ID No. 名称 所在地 内容・公式サイト個別リンク 画像 テーマ 区分 5 ラスコー洞窟 の天文学的岩板 フランス 、ドルドーニュ県 モンティニャック(英語版 ) 付近のヴェゼール川(英語版 ) 渓谷北緯45度3分17秒 東経1度10分44秒 / 北緯45.05472度 東経1.17889度 / 45.05472; 1.17889 (The Astronomical Rock Panels in the Lascaux Cave, France ) マドレーヌ文化初期に描かれたと思われる洞窟 の壁画 の中には自然暦、天文暦 、プレアデス星団 とヒアデス星団 などのアステリズム の表現および古代の宇宙論 を含む天文学的事項を表したと思われるものもある。 ⓘThe Astronomical Rock Panels in the Lascaux Cave, France 先史時代 前期 世界遺産 「ヴェゼール渓谷の先史的景観と装飾洞窟群 」の構成資産 6 ストーンヘンジ 世界遺産 イギリス 、ウィルトシャー のソールズベリー 平野北緯51度10分44秒 西経1度49分34秒 / 北緯51.17889度 西経1.82611度 / 51.17889; -1.82611 (Stonehenge World Heritage Property, United Kingdom ) ストーンヘンジの本体は冬至 の日没 と夏至 の日の出 の方向を結ぶ至点 軸(ほぼ南西 から北東 方向)に沿って配置されている。世界遺産の指定範囲内にあるウッドヘンジ 、ダーリントン・ウォールズ(英語版 ) などの先史時代の遺跡にも天文学的な特徴が多く見られる。 ⓘStonehenge World Heritage Property, United Kingdom 先史時代 後期のヨーロッパ 世界遺産「ストーンヘンジ、エーヴベリーと関連する遺跡群 」の構成資産 8 オドリのストーンサークル(ポーランド語版 ) ポーランド 、ポモージェ県 南部のカシューブ人 の村、オドリ(英語版 ) 北緯53度53分54秒 東経17度59分35秒 / 北緯53.89833度 東経17.99306度 / 53.89833; 17.99306 (The Stone Circles at Odry, Poland ) ヴダ川(英語版 ) の右岸にある大きな墓地 の一角にある直径15〜33mの12個のストーンサークル (うち2つは一部が欠損)からなる。それぞれは16〜29個の立石 で構成されており、円の中央には1つまたは2つのモノリス がある。20世紀初頭に先駆的な天文考古学 の調査が行われた。 ⓘThe Stone Circles at Odry, Poland 先史時代 後期のヨーロッパ 9 ボカ・デ・ポトレリージョス(英語版 ) メキシコ 、ヌエボ・レオン州 のミナ(英語版 ) 北緯26度2分40秒 西経100度38分40秒 / 北緯26.04444度 西経100.64444度 / 26.04444; -100.64444 (Boca de Potrerillos, Mexico ) メキシコで最も重要なペトログリフ 遺跡の1つで、砂漠 の中にある山腹などに分布する4,000枚以上の岩石と岩板からなる。岩絵の中には太陰暦 を示す記号、至点 と分点 の時の太陽 の出入りの地平線上の位置や、鹿 の繁殖 周期と月 の周期の関連性を示すものがある。 ⓘBoca de Potrerillos, Mexico 先コロンブス期 のアメリカ 10 カグアナ(英語版 ) アメリカ合衆国 、プエルトリコ のウトゥアド(英語版 ) 北緯18度17分41秒 西経66度46分52秒 / 北緯18.29472度 西経66.78111度 / 18.29472; -66.78111 (Caguana, Puerto Rico ) 13カ所のメソアメリカの球戯 の1種であるバテイ(英語版 ) の球技場 で、円形の中央にモノリス 、周囲の石にタイノ族 が彫った天体 などを表現するペトログリフ が見られる。球技場は特定のルールに従って配置されたものであり、天体観測 または天文現象の予測に用いられたと考えられる。 ⓘCaguana, Puerto Rico 先コロンブス期 のアメリカ 11 チャンキーヨ ペルー 、アンカシュ県 のカスマ郡(英語版 ) 南緯9度33分41秒 西経78度13分39秒 / 南緯9.56139度 西経78.22750度 / -9.56139; -78.22750 (Chankillo, Peru ) 海岸 の砂漠 に位置する要塞 と祭祀 の中心地で、13基の塔と東西の観測点からなる太陽 観測所がある。 ⓘChankillo, Peru 先コロンブス期 のアメリカ 世界遺産 12 ビニャ・デル・セロ(スペイン語版 ) チリ 、アタカマ州 コピアポ県 のコピアポ川(英語版 ) 渓谷にあるティエラ・アマリージャ(英語版 ) 南緯27度54分9秒 西経70度1分51秒 / 南緯27.90250度 西経70.03083度 / -27.90250; -70.03083 (Viña del Cerro, Chile ) 1400年前後のディアギータ(英語版 ) ・インカ の冶金 の中心地である。遺跡にはウシュヌ(英語版 ) というピラミッド 状の祭壇 があり、周囲の山々と組み合わせて2つの至点 での日の出 の位置を示す。 ⓘViña del Cerro, Chile 先コロンブス期 のアメリカ 世界遺産「カパック・ニャン 」の構成資産 13 ナバホ族 の星の天井 アメリカ合衆国 、ニューメキシコ州 ・アリゾナ州 ・コロラド州 ・ユタ州 の州境にあるフォー・コーナーズ 地域(主にキャニオン・デ・シェイ国定公園(英語版 ) )北緯36度30分0秒 西経107度0分0秒 / 北緯36.50000度 西経107.00000度 / 36.50000; -107.00000 (Navajo star ceilings, USA ) ナバホ地域 の全域に洞窟 の天井に1つから数百の十字 形の印が描かれるまたは刻まれる「星の天井」が存在し、星の観測から発展してきたナバホ族の天文学を示す。 ⓘNavajo star ceilings, USA 先住民 の天文学的応用 14 アティチュイティ・ルガ フランス 、フランス領ポリネシア ・マンガレヴァ島 のリキテア(英語版 ) 南緯23度7分58秒 西経134度58分14秒 / 南緯23.13278度 西経134.97056度 / -23.13278; -134.97056 (Atituiti Ruga, French Polynesia ) マンガレヴァ島の最南端にある高原であり、テ・ルア・ラと呼ばれる祭壇 がある。19世紀中期からの天文考古学 の記録によると、この祭壇での至点 の観測結果は太陰暦 の校正、雨季 と乾季 の相互移行の決定およびパンノキ の収穫 の予測に影響を及ぼす。 ⓘAtituiti Ruga, French Polynesia 先住民 の天文学的応用 16 陶寺(英語版 ) 観星台 中華人民共和国 、山西省 襄汾県 北緯35度52分56秒 東経111度29分55秒 / 北緯35.88222度 東経111.49861度 / 35.88222; 111.49861 (Taosi observatory, China ) 龍山文化 の城郭都市 遺跡・陶寺遺跡の天文台で、運用時期は紀元前21世紀〜紀元前20世紀だと見られる。 ⓘTaosi observatory, China 古代および中世の極東 17 登封観星台(中国語版 ) 中華人民共和国 、河南省 登封市 北緯34度23分59秒 東経113度8分28秒 / 北緯34.39972度 東経113.14111度 / 34.39972; 113.14111 (Dengfeng observatory, China ) 登封の歴史的建造物の1つで、現存する元代 築の観星台のグノモン の効果は当時の中国で最も良いものである。近くには唐代 の周公測景台(中国語版 ) がある。 ⓘDengfeng observatory, China 古代および中世の極東 世界遺産「「天地の中央」にある登封の史跡群 」の構成資産 18 北京古観象台 中華人民共和国 、北京市 北緯39度54分22秒 東経116度25分43秒 / 北緯39.90611度 東経116.42861度 / 39.90611; 116.42861 (Beijing ancient observatory, China ) 明代 の1442年築の高さ14mの煉瓦造 の高台で、北京古城壁 の一部である。頂上には清 で活動した宣教師 のフェルディナント・フェルビースト らが作った渾天儀 、天球儀 、四分儀 、六分儀 などの8つの青銅 製機器がある。 ⓘBeijing ancient observatory, China 古代および中世の極東 19 瞻星台 大韓民国 、慶尚北道 慶州市 北緯35度50分7秒 東経129度13分9秒 / 北緯35.83528度 東経129.21917度 / 35.83528; 129.21917 (Cheomseongdae observatory, Republic of Korea ) 東洋 最古の天文台 として知られる新羅 時代築の高さ9.17mの石塔である。 ⓘCheomseongdae observatory, Republic of Korea 古代および中世の極東 世界遺産「慶州歴史地域 」の構成資産 20 ジャイプルのジャンタル・マンタル インド 、ラージャスターン州 のジャイプル 北緯26度55分29秒 東経75度49分28秒 / 北緯26.92472度 東経75.82444度 / 26.92472; 75.82444 (The Jantar Mantar at Jaipur, India ) ムガル帝国 時代の1734年築の天文台 であり、高い精度を持つレンガ 、石膏 または青銅 で造られた19体の天体観測 用の機器または機器グループがある。 ⓘThe Jantar Mantar at Jaipur, India インド 世界遺産 21 テーベ 西部のセンムト(英語版 ) の墓 エジプト 、ルクソール県 ルクソール 付近のデイル・エル=バハリ遺跡 北緯25度44分10秒 東経32度36分45秒 / 北緯25.73611度 東経32.61250度 / 25.73611; 32.61250 (The Tomb of Senenmut at Western Thebes, Egypt ) 墓室の天井 には現在までに発見された最も古い古代エジプト の天体図 がある。そこでエジプト暦 の12か月、メスヘチュやデカン(英語版 ) を含む星座 、火星 以外の惑星 が確認できる。 ⓘThe Tomb of Senenmut at Western Thebes, Egypt 古代エジプト 22 カルナックのアメン神殿 エジプト 、ルクソール県 ルクソール の北部北緯25度43分5秒 東経32度36分45秒 / 北緯25.71806度 東経32.61250度 / 25.71806; 32.61250 (The Temple of Amun at Karnak, Egypt ) 神殿全体は冬至 (中王国 時代の暦法 では大晦日 と見られる)の日の出 の方向に面しており、立地も至点 の連接線がナイル川 の流れに垂直する唯一の場所である。 ⓘThe Temple of Amun at Karnak, Egypt 古代エジプト 世界遺産「古代都市テーベとその墓地遺跡 」の構成資産 23 デンデラのハトホル神殿 エジプト 、ケナ県 ケナ 近郊のデンデラ 北緯26度9分55秒 東経32度39分23秒 / 北緯26.16528度 東経32.65639度 / 26.16528; 32.65639 (The Temple of Hathor at Dandara, Egypt ) プトレマイオス朝 の神殿 複合体で、イシス 誕生神殿はシリウス の地平線を出る方向に向かっており、ハトホル 神殿のチャペル の天井 にはカレンダー やデンデラの黄道帯(英語版 ) の彫刻 がある。 ⓘThe Temple of Hathor at Dandara, Egypt 古代エジプト 24 ギザのピラミッド と関連建物 エジプト 、ナイル川デルタ の頂点付近にあるギーザ県 の石灰岩 の台地 北緯29度58分40秒 東経31度8分5秒 / 北緯29.97778度 東経31.13472度 / 29.97778; 31.13472 (The pyramids of Giza and related buildings, Egypt ) ギザの三大ピラミッドの四面はいずれも正確に東 ・西 ・南 ・北 の基本の4方位 に面しているため、天の北極 を周回する沈まない星の観測によって実現したものだと考えられる。また、スフィンクス像 は春分 の日の出 の方向に面している。 ⓘThe pyramids of Giza and related buildings, Egypt 古代エジプト 世界遺産「メンフィスとその墓地遺跡 - ギーザ からダハシュール までのピラミッド 地帯」の構成資産 25 ナパタ(英語版 ) (バルカル山 とヌリ を含む) スーダン 、北部州 のメロウェ 付近北緯18度32分5秒 東経31度50分4秒 / 北緯18.53472度 東経31.83444度 / 18.53472; 31.83444 (Napata, Sudan (including Djebel Barkal and Nuri) ) ナパタはアメン 崇拝の中心地であり、バルカル山の山麓にはナイル川 の流れと垂直する方向に面する神殿が建てられた。ナイル川の対岸にはタハルカ(英語版 ) が建てたアメンの神殿があり、彼の治世中は新年 の日没 の方向に面していた。ヌリの墓地 にあるピラミッド群の基部の対角線 はいずれも東西または南北の基本方向に正確に合っている。 