心を弾ませる。 甲東出版は社員らが帰還して雑誌の復刊に全力を注ぐ。食料難は続く一方で闇市が活気を見せる中、小橋家は、戦地からの引揚者に職を奪われて鞠子は失業し、常子の給料と君子・美子の内職の収入で日々を食いつないでいた。ある日、綾が小橋家を訪ねてくる。夫や資産を戦争で失い、どん底の生活に追い詰められながらも、青鞜の教えを胸に生きている綾を見た常子は、戦争で翻弄されてきた女性のために雑誌を作ろうと決意。鉄郎の助言もあって甲東出版を退職して出版社を立ち上げ、妹たちの協力を得て女性向け雑誌を発行する。初版は完売したが程なく安い模倣品が出回り、更には粗悪な紙質が悪評に転じ、増刷分は売れずに終わる。次号販売に向け、新聞編集長経験を持つ花山から雑誌の評価を聞き出した常子は彼に編集長になってもらおうと何度も懇願する。当初は戦時中の反省から筆を置いたことを理由に、頑なに断り続けた花山だったが、雑誌の販売に生活を掛ける小橋一家の事情を偶然耳にしたことと、常子の雑誌作りへの思いが心に残り、1度限りの条件で雑誌作りを指南し、結果、第2号の雑誌は好評のうちに完売する。その後、人々の暮らしを豊かにする雑誌を作りたい思いに駆られた花山は、常子に説得され正式に編集長の職を引き受ける。 常子と花山は、新たに創刊する雑誌第1号の目玉記事に洋服をテーマに決める。花山と小橋姉妹が取材を重ねた結果、貧しい暮らしの中で洋服用の布が入手できないことや洋服を縫う技術が無く悩む女性が多いことが判明。花山は手持ちの少量の布で簡単に出来る直線裁ちのワンピースを考案し、作り方を記事に掲載する。雑誌名は「あなたの暮し」に決定し、新聞広告の反響もあって第1号の売れ行きは好調となる。常子たちは次号の資金集めや宣伝を兼ねて直線裁ちのワンピースの講座を開講するが、直線裁ちワンピースの流行に危機感を持った洋裁学校からの嫌がらせを受ける。 出版社に送られた手紙をきっかけに、常子は東堂と再会する。自慢の自宅は戦争で焼かれ、親戚宅の物置小屋で夫婦で不自由な生活を送っている東堂の様子を見た常子たちは、彼女の住居の模様替えを雑誌の目玉記事に決める。花山のアイデアで果物箱で家具を作り、東堂のかつての教えを参考に常子たちが家具に装飾を施した自宅を見た東堂夫婦は心からの笑顔を取り戻す。 一方、雑誌の売上は右肩下がりとなり、常子は経費のため雑誌に広告の掲載を提案するが、記事の自由と信頼を理由に花山から猛反対される。それでも逼迫した現状から、常子は広告掲載を決行するが、事後報告を受けた花山は憤り退職する。しかし窮地を逃れたものの、広告主から記事に口出ししない約束を反故にされたことで、常子は契約を打ち切る。素直に花山に謝れない常子を察し、美子は谷に相談する。谷の仲介で謝罪した常子と和解した花山は、彼女のアイデアで取り上げたホットケーキのレシピ記事の編集で力量を発揮し、雑誌の売れ行きは好調に転じる。
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戦中・戦後編(1950年 - 1988年)
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1950年(昭和25年)になり、あなたの暮し社の経営が安定してきた頃、鞠子は交際相手で経理担当者の水田正平から求婚される。鞠子は返事を保留するが平塚らいてうとの対面を機に考えが変わり水田との結婚を決める。 あなたの暮し社の経営は順調に伸びていき、社員が大幅に増え社屋も拡大する。1955年(昭和30年)、物に溢れる世情になったが粗悪品も多く出回るようになったことに気づいた常子たちは、商品を検査比較する記事を企画する。第1弾として石鹸を取り上げるが、成分調査会社から取引会社とのしがらみを理由に社名を公表しないことを懇願され、比較企業は匿名で掲載することとなる。次号からは自社で調査することを決めた常子たちは、検査室を新たに設け、歯ブラシを比較調査し社名や結果を掲載したところ、雑誌の販売部数は大幅に増える。以後、常子たちは採算が負になる覚悟で、消費者たちのために商品比較記事を続けていく。商品試験は家電にも及び発行部数は40万部に上るが、大手家電メーカー・アカバネ電器製造は酷評記事に怒り、あなたの暮し出版に嫌がらせをする。一方で、商品試験に信憑性を問う新聞記事が掲載され、常子たちは雑誌を支持する読者たちのために、家電メーカーや新聞記者の前で商品試験を公開する。その結果、試験内容の疑いは晴れるとともに、アカバネ電器製造の不正が明らかとなる。 同じ頃、常子は取材先で、都内に戻り父子家庭生活を送る星野と偶然再会し、彼の子供たちに気に入られたこともあり交流を再開していく。2人はやがて周囲が認める恋仲になるが、星野が子供たちとの生活を優先するために名古屋支社への転勤を決断し関係は終局する。 1958年(昭和33年)、美子はキッチン森田屋の後継者・南大昭と結婚。妹夫婦たちの熱望もあり、常子は目黒の自宅と土地を買い取り、家を建て替えて母と妹たち一家合わせての大世帯で生活を始める。1964年(昭和39年)、あなたの暮らしの発行部数は75万部を突破。一方、君子は癌が発症し、娘たちに小さな幸せの積み重ねや娘を誇る思いを伝えて1965年(昭和40年)1月にこの世を去る。花山から兼ねてより執筆を勧められていた常子は、母に倣い人々にさり気なく生活に彩を与える言葉や知恵を伝えようと考え、エッセイ「小さなしあわせ」を雑誌に連載。好評を得て8年後には単行本化する。 1973年(昭和48年)、鞠子の娘・水田たまきが、あなたの暮し出版に入社。女性社員が7割を占める社内であったが、育児と仕事の両立に悩み退職を決意した社員・藤ヶ谷寿美子の現状を知った常子は、1974年(昭和49年)に在宅勤務を導入するなど率先して女性が働きやすい勤務体制への改革に乗りだす。同じ頃、心筋梗塞を患い体調を崩しがちになった花山は取材旅行を強行するが、旅先で倒れ病院に搬送される。戦時中の生活を取材し記録として残し人々へ伝えたい花山の思いを知った常子は、読者に戦時中の暮しの話の公募を提案。花山は提案を受け入れ、病床で編集指揮を取り発行した戦争特集号のあなたの暮しは、発行部数100万部を超える。 その後も花山は自宅療養しながら編集長を続けるが、読者や小橋三姉妹に感謝の言葉を遺し、1975年(昭和50年)1月に死去。それから2か月後、あなたの暮しは雑誌の最高栄誉といわれる日本出版文化賞を受賞する。 ある日、常子の夢に竹蔵が現れる。父代わりを託したことを竹蔵から詫びられた常子は、とと姉ちゃんとして人生を歩んできたからこそ女性のために雑誌を作り幸せな生活を得ていることを語る。竹蔵に褒められ目覚めた常子は、父の死の直後に目標を掲げた短冊を、そっと机の引き出しにしまう。 時は流れ、1988年(昭和63年)、あなたの暮し出版は活気に溢れていた。社長で編集長の常子は、編集員のミスを直接原稿依頼先に詫びようと思いつき、事務所を飛び出し一目散に走り抜けていた。
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