ⓘNapata, Sudan (including Djebel Barkal and Nuri) 古代エジプト 世界遺産「ゲベル・バルカル 」の構成資産 26 アテネ のプニュクス ギリシャ 、アテナイのアクロポリス 付近北緯37度58分18秒 東経23度43分10秒 / 北緯37.97167度 東経23.71944度 / 37.97167; 23.71944 (The Pnyx, Athens, Greece ) アテナイのアクロポリス西側の高台にある古典時代 の議場で、天文学者 のメトン はそこでヘリオトロピオンという至点 観測用の機器を設置し、近辺のリカヴィトスの丘 での観測結果とも用いてメトン周期 を計算した。 ⓘThe Pnyx, Athens, Greece 古典世界 27 アラトリ のアクロポリス イタリア 、ラツィオ州 フロジノーネ県 のアラトリ北緯41度43分35秒 東経13度20分32秒 / 北緯41.72639度 東経13.34222度 / 41.72639; 13.34222 (Acropolis of Alatri, Italy ) 古代ローマ の時代にモルタル なしで作られた城郭都市 で、全体はふたご座 の形である。 ⓘAcropolis of Alatri, Italy 古典世界 28 ローマのパンテオン イタリア 、ローマ のロトンダ広場(英語版 ) 北緯41度53分55秒 東経12度28分37秒 / 北緯41.89861度 東経12.47694度 / 41.89861; 12.47694 (The Pantheon, Rome, Italy ) 直径43.3mのキューポラ の頂上には直径8.3mの円形のオクルス がある。入り口は北向きのため、オクルスから差し込んだ自然光 は唯一の光源 となり、光線の照射位置は年間を通じて変化する。 ⓘThe Pantheon, Rome, Italy 古典世界 世界遺産「ローマ歴史地区、教皇領とサン・パオロ・フオーリ・レ・ムーラ大聖堂 」の構成資産 29 マラーゲ天文台(英語版 ) イラン 北西部の東アーザルバーイジャーン州 のマラーゲ 北緯37度23分46秒 東経46度12分33秒 / 北緯37.39611度 東経46.20917度 / 37.39611; 46.20917 (Maragheh observatory, Iran ) コペルニクス 以前の時代に、イスラム科学 における惑星 の運動に関する非プトレマイオス 体系の開発に重要な役割を果たした天文台である。ペルシア の天文学の中心地だけでなく、トランスオクシアナ と小アジア の天文台の建設にも影響を与えた。 ⓘMaragheh observatory, Iran イスラーム天文学 30 ウルグ・ベク天文台 ウズベキスタン 、サマルカンド 北緯39度40分29秒 東経67度0分20秒 / 北緯39.67472度 東経67.00556度 / 39.67472; 67.00556 (Ulugh Beg‘s observatory, Uzbekistan ) 15世紀にティムール朝 のウルグ・ベク が築いた天文台 の地下には子午線 に沿う溝があり、その中には大理石 から切り出された巨大なスラブ軌道 状の四分儀 がある。 ⓘUlugh Beg‘s observatory, Uzbekistan イスラーム天文学 世界遺産「サマルカンド ‐ 文化交差路 」の構成資産 31 モンクウェアマス=ジャロー(英語版 ) イギリス 、イングランド 地方タイン・アンド・ウィア のサンダーランド のモンクウェアマス(英語版 ) 北緯54度54分48秒 西経1度22分29秒 / 北緯54.91333度 西経1.37472度 / 54.91333; -1.37472 (Monkwearmouth ) ウェア川(英語版 ) とタイン川 の河口 の近くにあるセント・ピーター教会(英語版 ) とセント・ポール教会(英語版 ) からなる。703年〜731年に教会暦 に関する研究を行った尊者ベーダ は過ごした場所である。 ⓘMonkwearmouth-Jarrow, United Kingdom ヨーロッパ の中世 天文学 イギリス 、イングランド 地方タイン・アンド・ウィア のサウス・タインサイド(英語版 ) のジャロー(英語版 ) 北緯54度58分49秒 西経1度28分20秒 / 北緯54.98028度 西経1.47222度 / 54.98028; -1.47222 (Jarrow ) 32 パルマ洗礼堂(英語版 ) イタリア 、エミリア=ロマーニャ州 のパルマ 北緯44度48分10秒 東経10度19分50秒 / 北緯44.80278度 東経10.33056度 / 44.80278; 10.33056 (Baptistery of Parma, Italy ) パルマ大聖堂 に隣接するヨーロッパで最も重要な中世 建築の1つである。洗礼盤 と祭壇 を繋ぐ主軸は2月2日の聖燭祭 の日の出 の方向と一致するなど、特定の日の太陽の出没の方向を示す要素が多く存在する。 ⓘBaptistery of Parma, Italy ヨーロッパ の中世 天文学 33 ストラスブール大聖堂 と天文時 フランス 、グラン・テスト地域圏 (旧アルザス地方 )バ=ラン県 のストラスブール 北緯48度34分55秒 東経7度45分5秒 / 北緯48.58194度 東経7.75139度 / 48.58194; 7.75139 (Strasbourg Cathedral, France, and astronomical time ) ストラスブールのノートルダム大聖堂 内に日時計 、天文時計 と黄道十二星座 に関するレリーフ が多く存在する。大聖堂から取り外された一部の時計 は現在、同市内のストラスブール装飾芸術美術館(英語版 ) とルーブル・ノートルダム美術館(英語版 ) で保存されている。 ⓘStrasbourg Cathedral, France, and astronomical time ヨーロッパ の中世 天文学 世界遺産「ストラスブールのグラン・ディル 」の構成資産 34 グリニッジ王立天文台 イギリス 、イングランド 地方ロンドン のグリニッジ 北緯51度28分38秒 東経0度0分0秒 / 北緯51.47722度 東経0.00000度 / 51.47722; 0.00000 (Royal Observatory, Greenwich, United Kingdom ) 1675年〜1676年に建てられたこの建物はグリニッジ標準時 の誕生地として知られる。本初子午線 (グリニッジ子午線 )の定義に用いられたエアリー子午環 などが展示されている。 ⓘRoyal Observatory, Greenwich, United Kingdom ルネッサンス から20世紀中期までの天文学 世界遺産「マリタイム・グリニッジ 」の構成資産 35 喜望峰王立天文台(英語版 ) 南アフリカ共和国 、西ケープ州 ケープタウン の天文台地区(英語版 ) のトゥー・リバーズ都市公園内南緯33度56分4秒 東経18度28分39秒 / 南緯33.93444度 東経18.47750度 / -33.93444; 18.47750 (Royal Observatory, Cape of Good Hope, Republic of South Africa ) 1820年に設置されたアフリカ大陸 初の主要な科学機関であり、南半球 初の常設天文台でもある。現在は南アフリカ天文台(英語版 ) (SAAO)の本部で、本館にあるエアリー子午環 は南アフリカ国内の地理位置の基準点 である。 ⓘRoyal Observatory, Cape of Good Hope, Republic of South Africa ルネッサンス から20世紀中期までの天文学 36 ムードン天文台 フランス 、パリ 近郊のムードン 北緯48度48分18秒 東経2度13分52秒 / 北緯48.80500度 東経2.23111度 / 48.80500; 2.23111 (Meudon observatory, France ) フランス初の新式天文台であり、観測設備のほかに天体分光学 の装置やジャンサン が使った機器などが入る物理学 の実験室も設置される。1926年以降はパリ天文台 (ID No.71)の一部となっている。 ⓘMeudon observatory, France ルネッサンス から20世紀中期までの天文学 37 ウィルソン山天文台 アメリカ合衆国 、カリフォルニア州 ロサンゼルス郡 のウィルソン山(英語版 ) 北緯34度13分28秒 西経118度3分31秒 / 北緯34.22444度 西経118.05861度 / 34.22444; -118.05861 (Mount Wilson observatory, USA ) 1904年に建設された山岳天文台で、ジョージ・エラリー・ヘール が考案した3つの天文台 の1つである。ヘールはここで太陽黒点 が強い磁場 を持つことを発見した。 ⓘMount Wilson observatory, USA ルネッサンス から20世紀中期までの天文学 38 ポツダム のアインシュタイン塔 ドイツ 、ブランデンブルク州 のポツダム北緯52度22分44秒 東経13度3分50秒 / 北緯52.37889度 東経13.06389度 / 52.37889; 13.06389 (The Einstein Tower, Potsdam, Germany ) 1920年代にエーリヒ・メンデルゾーン が設計した近代建築 の傑作で、当時の中央ヨーロッパ における構成主義 と表現主義建築 の最良の例の1つとして広く認識されている。建設当時は最も重要な太陽 観測所であり、塔の内部にはエルヴィン・フィンライ=フロインドリヒ(英語版 ) が設計した太陽 の重力場 によるスペクトル線 の赤方偏移 を測定するための塔望遠鏡 がある。 ⓘThe Einstein Tower, Potsdam, Germany ルネッサンス から20世紀中期までの天文学 39 シュトッケルト電波望遠鏡(英語版 ) ドイツ 、ノルトライン=ヴェストファーレン州 バート・ミュンスターアイフェル(英語版 ) のシュトッケルトの丘(英語版 ) 北緯50度34分10秒 東経6度43分19秒 / 北緯50.56944度 東経6.72194度 / 50.56944; 6.72194 (Stockert radio telescope, Germany ) 33,000m²の敷地には25mの電波望遠鏡 と10mのミリ波 電波望遠鏡がある。1956年〜1995年の稼働期間中はボン大学 天文学部(ID No.114)などが使用した。 ⓘStockert radio telescope, Germany 電波天文学 の発展 40 10か国を跨ぐシュトルーヴェの測地弧 ノルウェー 、フグレネス(英語版 ) 北緯70度40分12秒 東経23度39分48秒 / 北緯70.67000度 東経23.66333度 / 70.67000; 23.66333 (Fuglenes, Norway ) フリードリヒ・ゲオルク・ヴィルヘルム・フォン・シュトルーヴェ らは地球 の大きさと形状を測定するために、ノルウェーの北海岸から黒海 沿岸までに設置した一連の三角点 である。国境 を跨ぐ最初の子午線弧 の測量装置で、東ヨーロッパ の地図作製 の基礎となった。 ⓘThe Struve geodetic arc 現代の応用天文学 世界遺産 ノルウェー 、リッレ=ライパス(ノルウェー語版 ) 北緯69度56分19秒 東経23度21分37秒 / 北緯69.93861度 東経23.36028度 / 69.93861; 23.36028 (Lille-Raipas, Norway ) ノルウェー 、ロフディジュヨッキ(ノルウェー語版 ) 北緯69度39分52秒 東経23度36分7秒 / 北緯69.66444度 東経23.60194度 / 69.66444; 23.60194 (Lohdizhjokki, Norway ) ノルウェー 、ベリャツ=ヴァーラ(ノルウェー語版 ) 北緯69度2分37秒 東経23度17分15秒 / 北緯69.04361度 東経23.28750度 / 69.04361; 23.28750 (Bäljatz-Vaara, Norway ) スウェーデン 、パイタス=ヴァーラ(英語版 ) 北緯68度15分18秒 東経22度58分59秒 / 北緯68.25500度 東経22.98306度 / 68.25500; 22.98306 (Pajtas-Vaara, Sweden ) スウェーデン 、ケッロユプッカ(英語版 ) 北緯67度16分36秒 東経23度14分35秒 / 北緯67.27667度 東経23.24306度 / 67.27667; 23.24306 (Kerrojupukka, Sweden ) スウェーデン 、プッリンキ(英語版 ) 北緯66度38分45秒 東経23度46分55秒 / 北緯66.64583度 東経23.78194度 / 66.64583; 23.78194 (Pullinki, Sweden ) スウェーデン 、ペッラ=ヴァーラ(スウェーデン語版 ) 北緯66度1分5秒 東経23度55分21秒 / 北緯66.01806度 東経23.92250度 / 66.01806; 23.92250 (Perra-Vaara, Sweden ) フィンランド 、ストゥオル=オイヴィ(フィンランド語版 ) 北緯68度40分57秒 東経22度44分45秒 / 北緯68.68250度 東経22.74583度 / 68.68250; 22.74583 (Stuor-Oivi, Finland ) フィンランド 、アーヴァサクサ 北緯66度23分52秒 東経23度43分31秒 / 北緯66.39778度 東経23.72528度 / 66.39778; 23.72528 (Avasaksa, Finland ) フィンランド 、トルネア(フィンランド語版 ) 北緯65度49分48秒 東経24度9分26秒 / 北緯65.83000度 東経24.15722度 / 65.83000; 24.15722 (Tornea, Finland ) フィンランド 、プオラッカ(フィンランド語版 ) 北緯61度55分36秒 東経25度32分1秒 / 北緯61.92667度 東経25.53361度 / 61.92667; 25.53361 (Puolakka, Finland ) フィンランド 、ポルロムII(フィンランド語版 ) 北緯60度42分17秒 東経26度0分12秒 / 北緯60.70472度 東経26.00333度 / 60.70472; 26.00333 (Porlom II, Finland ) フィンランド 、スヴァルトヴィラ(フィンランド語版 ) 北緯60度16分36秒 東経26度36分12秒 / 北緯60.27667度 東経26.60333度 / 60.27667; 26.60333 (Svartvira, Finland ) ロシア 、メキ=ペーリュス北緯60度4分27秒 東経26度58分11秒 / 北緯60.07417度 東経26.96972度 / 60.07417; 26.96972 (Mäki-Päälys, Russia ) ロシア 、ホグラント 北緯60度5分10秒 東経26度57分38秒 / 北緯60.08611度 東経26.96056度 / 60.08611; 26.96056 (Hogland, Russia ) エストニア 、ヴォイビファー(英語版 ) 北緯59度3分28秒 東経26度20分16秒 / 北緯59.05778度 東経26.33778度 / 59.05778; 26.33778 (Woibifer, Estonia ) エストニア 、カトコ(英語版 ) 北緯59度2分54秒 東経26度24分51秒 / 北緯59.04833度 東経26.41417度 / 59.04833; 26.41417 (Katko, Estonia ) エストニア 、ドルパト (ID No.109)北緯58度22分44秒 東経26度43分13秒 / 北緯58.37889度 東経26.72028度 / 58.37889; 26.72028 (Dorpat, Estonia ) ラトビア 、ゼストゥ=カルンス(ラトビア語版 ) 北緯56度50分34秒 東経25度38分6秒 / 北緯56.84278度 東経25.63500度 / 56.84278; 25.63500 (Sestu-Kalns, Latvia ) ラトビア 、ヤコプシュタット 北緯56度30分5秒 東経25度51分24秒 / 北緯56.50139度 東経25.85667度 / 56.50139; 25.85667 (Jacobstadt, Latvia ) リトアニア 、カリシュキ(リトアニア語版 ) 北緯55度54分9秒 東経25度26分12秒 / 北緯55.90250度 東経25.43667度 / 55.90250; 25.43667 (Karischki, Lithuania ) リトアニア 、メシュカンジ(リトアニア語版 ) 北緯54度55分51秒 東経25度19分0秒 / 北緯54.93083度 東経25.31667度 / 54.93083; 25.31667 (Meschkanzi, Lithuania ) リトアニア 、ベレシュネキ(リトアニア語版 ) 北緯54度38分4秒 東経25度25分45秒 / 北緯54.63444度 東経25.42917度 / 54.63444; 25.42917 (Beresnäki, Lithuania ) ベラルーシ 、トゥピシュキ(ベラルーシ語版 ) 北緯54度17分29秒 東経26度2分43秒 / 北緯54.29139度 東経26.04528度 / 54.29139; 26.04528 (Tupischki, Belarus ) ベラルーシ 、ロパティ(ベラルーシ語版 ) 北緯53度33分37秒 東経24度52分11秒 / 北緯53.56028度 東経24.86972度 / 53.56028; 24.86972 (Lopati, Belarus ) ベラルーシ 、オッソウニツァ(ベラルーシ語版 ) 北緯52度17分21秒 東経25度38分58秒 / 北緯52.28917度 東経25.64944度 / 52.28917; 25.64944 (Ossownitza, Belarus ) ベラルーシ 、チェクツク(ベラルーシ語版 ) 北緯52度12分55秒 東経25度33分12秒 / 北緯52.21528度 東経25.55333度 / 52.21528; 25.55333 (Tchekutsk, Belarus ) ベラルーシ 、レスコヴィッチ(タラシケヴィツァ版 ) 北緯52度9分38秒 東経25度34分17秒 / 北緯52.16056度 東経25.57139度 / 52.16056; 25.57139 (Leskowitschi, Belarus ) モルドバ 、ルディ(英語版 ) 北緯48度19分8秒 東経27度52分36秒 / 北緯48.31889度 東経27.87667度 / 48.31889; 27.87667 (Rudy, Moldova ) ウクライナ 、カテリノフカ(ウクライナ語版 ) 北緯49度33分57秒 東経26度45分22秒 / 北緯49.56583度 東経26.75611度 / 49.56583; 26.75611 (Katerinowka, Ukraine ) ウクライナ 、フェルシュティン(ウクライナ語版 ) 北緯49度19分48秒 東経26度40分55秒 / 北緯49.33000度 東経26.68194度 / 49.33000; 26.68194 (Felschtin, Ukraine ) ウクライナ 、バラノフカ(ウクライナ語版 ) 北緯49度8分55秒 東経26度59分30秒 / 北緯49.14861度 東経26.99167度 / 49.14861; 26.99167 (Baranowka, Ukraine ) ウクライナ 、シュタロ=ネクラッソフカ(ウクライナ語版 ) 北緯45度19分54秒 東経28度55分41秒 / 北緯45.33167度 東経28.92806度 / 45.33167; 28.92806 (Staro-Nekrassowka, Ukraine ) 41 テカポ湖 =アオラキ=マウント・クック星空保護区 ニュージーランド 、南島 中央部の南アルプス山脈 とトゥー・サム山脈(英語版 ) の間のマッケンジー盆地(英語版 ) およびカンタベリー地方 のマウント・クック国立公園のうち、トワイゼル などの村を含む一帯南緯44度0分30秒 東経170度28分42秒 / 南緯44.00833度 東経170.47833度 / -44.00833; 170.47833 (Lake Tekapo - Aoraki - Mount Cook Starlight Reserve, New Zealand ) テカポ湖の南西には、世界最南端にある天文台(南極大陸 の観測所 を除く)であるカンタベリー大学 のマウント・ジョン大学天文台 がある。大気汚染 と光害 が非常に少ないため、マゼラン雲 と銀河中心 を観察するのに最適な場所である。 ⓘLake Tekapo - Aoraki - Mount Cook Starlight Reserve, New Zealand 「空への窓」:星の光、夜空保護区 と天文台 世界遺産「テ・ワヒポウナム - 南西ニュージーランド 」の構成資産 42 東アルプス とグロースムーグル(ドイツ語版 ) の星空保護区 オーストリア ・ニーダーエスターライヒ州 、オーバーエスターライヒ州 、シュタイアーマルク州 とケルンテン州 の各一部北緯47度0分0秒 東経14度0分0秒 / 北緯47.00000度 東経14.00000度 / 47.00000; 14.00000 (East Alpine Starlight Reserve ) 東アルプス星空保護区はウィーン の南西にある200×100kmの楕円形 のエリアで、周りの高い山々により光害 が遮断されている。グロースムーグル星空オアシス はウィーンの北側にある1.3km²の狭いエリアで、市中心部のシュテファン大聖堂 からわずか33km離れた場所である。 ⓘEastern Alpine and Großmugl starlight areas 「空への窓」:星の光、夜空保護区 と天文台 オーストリア 、ニーダーエスターライヒ州 のグロースムーグル自治体北緯48度29分20秒 東経16度13分20秒 / 北緯48.48889度 東経16.22222度 / 48.48889; 16.22222 (Großmugl Starlight Oasis ) 43 全米天文学大学連合 (AURA)天文台 チリ 、コキンボ州 のトロロ山 南緯30度10分12秒 西経70度48分24秒 / 南緯30.17000度 西経70.80667度 / -30.17000; -70.80667 (Cerro Tololo ) トロロ山とパチョン山にある2つの望遠鏡 のグループからなり、セロ・トロロ汎米天文台 の4mのブランコ望遠鏡(英語版 ) 、8mのジェミニ南望遠鏡 、4.2mのSOAR望遠鏡 と8.2mの大型シノプティック・サーベイ望遠鏡 (建設中)がある。 ⓘAURA Observatory, Chile 「空への窓」:星の光、夜空保護区 と天文台 チリ 、コキンボ州 のパチョン山(英語版 ) 南緯30度14分24秒 西経70度44分6秒 / 南緯30.24000度 西経70.73500度 / -30.24000; -70.73500 (Cerro Pachón ) 44 ハワイ のマウナ・ケア天文台 アメリカ合衆国 、ハワイ州ハワイ島 のマウナ・ケア 北緯19度49分30秒 西経155度28分25秒 / 北緯19.82500度 西経155.47361度 / 19.82500; -155.47361 (Mauna Kea Observatory, Hawaii, USA ) マウナ・ケアは太平洋 の海底 からの標高差が最も大きい場所であるため、山頂の気圧 はわずか600mb である。山頂の空気は非常に乾く、雲 もほとんどないため、天体 からの赤外線 やサブミリ波 の放射 を測定するのに適している。そのため、W・M・ケック天文台 、すばる望遠鏡 、ジェミニ北望遠鏡 、イギリス赤外線望遠鏡 、カナダ・フランス・ハワイ望遠鏡 、ジェームズ・クラーク・マクスウェル望遠鏡 、カルテクサブミリ波天文台 、サブミリ波干渉計 など多くの観測施設は山頂に設置されている。 ⓘMauna Kea Observatory, Hawaii, USA 「空への窓」:星の光、夜空保護区 と天文台 45 カナリア諸島 の天文台群 スペイン 、カナリア諸島ラ・パルマ島 のタブリエンテ・カルデラ国立公園(英語版 ) の周縁部北緯28度46分0秒 西経17度53分0秒 / 北緯28.76667度 西経17.88333度 / 28.76667; -17.88333 (Roque de los Muchachos Observatory ) ラ・パルマ島のロケ・デ・ロス・ムチャーチョス天文台 とテネリフェ島のテイデ天文台(英語版 ) からなり、その歴史は1856年にスコットランド王室天文官 がテネリフェ島で行った天体観測 まで遡ることができる。赤道 に近いが、熱帯低気圧 の影響範囲外にあるのに加え、標高は約2,400mで貿易風 により生じた逆転層 の上方に位置するため、乱気流 と雲 の影響をほとんど受けない。ガンマ線バースト の光学対応天体、褐色矮星 および銀河系 にある恒星 サイズのブラックホール の証拠などが観測された最初の場所である。 ⓘCanarian observatories, Spain 「空への窓」:星の光、夜空保護区 と天文台 スペイン 、カナリア諸島テネリフェ島 のテイデ国立公園 付近北緯28度18分0秒 西経16度30分0秒 / 北緯28.30000度 西経16.50000度 / 28.30000; -16.50000 (Teide Observatory ) テイデ天文台周辺は世界遺産「テイデ国立公園」の構成資産 46 オマーンにおける灌漑 の天文学的時間計算 オマーン 北部のハムラーウ州(英語版 ) のアル=ハムラーウ、ミスファート=アル=アブリーン(フランス語版 ) 、カリヤ・バニー・スブハ、ムダイビー州(英語版 ) のバルザマーン、スダイラ、ザーヒブ、アル=ファトハ、アル=アワービー州(英語版 ) のスタール、ハジール、スール州 のハラム、タイマーウ、アバート北緯23度5分58秒 東経57度18分36秒 / 北緯23.09944度 東経57.31000度 / 23.09944; 57.31000 (Astronomical timing of irrigation in Oman: Qarya Beni Subh ) 北緯22度18分11秒 東経58度4分6秒 / 北緯22.30306度 東経58.06833度 / 22.30306; 58.06833 (Astronomical timing of irrigation in Oman: Barzaman ) 北緯22度32分18秒 東経58度7分0秒 / 北緯22.53833度 東経58.11667度 / 22.53833; 58.11667 (Astronomical timing of irrigation in Oman: Zahib ) 北緯22度36分52秒 東経58度8分4秒 / 北緯22.61444度 東経58.13444度 / 22.61444; 58.13444 (Astronomical timing of irrigation in Oman: Al Fath ) 太陽 や星の天体暦 を用いて、アフラジ という伝統的な灌漑システムから水を分配する時期を決める一連の慣行である。決定方法は地域によって異なるが、概ね日時計 による計測、固定の観測点から見た特定の星の位置変化、そして星空の観測の3つのパターンが挙げられる。 ⓘAstronomical timing of irrigation in Oman 先住民 の天文学的応用 世界遺産「オマーンの灌漑システム アフラジ 」に関連 49 ID No.6 ストーンヘンジ世界遺産のIAUによる追加説明 50 7つの石の支石墓 群 ポルトガル 、エヴォラ県 のアランドロアル(英語版 ) 、アライオロス(英語版 ) 、エストレモス 、エヴォラ 、モラ(英語版 ) 、レゲンゴス・デ・モンサラス(英語版 ) 、レドンド(英語版 ) 北緯38度53分39秒 西経8度1分2秒 / 北緯38.89417度 西経8.01722度 / 38.89417; -8.01722 (Seven-stone Antas: Pavia ) イベリア半島 南西部に点在する186カ所のドルメン であり、特にポルトガルアレンテージョ地方 のエヴォラ県・ポルタレグレ県の県境付近およびスペインエストレマドゥーラ州のバダホス県とカセレス県に多い。うち177体は日の出 または月の出 の方向に向かっている。保存状態が良いバレンシア・デ・アルカンタラのドルメン群は3つグループに分けられている。 ⓘSeven-stone Antas, Portugal/Spain 先史時代 後期のヨーロッパ ポルトガル 、ポルタレグレ県 のカステロ・デ・ヴィデ(英語版 ) 、クラト(英語版 ) 、エルヴァス 、ニーザ 、ポンテ・デ・ソル(英語版 ) 北緯39度27分0秒 西経7度40分30秒 / 北緯39.45000度 西経7.67500度 / 39.45000; -7.67500 (Seven-stone Antas: Sáúo Gens ) ポルトガル 、ベージャ県 のオウリケ(英語版 ) 北緯37度48分0秒 西経8度16分14秒 / 北緯37.80000度 西経8.27056度 / 37.80000; -8.27056 (Seven-stone Antas: Pedra d’Anta ) ポルトガル 、セトゥーバル県 のサンティアゴ・ド・カセーン(英語版 ) 北緯38度6分0秒 西経8度43分7秒 / 北緯38.10000度 西経8.71861度 / 38.10000; -8.71861 (Seven-stone Antas: Pedra Branca ) ポルトガル 、リスボン県 のアグアルヴァ(英語版 ) 、ロウレス(英語版 ) 、シントラ 北緯38度54分0秒 西経9度13分0秒 / 北緯38.90000度 西経9.21667度 / 38.90000; -9.21667 (Seven-stone Antas: Carcavelos ) スペイン 、エストレマドゥーラ州 バダホス県 のバルカロタ(英語版 ) 、ヘレス・デ・ロス・カバジェロス(英語版 ) 、メリダ 北緯39度0分0秒 西経6度25分15秒 / 北緯39.00000度 西経6.42083度 / 39.00000; -6.42083 (Seven-stone Antas: Lacara ) スペイン 、エストレマドゥーラ州 カセレス県 のセディージョ(英語版 ) 、バレンシア・デ・アルカンタラ(英語版 ) 北緯39度23分48秒 西経7度18分1秒 / 北緯39.39667度 西経7.30028度 / 39.39667; -7.30028 (Seven-stone Antas: Tapada del Anta ) スペイン 、アンダルシア州 ウエルバ県 のアロチェ(英語版 ) 、ロサル・デ・ラ・フロンテラ(英語版 ) 北緯38度0分0秒 西経7度8分36秒 / 北緯38.00000度 西経7.14333度 / 38.00000; -7.14333 (Seven-stone Antas: Pasada del Abad ) 51 ID No.11 チャンキーヨのIAUによる追加説明 52 ID No.35 喜望峰王立天文台のIAUによる追加説明 53 ID No.41 アオラキ=マウント・クック星空保護区のIAUによる追加説明 58 ID No.6 ストーンヘンジ世界遺産のUNESCOによる世界遺産の説明 59 空への窓 ID No.43 全米天文学大学連合天文台、No.44 ハワイのマウナケア天文台群、No.45 カナリア諸島の天文台群の集約 60 ID No.5 ラスコー洞窟の天文学的岩板のUNESCOによる世界遺産の説明 61 ID No.17 登封観星台のUNESCOによる世界遺産の説明 62 ID No.20 ジャイプルのジャンタル・マンタルのUNESCOによる世界遺産の説明 63 ID No.22 カルナックのアメン神殿のUNESCOによる世界遺産の説明 64 ID No.24 ギザのピラミッドと関連建物のUNESCOによる世界遺産の説明 65 ID No.25 ナパタ(バルカル山とヌリを含む)のUNESCOによる世界遺産の説明 66 ID No.28 ローマのパンテオンのUNESCOによる世界遺産の説明 67 ID No.30 ウルグ・ベク天文台のUNESCOによる世界遺産の説明 68 ID No.33 ストラスブール大聖堂と天文時のUNESCOによる世界遺産の説明 69 ID No.34 グリニッジ王立天文台のUNESCOによる世界遺産の説明 70 ID No.40 シュトルーヴェの測地弧のUNESCOによる世界遺産の説明 71 パリ天文台 フランス 、イル=ド=フランス地域圏 ・パリ 南部の大学都市 、カルチエ・ラタン 付近の丘の上北緯48度50分11秒 東経2度20分12秒 / 北緯48.83639度 東経2.33667度 / 48.83639; 2.33667 (Observatoire de Paris, France ) 現存する最も古い天文台の1つで、1667年〜1672年築の本館、19世紀築の東別館と1845年にフランソワ・アラゴ が追加したキューポラ からなる。本館はクロード・ペロー が設計したものであり、完成後にオーズー 、ピカール 、カッシーニ1世 、レーマー などの天文学者 が活躍していた。館内2階にはカッシーニ1世とカッシーニ2世 が造ったパリ子午線 を示すマークがある。 ⓘObservatoire de Paris, France ルネッサンス から20世紀中期までの天文学 72 ID No.71 パリ天文台のIAUによる追加説明 73 ニューサウスウェールズ州 のシドニー天文台(英語版 ) オーストラリア 、シドニー のミラーズ・ポイント(英語版 ) の天文台の丘(英語版 ) (シドニー港 付近)南緯33度51分35秒 東経151度12分17秒 / 南緯33.85972度 東経151.20472度 / -33.85972; 151.20472 (Sydney Observatory, New South Wales, Australia ) 1858年に運用を開始した3代目のシドニー天文台は1874年の金星の太陽面通過 の観測が行われた場所であり、1982年以降は天文学博物館 および公開天文台 となる。なお、1788年の初代の天文台は天文台の丘の麓のドーズ・ポイント(英語版 ) に、1821年の2代目の天文台はパラマタ にあった。 ⓘSydney Observatory, New South Wales, Australia ルネッサンス から20世紀中期までの天文学 空とつながる場所「オットフォードの太陽系」に関連 76 ピク・デュ・ミディ・ド・ビゴール天文台 フランス 、ミディ=ピレネー地域圏 のオート=ピレネー県 北緯42度56分15秒 東経0度8分28秒 / 北緯42.93750度 東経0.14111度 / 42.93750; 0.14111 (Pic du Midi de Bigorre Observatory, France ) 1870年に設立された現在も稼働中の最古の山岳天文台である。ピレネー山脈 の海抜3,000m近くの場所にあり、空気は非常に透明であるため、オゾン ・宇宙線 の測定、パイ中間子 の発見、雷 の研究、太陽 のコロナ と粒状斑 の観測、惑星 表面の観察、地球と月の距離 の測定、恒星 の磁場 の観測などの分野で重要な成果が得られた。また、コロナグラフ 、偏光分析法、CCDイメージセンサ などの先駆的な技術の開発にも関与した。 ⓘPic du Midi de Bigorre Observatory, France ルネッサンス から20世紀中期までの天文学 77 リスコ・カイド(英語版 ) とグラン・カナリア島 の聖なる山々 スペイン 、カナリア諸島 グラン・カナリア島北西部のアルテナラ(英語版 ) 、アガエテ 、テヘーダ(英語版 ) の3つの自治体 を跨ぐ地域北緯28度2分37秒 西経15度39分40秒 / 北緯28.04361度 西経15.66111度 / 28.04361; -15.66111 (Risco Caído - astronomical sanctuary ) 北緯27度59分7秒 西経15度38分15秒 / 北緯27.98528度 西経15.63750度 / 27.98528; -15.63750 (Geographical centre of the sacred landscape (Roque Bentayga) ) リスコ・カイド天文保護区とロケ・ベンタイガ(英語版 ) を中心とした聖地 という2つのエリアからなり、テヘーダのカルデラ とタマダバ自然保護区(スペイン語版 ) の区域を含む。グアンチェ族 などの先住民がテヘーダ・カルデラの聖地で造った洞窟 などの建造物 の多くは夏至 と分点 の日の出 と日没 の方向に面している。これらの建造物は祭礼 用のほか、年または季節 の経過を記録するものもある。 ⓘRisco Caído and the sacred mountains of Gran Canaria, Spain 先住民 の天文学的応用 世界遺産「リスコ・カイドとグラン・カナリア島の聖なる山々の文化的景観(スペイン語版 ) 」の構成資産 78 ジョドレルバンク天文台 イギリス 、イングランド 北西部のチェシャー 北緯53度14分2秒 西経2度18分14秒 / 北緯53.23389度 西経2.30389度 / 53.23389; -2.30389 (Jodrell Bank Observatory, United Kingdom ) 1945年に使用開始した、現在も稼働中の世界有数の電波天文台である。電波 の干渉 の少ない田園地帯にあり、敷地中にはラベル望遠鏡(英語版 ) などの電波望遠鏡 がある。宇宙線 、隕石 や月 に関する研究、クエーサー の発見、量子光学 、宇宙船 の追跡などの分野で重要な成果が得られた。 ⓘJodrell Bank Observatory, United Kingdom 電波天文学 の発展 世界遺産 79 イリノイ大学天文台(英語版 ) アメリカ合衆国 、イリノイ州 のアーバナ 北緯40度6分19秒 西経88度13分34秒 / 北緯40.10528度 西経88.22611度 / 40.10528; -88.22611 (University of Illinois Observatory, USA ) イリノイ州政府の15,000ドル の予算 をもって、1896年に建設されたイリノイ大学 の天文台である。20世紀前半にジョエル・ステビンス 、ジェーコブ・クンツ(英語版 ) らによるセレン光電池 搭載の光度計 や光電測光器 の開発と食変光星 ・アルゴル のセカンダリー・エクリプス の観測はここで行われたため、測光 と検出器技術の変革が起きた地である。 ⓘUniversity of Illinois Observatory, USA ルネッサンス から20世紀中期までの天文学 82 バイコヌール宇宙基地 カザフスタン 、クズロルダ州 北緯45度54分0秒 東経63度18分0秒 / 北緯45.90000度 東経63.30000度 / 45.90000; 63.30000 (Baikonur cosmodrome, Kazakhstan ) 最初の人工衛星 のスプートニク1号 、最初の宇宙飛行士 、ユーリー・ガガーリン を乗せた有人宇宙船 のボストーク1号 が打ち上げられた場所であり、多くの宇宙飛行士、宇宙ステーション 、探査機 を送り出した宇宙基地 である。ソ連 および後継国のロシア の宇宙開発 計画の重要な拠点である。 ⓘBaikonur cosmodrome, Kazakhstan 宇宙遺産 83 タイスの骨 フランス 、ドローム県 サン=ナゼール=アン=ロワイヤン のタイス洞窟(フランス語版 ) で発掘、ヴァランス の芸術と考古学博物館(フランス語版 ) 所蔵北緯45度3分53秒 東経5度16分24秒 / 北緯45.06472度 東経5.27333度 / 45.06472; 5.27333 (The Thaïs Bone, France ) 北緯44度55分52秒 東経4度53分23秒 / 北緯44.93111度 東経4.88972度 / 44.93111; 4.88972 (The Thaïs Bone, France ) 87mm×27mmの牛 の肋骨 の一部で、両面に長い線、交差する短い線と抉られた跡が多くある。顕微鏡 分析によると、これらの痕跡は異なる時期に様々な道具を利用して刻み込まれたものであり、12,000年前のアジール文化(英語版 ) 期の人類が季節 と月相 の変化を記録したものだと考えられる。 ⓘThe Thaïs Bone, France 先史時代 前期 可動文化財 84 ガイセンクレステルレの装飾プレート(英語版 ) ドイツ 、バーデン=ヴュルテンベルク州 アルプ=ドナウ郡 のガイセンクレステルレ洞窟遺跡(英語版 ) で発掘、テュービンゲン のバーデン=ヴュルテンベルク州記念物保存局(ドイツ語版 ) 所蔵北緯48度23分53秒 東経9度46分17秒 / 北緯48.39806度 東経9.77139度 / 48.39806; 9.77139 (The Decorated Plate of the Geißenklösterle, Germany ) 北緯48度30分34秒 東経9度3分55秒 / 北緯48.50944度 東経9.06528度 / 48.50944; 9.06528 (The Decorated Plate of the Geißenklösterle, Germany ) カルスト地形 の渓谷の中にある洞窟 の骨灰 層からは後期旧石器時代 の芸術作品が多数見つかり、1979年に発掘されたこのオーリニャック文化 期の38mm×14.1mm×4.5mmのプレートもその1つである。このプレートはマンモス の象牙 の加工品で、表面に腕を上げている人間のレリーフがあり、側面と裏面には88の刻んだ跡がある。88は3ヶ月の日数とほぼ一致するため、オリオン座 の観測に関連する妊娠 時期の計算道具ではないかと考えられる。 ⓘThe Decorated Plate of the Geißenklösterle, Germany 先史時代 前期 可動文化財 85 イシャンゴの骨 コンゴ民主共和国 、エドワード湖 北西部のセムリキ川 の流出口に近いヴィルンガ国立公園 内のイシャンゴ遺跡(英語版 ) で発掘、 ベルギー ・ブリュッセル の王立自然科学研究所(フランス語版 ) 所蔵南緯0度7分37秒 東経29度36分2秒 / 南緯0.12694度 東経29.60056度 / -0.12694; 29.60056 (The Ishango Bone, Democratic Republic of the Congo ) 北緯50度51分22秒 東経4度25分33秒 / 北緯50.85611度 東経4.42583度 / 50.85611; 4.42583 (The Ishango Bone, Democratic Republic of the Congo ) 1950年にゴマ の近郊のイシャンゴ遺跡で発掘されたイシャンゴの骨は長さ10cmのわずかに湾曲した暗褐色 のヒヒの腓骨 である。一端には長さ2mmの石英 の刃 があるため、ナイフ のような切断用の道具だと考えられる。骨の表面には3列の刻み目があり、2つの列に60の、もう1つの列には48の刻み目がある。明らかにランダムな配列ではないため、研究者は計数用の計算機 または月相 の観測記録だと考えている。 ⓘThe Ishango Bone, Democratic Republic of the Congo 先史時代 前期 可動文化財 87 ID No.42 東アルプスとグロースムーグルの星空保護区のIAUによる追加説明 90 風の塔 ギリシャ 、アテネ 北緯37度58分27秒 東経23度43分37秒 / 北緯37.97417度 東経23.72694度 / 37.97417; 23.72694 (Tower of the Winds, Greece ) キュロスのアンドロニコス(英語版 ) が建てたこのヘレニズム 後期のギリシア建築 はローマ時代のアゴラ の東側、アテナイのアクロポリス の北麓にある。ペンテリコ山 の大理石 で造られた高さ約14m、直径8mの八角形 の塔と南側の円筒形 の構造からなり、古代に天体観測 または天気予報 用の建物だと考えられる。外面の8つの面の上部には1つずつのフリーズ があり、それぞれは1つのアネモイ を表現している。 ⓘTower of the Winds, Greece 古典世界 91 ID No.77 リスコ・カイドとグラン・カナリア島の聖なる山々のUNESCOによる世界遺産の説明 92 ハンブルク天文台 ドイツ 、ハンブルク のベルゲドルフ(英語版 ) 北緯53度28分50秒 東経10度14分28秒 / 北緯53.48056度 東経10.24111度 / 53.48056; 10.24111 (Hamburger Sternwarte, Germany ) アルベルト・エルベ(ドイツ語版 ) が設計したネオバロック様式の建物群で、20世紀初のヨーロッパ で最大かつ最も近代的で天文台の1つである。1906年、もともと都心のミラーン門(ID No.136)にあったが、光害 や大気汚染 により郊外の公園に移転され、各設備は公園内に分布する一連の建物に収容される。 ⓘHamburger Sternwarte, Germany ルネッサンス から20世紀中期までの天文学 93 プルコヴォ中央天文台 ロシア 、サンクトペテルブルク のプルコヴォの丘(英語版 ) 北緯59度46分18秒 東経30度19分34秒 / 北緯59.77167度 東経30.32611度 / 59.77167; 30.32611 (Central Astronomical Observatory at Pulkovo, Russian Federation ) プルコヴォ天文台はフリードリヒ・ゲオルク・ヴィルヘルム・フォン・シュトルーヴェ の監督の下で設立され、1839年に開所した。本館の設計者はアレクサンドル・ブリュッロフ(英語版 ) である。19世紀には二重星 の発見と星表 の作製、ベガ の年周視差 の測定およびシュトルーヴェの測地弧 (ID No.40)の設立で有名となった。 ⓘCentral Astronomical Observatory at Pulkovo, Russian Federation ルネッサンス から20世紀中期までの天文学 世界遺産「サンクトペテルブルク歴史地区と関連建造物群 」の構成資産 95 ホルトバージ ・プスタ と羊飼い の天文学的実践 ハンガリー 、ティサ川 中流域のハンガリー大平原 北緯47度33分31秒 東経21度3分20秒 / 北緯47.55861度 東経21.05556度 / 47.55861; 21.05556 (Hortobágy Puszta and astronomy in shepherding practices ) ホルトバージ・プスタは乾燥で塩分も多いアルカリ性 の土地であるため、農業には不向きである。しかし、羊 などの家畜 は塩分の多い牧草地 や湿地 に適応しやすいため、毎年の4月から10月にかけて大勢の羊飼いはラツカ羊(英語版 ) などの放牧 を行う。羊飼いは夜に集落から遠く離れたプスタで放牧するため、時計 の普及以前は夜空の星を利用して方位と時間を判断していた。そのため、古代のマジャル人 の天文学の知識は豊富で、様々な天体 に関する独特な民間伝承が存在する。 ⓘHortobágy Puszta and astronomy in shepherding practices 先住民 の天文学的応用 世界遺産「ホルトバージ国立公園」に関連、星空保護区 96 ネブラ・スカイ・ディスク - 青銅器時代 の空の表現 ドイツ 、ザクセン=アンハルト州 ハレ の州立先史博物館(英語版 ) 所蔵北緯51度29分54秒 東経11度57分45秒 / 北緯51.49833度 東経11.96250度 / 51.49833; 11.96250 (Nebra Sky Disc - Bronze Age representation of the sky, Germany ) 重さ2kg、直径320mmで、厚さは中心部で4.5mm、縁で1.5mmの青銅 製の円盤である。表面中心部には2枚の円形 と三日月 形の金 のプレートがあり、他には32個の小さな金の斑点の装飾がある。また、縁には3つの薄い金の円弧 があるが、うち1つは既に取り除かれている。裏面には付着の痕跡はないが、表面の縁には38個の穴がある。 ⓘNebra Sky Disc — Bronze Age representation of the sky, Germany 先史時代 後期のヨーロッパ 可動文化財 97 ゼーベルク天文台 ドイツ 、テューリンゲン州 のゴータ (ゴータ・ゼーベルク天文台)北緯50度56分2秒 東経10度43分42秒 / 北緯50.93389度 東経10.72833度 / 50.93389; 10.72833 (Seeberg observatory ) 旧天文台は1787年にフランツ・クサーヴァー・フォン・ツァハ の計画の下で、ザクセン=ゴータ=アルテンブルク公エルネスト2世(英語版 ) が私財を投じてフリーデンシュタイン城(英語版 ) に建設したものである。1840年代以前に荒廃した後、跡地はレストラン に改造された。新ゴータ天文台 は1859年に建築家 のグスタフ・エベルハルト(ドイツ語版 ) によりゴータの町中に建設され、1934年まで稼働していた。 ⓘSeeberg Observatory, Germany ルネッサンス から20世紀中期までの天文学 ドイツ 、テューリンゲン州 のゴータ (新ゴータ天文台)北緯50度56分35秒 東経10度42分31秒 / 北緯50.94306度 東経10.70861度 / 50.94306; 10.70861 (New Gotha observatory ) 98 クレムスミュンスター天文台(ドイツ語版 ) オーストリア 、オーバーエスターライヒ州 のクレムスミュンスター(英語版 ) 北緯48度3分19秒 東経14度7分54秒 / 北緯48.05528度 東経14.13167度 / 48.05528; 14.13167 (Kremsmünster Observatory, Austria ) 1748年〜1758年、ベネディクト会 のクレムスミュンスター修道院(英語版 ) に建設された9階建ての天文台である。天文台で19世紀後半のクレムスミュンスター子午線 の観測が行われたほか、その気象室は1762年から現在まで場所を変えずに気象観測 活動を行う唯一の観測所 である。天文台は後期バロック様式 の博物館 建物の1つでもあり、バロック時代 の科学と宗教 の密接な関係を示している。 ⓘKremsmünster Observatory, Austria ルネッサンス から20世紀中期までの天文学 99 ニュルンベルク城 天文台 ドイツ 、バイエルン州 ニュルンベルク のニュルンベルク城の北部要塞 北緯49度27分30秒 東経11度4分35秒 / 北緯49.45833度 東経11.07639度 / 49.45833; 11.07639 (Nuremberg castle observatory, Germany ) 1678年、ゲオルク・クリストフ・アイマルト(英語版 ) はニュルンベルク城で世界初の公開天文台 を開設し、四分儀 、六分儀 、八分儀 、望遠鏡 、太陽 観測装置、時計 、プラネタリウム などを展示した。 ⓘNuremberg castle observatory, Germany ルネッサンス から20世紀中期までの天文学 100 ウラニボリ とスターニボリ スウェーデン 、シェラン島 とスコーネ地方 の間のエーレスンド海峡 にあるヴェン島 (ウラニボリ)北緯55度54分28秒 東経12度41分48秒 / 北緯55.90778度 東経12.69667度 / 55.90778; 12.69667 (Uraniborg ) ティコ・ブラーエ はフレゼリク2世 の援助の下、当時デンマーク 領のヴェン島で同国初の観測施設を設置した。1580年築のウラニボリは16mx16mのレンガ造 の建物で、19mの主塔と南北にある直径6mの2つの小さな塔、地下の錬金術 室、周辺のルネッサンス様式 の庭園 などからなる。1584年築のスターニボリはウラニボリから80m離れた南側の地下にあり、地面には5つの円形の塔とドーム がある。 ⓘUraniborg and Stellaeburgum, Sweden ルネッサンス から20世紀中期までの天文学 スウェーデン 、シェラン島 とスコーネ地方 の間のエーレスンド海峡 にあるヴェン島 (スターニボリ)北緯55度54分25秒 東経12度41分49秒 / 北緯55.90694度 東経12.69694度 / 55.90694; 12.69694 (Stjärneborg ) 101 ダンツィヒ のヘヴェリウス天文台(ポーランド語版 ) ポーランド 、グダニスク のコジェンナ通り北緯54度21分15秒 東経18度38分54秒 / 北緯54.35417度 東経18.64833度 / 54.35417; 18.64833 (Hevelius observatory, Danzig, Poland ) ヤン・ヘヴェリウス が設置したヨーロッパ 最古級の私設天文台である。1641年、ヘヴェリウスは4つの建物の屋根 にデッキを設置して観測を行った。1650年、ヘヴェリウスは3つの建物の屋根の間に木製のデッキを建て、その上に2代目の天文台を設置した。天文台の内部にはヘヴェリウスの住まい、観測機器の倉庫、図書館 、銅版画 工房、印刷所 もあったが、1679年の火災で焼失した。 ⓘHevelius observatory, Danzig, Poland ルネッサンス から20世紀中期までの天文学 102 ケーニヒスベルク天文台(英語版 ) ロシア 、カリーニングラード の天文台の城(ドイツ語版 ) 北緯54度42分47秒 東経20度29分40秒 / 北緯54.71306度 東経20.49444度 / 54.71306; 20.49444 (Königsberg Observatory, Russia ) フリードリヒ・ヴィルヘルム3世 はケーニヒスベルク に天文台を建設する意向を示したため、ヴィルヘルム・フォン・フンボルト は1810年にフリードリヒ・ヴィルヘルム・ベッセル を招き、天文台の建設を要請した。1813年11月に完成された後、ベッセルはここで大気差 と年周視差 などの測定を通じて、恒星 の位置を特定し星表 を作製した。また、世界初の皆既日食 の写真 (1851年7月28日の日食)を撮影した場所である。 ⓘKönigsberg Observatory, Russia ルネッサンス から20世紀中期までの天文学 104 リリエンタール天文台(ドイツ語版 ) ドイツ 、ニーダーザクセン州 のリリエンタール 北緯53度8分28秒 東経8度54分45秒 / 北緯53.14111度 東経8.91250度 / 53.14111; 8.91250 (Lilienthal Observatory, Germany ) リリエンタールはブレーメン 近郊の小さな村であるが、18世紀末にヨハン・シュレーター が設置した巨大な20インチ の望遠鏡 と1800年に成立した連合天文学会(主な活動内容は小惑星帯 の観測であるため、「天体警察」とも言う)の創設地として有名である。 ⓘLilienthal Observatory, Germany ルネッサンス から20世紀中期までの天文学 106 ウプサラ天文台 スウェーデン 、ウップランド地方 のウプサラ 北緯59度51分36秒 東経17度38分13秒 / 北緯59.86000度 東経17.63694度 / 59.86000; 17.63694 (Uppsala Astronomical Observatory, Sweden ) ウプサラ大学 は1480年代に天文学の講座を開設したが、天文台は長らく存在しなかった。1741年、アンデシュ・セルシウス は自宅のセルシウスの家(スウェーデン語版 ) の屋根裏 に初めて天文台を設置し、星の等級 の測定とオーロラ の研究を行った。現在で「旧天文台」として知られるウプサラ天文台はグスタフ・スヴァンベリ(スウェーデン語版 ) の監督の下で1853年までに建設された。学芸員のアンデシュ・オングストローム による太陽 のスペクトル線 の研究が有名である。1957年に光害 により、50km離れたクヴィスタベリ天文台(英語版 ) に移転された。 ⓘUppsala Astronomical Observatory, Sweden ルネッサンス から20世紀中期までの天文学 108 ヴィリニュス天文台(英語版 ) リトアニア 、ヴィリニュス のヴィリニュス大学 北緯54度40分59秒 東経25度17分11秒 / 北緯54.68306度 東経25.28639度 / 54.68306; 25.28639 (Vilnius observatory, Lithuania ) トマシュ・ジェブロフスキ(英語版 ) が設計したヴィリニュス大学の附属天文台は後期バロック と新古典主義 の建物で、1753年に建設された。1782年〜1788年のマルチン・クナックフス(英語版 ) による改修で2つのドリス式 の柱 のような3階建ての円形の塔が追加された。1876年の火災 で大きな損害を受けた後、1882年12月にロシア帝国 により閉鎖された。 ⓘVilnius observatory, Lithuania ルネッサンス から20世紀中期までの天文学 109 タルトゥ天文台 エストニア 、タルトゥ 北緯58度22分47秒 東経26度43分18秒 / 北緯58.37972度 東経26.72167度 / 58.37972; 26.72167 (Old Tartu Observatory ) フリードリヒ・ゲオルク・ヴィルヘルム・フォン・シュトルーヴェ は1820年にドルパット大学 附属天文台の台長を務め、在任中にヨゼフ・フォン・フラウンホーファー が設計した望遠鏡 を導入し、連星系 の研究を行った。シュトルーヴェは1839年にプルコヴォ天文台 (ID No.93)に移った後、後任者のヨハン・ハインリヒ・フォン・メドラー は継続的に連星系と皆既日食 の観測と研究を行った。天文台は1963年に郊外のトラヴェレに移転された。 ⓘTartu Observatory, Estonia ルネッサンス から20世紀中期までの天文学 世界遺産「シュトルーヴェの測地弧 」(ID No.40)の構成資産 エストニア 、トラヴェレ(英語版 ) 北緯58度15分55秒 東経26度27分59秒 / 北緯58.26528度 東経26.46639度 / 58.26528; 26.46639 (New Tartu Observatory ) 110 フルバノヴォ天文台 スロバキア 、ニトラ県 のフルバノヴォ(英語版 ) 北緯47度52分24秒 東経18度11分29秒 / 北緯47.87333度 東経18.19139度 / 47.87333; 18.19139 (Hurbanovo Observatory, Slovakia ) 1871年にコンコイ=テゲ・ミクローシュ(英語版 ) が設立した私設天文台で、ハンガリー語 名はオージャッラ天文台。2つのドーム があり、1つにはツェルナー の分光器 を装備した6インチ の屈折望遠鏡 がある。1874年と1879年の増築を経て、10.5インチの屈折望遠鏡もある。 ⓘHurbanovo Observatory, Slovakia ルネッサンス から20世紀中期までの天文学 111 コンコイ天文台(英語版 ) ハンガリー 、ブダペスト 北緯47度30分0秒 東経18度57分54秒 / 北緯47.50000度 東経18.96500度 / 47.50000; 18.96500 (Konkoly Observatory, Hungary ) ハンガリー科学アカデミー 傘下の天文と地球科学 研究センターコンコイ=テゲ・ミクローシュ研究所である。1899年、コンコイ=テゲ・ミクローシュ(英語版 ) は個人所有のオージャッラ天文台(ID No.110)をハンガリー政府に寄贈したが、1920年にチェコスロバキア が成立すると、ハンガリーのスタッフは退去を余儀されなくなった。そのため、ブダペスト市議会 は郊外のスヴァーブヘジ(ハンガリー語版 ) の丘の上にある土地を新しい天文台に当てがった。最初のドームと子午線 室は1921年に、本館は1926年に、大ドームは1928年にそれぞれ完成された。新しい天文台はオージャッラ天文台と同様に測光 に重点を置き、1935年までに2巻の変光星 オージャッラ星表 を出版した。 ⓘKonkoly Observatory, Hungary ルネッサンス から20世紀中期までの天文学 112 プラハ のクレメンティヌム(英語版 ) の天文塔 チェコ 、プラハのマリアーンスケー広場(英語版 ) 北緯50度5分12秒 東経14度24分57秒 / 北緯50.08667度 東経14.41583度 / 50.08667; 14.41583 (Astronomical Tower in Clementinum Prague, Czech Republic ) クレメンティヌム建物群はもともとイエズス会 の大学であり、中核建物の図書館 にはフレスコ画 と地球儀 のコレクション がある。附属天文台は1722年築の高さ68mの塔で、1751年にヨゼフ・ステップリング(英語版 ) により天文台に改造された。研究者は1842年〜1928年に塔で旗 を振って正午 の時報 を行ったほか、1780年代には天文時計 の保守と修理も行った。1930年代に郊外のオンドジェヨフ天文台 (ID No.205)に移転された。 ⓘAstronomical Tower in Clementinum Prague, Czech Republic ルネッサンス から20世紀中期までの天文学 113 キト天文台 エクアドル 、キト のラ・アラメダ公園(英語版 ) 南緯0度12分54秒 西経78度30分9秒 / 南緯0.21500度 西経78.50250度 / -0.21500; -78.50250 (Quito Observatory, Ecuador ) 南米 最古の天文台で、ガブリエル・ガルシア・モレノ とフアン・バウティスタ・メンテン(スペイン語版 ) の考案に基づいて1873年に建設されたヴィクトリアン建築 である。原型のボン天文台(ID No.114)と同様に円筒状のドーム が多く設置されており、全体はギリシャ十字 の形である。 ⓘQuito Observatory, Ecuador ルネッサンス から20世紀中期までの天文学 114 ボン 天文台 ドイツ 、ボンのポッペルスドルファー大通り北緯50度43分41秒 東経7度5分51秒 / 北緯50.72806度 東経7.09750度 / 50.72806; 7.09750 (Old Bonn observatory ) ボン旧天文台(ドイツ語版 ) 、アルゲランダー天文研究所(ドイツ語版 ) (AlfA)、ボン公共天文台(ドイツ語版 ) 、ホーアー・リスト天文台(英語版 ) の4つの建物からなる。旧天文台はフリードリヒ・ヴィルヘルム・アウグスト・アルゲランダー が集まった資金により、1840年〜1844年に建設されたカール・フリードリヒ・シンケル が設計したギリシャ十字 形の建物で、大きなドーム と6つの小さな円筒形 のドームがある。アルゲランダーは位置天文学 と視測光法 の研究により、1863年にボン掃天星表 を発表した。1899年、フリードリヒ・キュストナー は天体物理学 の研究を行い、視線速度 を計算するためのスペクトル の撮影に成功した。1950年代以降、郊外にホーアー・リスト天文台とシュトッケルト電波天文台(ID No.39)が建設された。 ⓘBonn Observatory, Germany ルネッサンス から20世紀中期までの天文学 ドイツ 、ボンのボン大学 北緯50度43分48秒 東経7度4分9秒 / 北緯50.73000度 東経7.06917度 / 50.73000; 7.06917 (Argelander-Institut für Astronomie (AIfA) ) ドイツ 、ボンのポッペルスドルファー大通り北緯50度43分40秒 東経7度5分53秒 / 北緯50.72778度 東経7.09806度 / 50.72778; 7.09806 (Public observatory Bonn ) ドイツ 、アイフェル山地 にあるフルカナイフェル郡 シャルケンメーレン(英語版 ) のホーアー・リスト山(英語版 ) 北緯50度9分42秒 東経6度50分55秒 / 北緯50.16167度 東経6.84861度 / 50.16167; 6.84861 (Hoher List ) 115 カザン天文台(ロシア語版 ) ロシア 、カザン 北緯55度47分27秒 東経49度7分9秒 / 北緯55.79083度 東経49.11917度 / 55.79083; 49.11917 (Kazan Observatory, Russia ) 1810年に設立されたカザン大学 の旧天文台はロシア初の大学天文台である。1837年に建築家 のミハイル・ペトロヴィッチ・コリンフスキー(ロシア語版 ) が設計した新古典主義建築 で、中央の大きなドームにはニコライ・イワノビッチ・ロバチェフスキー が購入した屈折望遠鏡 がある。1901年に郊外のカザン大学エンゲルハルト天文台(ID No.158)に移転された。 ⓘKazan Observatory, Russia ルネッサンス から20世紀中期までの天文学 117 ポキプシー のヴァッサー大学天文台(英語版 ) アメリカ合衆国 、ニューヨーク州 のポキプシー北緯41度40分59秒 西経73度53分26秒 / 北緯41.68306度 西経73.89056度 / 41.68306; -73.89056 (Vassar College Observatory, Poughkeepsie, USA ) 女子大学 であるヴァッサー大学 の附属天文台は1864年に設計されたレンガ造 の建物で、2階の中央に入り口がある。初代台長はミッチェル彗星を発見したマリア・ミッチェル であり、以後3代の台長も全員は女性であった。 ⓘVassar College Observatory, Poughkeepsie, USA ルネッサンス から20世紀中期までの天文学 122 ラ・プラタ天文台(英語版 ) アルゼンチン 、ラ・プラタ のパセオ・デル・ボスケ公園(スペイン語版 ) 南緯34度54分33秒 西経57度55分56秒 / 南緯34.90917度 西経57.93222度 / -34.90917; -57.93222 (La Plata Astronomical Observatory, Argentina ) ラ・プラタは1882年11月19日に建築家 のペドロ・ブノワ が設計した計画都市 である。1905年に設置されたラ・プラタ国立大学(英語版 ) の附属天文台もブノワが設計したもので、7ヘクタール の公園 内にある1889年〜1895年に建てられた約20棟の建物からなる。 ⓘLa Plata Astronomical Observatory, Argentina ルネッサンス から20世紀中期までの天文学 124 マドラス天文台(英語版 ) インド 、タミル・ナードゥ州 のチェンナイ 北緯13度4分5秒 東経80度14分48秒 / 北緯13.06806度 東経80.24667度 / 13.06806; 80.24667 (Madras Observatory, India ) 1786年に建設されたインド亜大陸 初の近代天文台である。もともとはマイケル・トッピング(英語版 ) が設計したウィリアム・ペトリー(英語版 ) の私設天文台であったが、1792年にイギリス東インド会社 が取得した後は市内のヌンガンバッカム(英語版 ) に移転され、後に大三角測量 の拠点にもなった。 ⓘMadras Observatory, India ルネッサンス から20世紀中期までの天文学 125 ボスカ天文台 インドネシア 、西ジャワ州 のルンバン(英語版 ) 南緯6度49分28秒 東経107度36分56秒 / 南緯6.82444度 東経107.61556度 / -6.82444; 107.61556 (Bosscha Observatory, Indonesia ) オランダ領東インド 天文学協会が1923年に設置したインドネシア国内で現存する最古の天文台である。1951年にインドネシア政府に移管され、1959年以降はバンドン工科大学 の施設になっている。天文台は観測機器を大量に寄贈した茶 のプランテーション の経営者カレル・アルベルト・ルドルフ・ボスカ(英語版 ) に因んで名付けられ、天の川 の南部と南天の銀河団 の有名な観測地の1つである。 ⓘBosscha Observatory, Indonesia ルネッサンス から20世紀中期までの天文学 126 ID No.73 ニューサウスウェールズ州のシドニー天文台のIAUによる追加説明 127 ヘルワン王立天文台(アラビア語版 ) エジプト 、カイロ 南郊のヘルワン 北緯29度51分31秒 東経31度20分34秒 / 北緯29.85861度 東経31.34278度 / 29.85861; 31.34278 (Helwan Khedivial Observatory, Egypt ) 1865年、王立天文台はマフムード・アフマド・ハムディー・アル=ファラキー(英語版 ) の指揮の下でカイロ北東部のアバシア(英語版 ) に建てられたが、1904年に現在地に移転された。ヘルワンの石灰岩 の台地 の上にある高さ15mの塔を中心とした2階建てのレンガ造 の建物で、正方形 の中庭 もある。天文台には1907年にジョン・ヘンリー・レイノルズ(英語版 ) が寄贈した30インチ の反射望遠鏡 がある。 ⓘHelwan Khedivial Observatory, Egypt ルネッサンス から20世紀中期までの天文学 129 コダイカーナル太陽観測所(英語版 ) インド 、タミル・ナードゥ州 のコダイカーナル(英語版 ) 北緯10度13分56秒 東経77度27分53秒 / 北緯10.23222度 東経77.46472度 / 10.23222; 77.46472 (Kodaikanal Solar Observatory, India ) 南インド のパラニ丘陵(英語版 ) にある山岳天文台で、1899年にマドラス天文台(ID No.124)の一部機能を分割する形で設置された。1909年1月、初代台長のジョン・エヴァシェッド はここで太陽黒点 に関するエヴァシェッド効果を探知した。 ⓘKodaikanal Solar Observatory, India ルネッサンス から20世紀中期までの天文学 136 ミラーン門(ドイツ語版 ) のハンブルク天文台 ドイツ 、ハンブルク のホルステンヴァル通り北緯53度33分3秒 東経9度58分24秒 / 北緯53.55083度 東経9.97333度 / 53.55083; 9.97333 (Hamburg Observatory Millerntor, Germany ) 1802年、ヨハン・ゲオルク・レプソルト はハンブルク港 付近の城壁 に私設天文台を設置したが、1811年にナポレオン戦争 で破壊された。1825年、2代目の天文台はレプソルトにより城壁のミラーン門に設置され、主な業務内容は時刻 の確定で、1874年〜1934年には毎日の午後1時に報時球 による時報 を行った。光害 や大気汚染 により、天文台は1906年に郊外のベルゲドルフ(ID No.92)に移転された。 ⓘHamburg Observatory Millerntor, Germany ルネッサンス から20世紀中期までの天文学 137 アルトナ天文台(英語版 ) ドイツ 、ハンブルク のアルトナ 北緯53度32分42秒 東経9度56分34秒 / 北緯53.54500度 東経9.94278度 / 53.54500; 9.94278 (Altona Observatory, Germany ) 1823年、ハインリヒ・クリスチャン・シューマッハ はユトランド半島 の測地 プロジェクトを行いながら、デンマーク 領ホルシュタイン公国 のアルトナのパルマイユ通りに天文台を設立した。天文台は学術雑誌 『アストロノミシェ・ナハリヒテン 』の発行地であったが、同地が第二次シュレースヴィヒ=ホルシュタイン戦争 によりプロイセン王国 の一部となった後、1871年に当局により閉鎖され、1874年にキール (ID No.145)に移転された。 ⓘAltona Observatory, Germany ルネッサンス から20世紀中期までの天文学 138 コペンハーゲン の円塔(英語版 ) デンマーク 、コペンハーゲン北緯55度40分53秒 東経12度34分33秒 / 北緯55.68139度 東経12.57583度 / 55.68139; 12.57583 (Rundetårn, Copenhagen, Denmark ) 1637年〜1642年にハンス・ファン・ステーンウィンケル2世(英語版 ) が建設したヨーロッパ 最古の天文台で、現在も公開天文台 として使われる。10階建ての円形の塔で、観測デッキは高さ35mの場所にある。内部には階段 の代わりに全長209mの螺旋 の斜面 があり、ロバ や馬 に乗ったままで登ることができる。1861年まではコペンハーゲン大学 の天文台(ID No.240)などとして用いられたが、現在は聖三位一体教会(英語版 ) の一部である。 ⓘRundetårn, Copenhagen, Denmark ルネッサンス から20世紀中期までの天文学 139 オーレ・レーマー天文台(デンマーク語版 ) デンマーク 、ヴリズレセマグレ(デンマーク語版 ) 北緯55度41分6秒 東経12度18分42秒 / 北緯55.68500度 東経12.31167度 / 55.68500; 12.31167 (Ole Rømer Observatory, Denmark ) 1704年、オーレ・クリステンセン・レーマー はコペンハーゲン から17km離れたヴリズレセマグレ村の義父宅の近くに小さな天文台を設置し、そこで子午環 を発明した。子午環の本体と観測記録のほとんどは1728年の火災 で焼失したが、レーマーが1706年10月の3昼夜にわたり行われた観測の記録は奇跡的に残っており、後はトビアス・マイヤー による恒星 の固有運動 の研究に使われた。ただし、子午環の実用性は広く認識されのは19世紀以降となる。 ⓘOle Rømer Observatory, Denmark ルネッサンス から20世紀中期までの天文学 140 ゲッティンゲンの古天文台(英語版 ) ドイツ 、ニーダーザクセン州 のゲッティンゲン 北緯51度31分43秒 東経9度56分35秒 / 北緯51.52861度 東経9.94306度 / 51.52861; 9.94306 (Historical Observatory, Göttingen, Germany ) 1750年、ゲオルク2世 の依頼により、ゲッティンゲンの旧天文台は南側の城壁 に築かれ、トビアス・マイヤー は初代台長を務めた。旧天文台は1822年に廃止、1897年に撤去された後、1803年〜1816年にゲオルク・ハインリヒ・ボルヘック(ドイツ語版 ) が設計した新天文台は建設された。新天文台の主建物は1階建ての「コ」字形の建物で、中央のドーム は1886年、ハンス・ブライマン(ドイツ語版 ) により装飾用のフォリー から観測用のドームに改造された。 ⓘHistorical Observatory, Göttingen, Germany ルネッサンス から20世紀中期までの天文学 141 ハイデルベルク州立天文台 ドイツ 、ハイデルベルク のケーニッヒシュトゥールの丘(英語版 ) 北緯49度23分54秒 東経8度43分29秒 / 北緯49.39833度 東経8.72472度 / 49.39833; 8.72472 (Landessternwarte Heidelberg, Germany ) ケーニッヒシュトゥール天文台は1898年に設置されたヨーロッパ 最古の山岳天文台の1つで、現在はハイデルベルク大学 天文学センターの管理下に置かれる。天文台は東の位置天文 研究所と西の天体物理 研究所からなり、1900年以降はブルース望遠鏡(ドイツ語版 ) とワルツ反射望遠鏡 が導入された。また、ハイデルベルク市内にはマックス・ヴォルフ の生家と私設天文台、キルヒホフ とブンゼン の研究室 、山の墓地にあるヴォルフの墓など、天文学に深く関わる場所もある。 ⓘLandessternwarte Heidelberg, Germany ルネッサンス から20世紀中期までの天文学 ドイツ 、ハイデルベルク のメルツ通り北緯49度24分36秒 東経8度42分2秒 / 北緯49.41000度 東経8.70056度 / 49.41000; 8.70056 (Max Wolf’s birthplace and private observatory ) ドイツ 、ハイデルベルク のハウプト通り北緯49度24分38秒 東経8度41分53秒 / 北緯49.41056度 東経8.69806度 / 49.41056; 8.69806 (Laboratory of Kirchhoff and Bunsen, "Haus zum Riesen" ) ドイツ 、ハイデルベルク の山の墓地(ドイツ語版 ) 北緯49度23分43秒 東経8度41分38秒 / 北緯49.39528度 東経8.69389度 / 49.39528; 8.69389 (Bergfriedhof, Grab Max Wolf ) 142 ミュンヘン大学天文台(ドイツ語版 ) ドイツ 、ミュンヘン のボーゲンハウゼン(ドイツ語版 ) 北緯48度8分43秒 東経11度36分25秒 / 北緯48.14528度 東経11.60694度 / 48.14528; 11.60694 (University Observatory, Munich, Germany ) ウルリヒ・シーク(ドイツ語版 ) が1803年にバイエルン学士院(英語版 ) に設置した小さな天文台に起源を持つ。馬蹄形 の天文台の建物はマクシミリアン1世 の決定により、1817年にボーゲンハウゼンの東部に建てられた。1938年にミュンヘン大学 物理学部所属の大学天文台となり、学外の関連施設としてヴェンデルシュタイン山 の太陽 観測所と米国のホビー・エバリー望遠鏡 がある。 ⓘUniversity Observatory, Munich, Germany ルネッサンス から20世紀中期までの天文学 ドイツ 、バイエルン州 のバイリッシュツェル(英語版 ) 北緯47度42分14秒 東経12度0分44秒 / 北緯47.70389度 東経12.01222度 / 47.70389; 12.01222 (Solar-Observatory Wendelstein ) アメリカ合衆国 、テキサス州 デイヴィス山脈(英語版 ) のフォークス山北緯30度40分53秒 西経104度0分53秒 / 北緯30.68139度 西経104.01472度 / 30.68139; -104.01472 (Hobby-Eberly-Teleskop ) 143 バンベルク のレマイス天文台(ドイツ語版 ) ドイツ 、バンベルク北緯48度53分5秒 東経10度53分17秒 / 北緯48.88472度 東経10.88806度 / 48.88472; 10.88806 (Remeis Observatory, Bamberg, Germany ) エアランゲン=ニュルンベルク大学 天文学部の天文台で、1889年に建設された。名前は遺言状 で400,000マルク の資金を提供した地元出身の天文学者 のカール・レマイス(ドイツ語版 ) に因んで名付けられた。本館はヴィルヘルム様式のレンガ造 の建物で、内部の金属 の被覆構造により館内の温度差は小さい。初代台長のエルンスト・ハルトヴィッヒ は東のドームに当時北半球 最大のヘリオメーターを設置した。 ⓘUniversity Observatory, Munich, Germany ルネッサンス から20世紀中期までの天文学 145 キール天文台(ドイツ語版 ) ドイツ 、キール 北緯54度20分28秒 東経10度8分48秒 / 北緯54.34111度 東経10.14667度 / 54.34111; 10.14667 (Kiel Observatory, Germany ) キール大学 の附属天文台は1769年に初めて設置され、19世紀末〜20世紀初には報時球 による時報 を行った。第二次シュレースヴィヒ=ホルシュタイン戦争 によりシュレースヴィヒ=ホルシュタイン がプロイセン王国 の支配下に入ると、1874年に旧アルトナ天文台(ID No.137)の設備はキールに移転され、1875年に天文台の木造建築 は新しく建設された。天文台は学術雑誌 『アストロノミシェ・ナハリヒテン 』の発行所で、天文電報中央局 も1883年に設置された。20世紀半ば、台長のアルブレヒト・ウンゼルト は恒星 のスペクトル線 の研究で名声を博した。1952年〜1976年にはキール電波天文台(ドイツ語版 ) が設置された。 ⓘKiel Observatory, Germany ルネッサンス から20世紀中期までの天文学 146 ボートカンプ天文台(ドイツ語版 ) ドイツ 、プレーン郡 のボートカンパー湖(英語版 ) 北緯54度12分17秒 東経10度8分3秒 / 北緯54.20472度 東経10.13417度 / 54.20472; 10.13417 (Bothkamp Observatory, Germany ) 1869年、ヨハン・カール・フリードリヒ・ツェルナー の提案により建設されたフリードリヒ・グスタフ・フォン・ビュロウ(ドイツ語版 ) の私設天文台であり、大型の29cmの屈折望遠鏡 やツェルナーの勧めで購入された光度計 、分光器 などの天体物理学 の機器は多くあった。ドイツにおける天体分光学 の発祥の地であり、ヘルマン・カール・フォーゲル はここでドップラー効果 を利用し太陽 の自転 速度を測定した。 ⓘBothkamp Observatory, Germany ルネッサンス から20世紀中期までの天文学 147 ウィーン のイエズス会天文台 オーストリア 、ウィーン1区 北緯48度12分54秒 東経16度23分42秒 / 北緯48.21500度 東経16.39500度 / 48.21500; 16.39500 (Jesuit Observatory Vienna, Austria ) 1733年、イエズス会 はウィーン大学 の建物にウィーン初の常設天文台である高さ45mの天文塔を設置した。1773年、クレメンス14世 の回勅 『ドミヌス・アク・レデンプトール(英語版 ) 』によりイエズス会は解散となったため、天文台はウィーン大学天文台 (ID No.232)に統合されて消滅した。 ⓘJesuit Observatory Vienna, Austria ルネッサンス から20世紀中期までの天文学 148 ウィーン =ヴェーリング(英語版 ) の大学天文台 オーストリア 、ウィーンのヴェーリング北緯48度13分55秒 東経16度20分3秒 / 北緯48.23194度 東経16.33417度 / 48.23194; 16.33417 (University Observatory Vienna-Währing, Austria ) カール・ルートヴィヒ・リットロー(英語版 ) の考案に基づき、ヘルマン・ヘルマー(英語版 ) とフェルディナント・フェルナー(英語版 ) が1874年〜1879年にテュルケンシャンツェ山(ドイツ語版 ) に建てた天文台であり、1883年に運用を開始した。天文台は全長101m、幅73mの巨大なラテン十字 形の建物で、中央部には直径14mの大きなドーム がある。 ⓘUniversity Observatory Vienna-Währing, Austria ルネッサンス から20世紀中期までの天文学 149 チューリッヒ工科大学天文台(ドイツ語版 ) スイス 、チューリッヒ のオーバーシュトラース(英語版 ) 北緯47度22分41秒 東経8度33分2秒 / 北緯47.37806度 東経8.55056度 / 47.37806; 8.55056 (ETH Observatory, Zuerich, Switzerland ) チューリッヒ連邦工科大学 の天文台はゴットフリート・ゼンパー が1861年〜1864年に設計・建設したもので、19世紀に最も重要な太陽 観測所であった。ドーム は太陽黒点 の研究で知られるルドルフ・ヴォルフ とフランツ・ルーロー の考案に基づき、エッシャーウイス社 が建設したものである。1910年〜1911年に附属小天文台が建設され、1951年に太陽観測塔も建てられたが、1980年4月に天文台としての機能を終えた。 ⓘETH Observatory, Zuerich, Switzerland ルネッサンス から20世紀中期までの天文学 155 エイセ・エイシンガ・プラネタリウム オランダ 、フリースラント州 のフラーネカー(英語版 ) 北緯53度11分15秒 東経5度32分38秒 / 北緯53.18750度 東経5.54389度 / 53.18750; 5.54389 (Eise Eisinga Planetarium, Netherlands ) 現在も稼働中の世界最古のプラネタリウム である。1774年〜1781年にエイセ・エイシンガ は当時に流行していた惑星 の会合 に対するパニック と終末論 に対抗するため、自宅の天井 に設置した機械式の太陽系 の縮尺模型 である。 ⓘEise Eisinga Planetarium, Netherlands ルネッサンス から20世紀中期までの天文学 世界遺産 157 ID No.35 喜望峰王立天文台のIAUによる追加説明 158 タタールスタン共和国 カザン のエンゲルハルト天文台(英語版 ) ロシア 、タタールスタン共和国カザンの中心部から25km離れたクラスノゴルスク=トゥリンスキーの森 北緯55度50分23秒 東経48度48分45秒 / 北緯55.83972度 東経48.81250度 / 55.83972; 48.81250 (Engelhardt Astronomical Observatory, Kazan, Tatarstan, Russia ) カザン大学 の新天文台で、1898年〜1901年に森の中の21ヘクタール の区域内に建設された新古典主義建築 群である。名前は設立初期に多くの機器を寄贈したワシリー・フォン・エンゲルハルト(英語版 ) に因んで名付けられた。 ⓘEngelhardt Astronomical Observatory, Kazan, Tatarstan, Russia ルネッサンス から20世紀中期までの天文学 159 ベオグラード セルビア 、ベオグラードのカラジョルジェヴ公園(英語版 ) 北緯44度47分56秒 東経20度27分52秒 / 北緯44.79889度 東経20.46444度 / 44.79889; 20.46444 (Old Meteorological and Astronomical Observatory, Belgrade, Serbia ) ベオグラード天文台(英語版 ) はセルビア最古の科学機関の1つである。ディミトリエ・レコ(英語版 ) が設計した旧気象天文台(英語版 ) の建物は1887年〜1891年に建設され、1925年に天文台は気象台 から分離独立した。ヤン・ドゥボヴィー(チェコ語版 ) が設計した新しい天文台の建物群は1928年〜1932年に建設された。そのうち、15mの大型屈折望遠鏡 用のドーム はベオグラード初のモダニズム建築 である。 ⓘBelgrade, Serbia ルネッサンス から20世紀中期までの天文学 セルビア 、ベオグラードのヴェリキ・ヴラチャルの丘にあるズヴェズダラの森(英語版 ) 北緯44度48分13秒 東経20度30分29秒 / 北緯44.80361度 東経20.50806度 / 44.80361; 20.50806 (New Astronomical Observatory, Belgrade, Serbia ) 160 アテネ国立天文台(英語版 ) ギリシャ 、アッティカ地方 アテネ のニュンペーの丘(英語版 ) 北緯37度58分22秒 東経23度43分7秒 / 北緯37.97278度 東経23.71861度 / 37.97278; 23.71861 (National Observatory of Athens, Greece ) 南ヨーロッパ 最古の研究機関の1つである。1840年代に建設された天文台はゲオルク・コンスタンティン・ブリス(英語版 ) の提案により、テーオフィール・エドヴァルト・フォン・ハンセン(英語版 ) が設計したギリシャ十字 形の新古典主義建築 である。1890年、ギリシャ議会 の決定により「アテネ国立天文台」に改称された。当時の台長のディミトリオス・エギニティス(ギリシア語版 ) はギリシャに標準時 とグレゴリオ暦 を導入した人物である。光害 により1936年にペンテリ(英語版 ) に新しい観測所 が建設された。 ⓘNational Observatory of Athens, Greece ルネッサンス から20世紀中期までの天文学 161 北アイルランド ・アーマー のアーマー天文台(英語版 ) イギリス 、北アイルランドのアーマー北緯54度21分11秒 西経6度39分0秒 / 北緯54.35306度 西経6.65000度 / 54.35306; -6.65000 (Armagh Observatory, Armagh, Northern Ireland, UK ) アイルランド島 で2番目に古い公開天文台 で、1789年にフランシス・ジョンストン(英語版 ) が設計し、リチャード・ロビンソン(英語版 ) が建設した石造建物である。観測ドームと南側の望遠鏡 塔にある望遠鏡は地中に深く埋まる石柱 の上に設置されるため、天文台の中の活動による振動 は完全に遮断されている。ジョン・ルイス・エミル・ドライヤー 、エルンスト・ユリウス・エピック らはここで活動していた。 ⓘArmagh Observatory, Armagh, Northern Ireland, UK ルネッサンス から20世紀中期までの天文学 162 ビュラカン天文台(英語版 ) アルメニア 、アラガツォトゥン地方 のアラガツ山 麓のビュラカン(英語版 ) 北緯40度19分48秒 東経44度16分20秒 / 北緯40.33000度 東経44.27222度 / 40.33000; 44.27222 (Byurakan Astrophysical Observatory (BAO), Armenia ) 東ヨーロッパ と中東 で最も重要な天文台の1つで、1946年にヴィクトル・アマザスポヴィッチ・アンバルツミャン の主導の下で設立された。建物は1951年〜1955年に建築家 のサムヴェル・サファリャン(アルメニア語版 ) により建設された。著名な成果としてはアンバルツミャンによる電波銀河 と活動銀河核 の研究やベンヤミン・エギシェヴィッチ・マルカリャン(英語版 ) によるマルカリアン銀河の発見が挙げられる。 ⓘByurakan Astrophysical Observatory (BAO), Armenia ルネッサンス から20世紀中期までの天文学 163 南京 の紫金山天文台 中華人民共和国 、江蘇省 南京市棲霞区 北緯32度4分1秒 東経118度49分30秒 / 北緯32.06694度 東経118.82500度 / 32.06694; 118.82500 (Purple Mountain Observatory, Nanjing, China ) 中央研究院天文研究所 管轄下の紫金山天文台は1934年に運用を開始した。日中戦争 期の昆明 への疎開 を経て1946年に南京に復帰し、1950年に「中国科学院 紫金山天文台」に改称された。 ⓘPurple Mountain Observatory, Nanjing, China ルネッサンス から20世紀中期までの天文学 164 バルセロナ のファブラ天文台(英語版 ) スペイン 、バルセロナのティビダボの丘(英語版 ) 北緯41度25分6秒 東経2度7分27秒 / 北緯41.41833度 東経2.12417度 / 41.41833; 2.12417 (Fabra Observatory, Barcelona, Spain ) 今も稼働中の最古の天文台の1つで、現在は惑星 、小惑星 、彗星 観測の専門天文台である。カミル・ファブラ・イ・フォンタニリス(カタルーニャ語版 ) が1902年に寄贈した250,000ペセタ により、1904年に建設されたジョゼップ・ドメネク・イ・エスタパ(英語版 ) が設計したアール・ヌーヴォー様式 の八角形 の建物である。1926年、ジョゼップ・コマス・イ・ソラ はここでコマス・ソラ彗星 を発見した。 ⓘFabra Observatory, Barcelona, Spain ルネッサンス から20世紀中期までの天文学 165 カディス県 サン・フェルナンド の海軍王立研究所および天文台(スペイン語版 ) スペイン 、アンダルシア州 カディス県のサン・フェルナンド北緯36度27分54秒 西経6度12分21秒 / 北緯36.46500度 西経6.20583度 / 36.46500; -6.20583 (Real Instituto y Observatorio de la Armada de San Fernando, Cádiz, Spain ) スペイン最古の天文台で、世界でも最も古い国立天文台の1つで、建物はウレーニャ侯爵(英語版 ) が設計した新古典主義建築 である。1753年、カディス の海軍士官学校長のホルヘ・フアン・イ・サンタシリア(英語版 ) は王立天文台を設立した。天文台の初期の主な業務は時刻の確定で、1878年にトレ・アルタ(英語版 ) の丘に報時球 を設置した。一方、天体観測 と研究を行う天文学部門は1790年にマドリード王立天文台(ID No.166)に移転された。 ⓘReal Instituto y Observatorio de la Armada de San Fernando, Cádiz, Spain ルネッサンス から20世紀中期までの天文学 166 マドリード王立天文台(英語版 ) スペイン 、マドリード のブエン・レティーロ公園(英語版 ) 北緯40度24分31秒 西経3度41分15秒 / 北緯40.40861度 西経3.68750度 / 40.40861; -3.68750 (Real Observatorio Astronómico de Madrid, Spain ) 1790年、カルロス4世 はブエン・レティーロ公園に隣接する丘に設立した天文台である。建物はフアン・デ・ビジャヌエバ(英語版 ) とベントゥラ・ロドリゲス(英語版 ) が設計したギリシャ十字 形の新古典主義建築 で、屋上には神殿 の形の天窓 がある。フランス との半島戦争 で破壊された後、1846年にナルシコ・パスクアル・コロメル(英語版 ) により再建された。建物中央のロタンダ にはフーコーの振り子 がある。 ⓘReal Observatorio Astronómico de Madrid, Spain ルネッサンス から20世紀中期までの天文学 167 パース天文台 オーストラリア 、ウエスト・パース(英語版 ) のエリザ山(英語版 ) 南緯31度57分9秒 東経115度50分40秒 / 南緯31.95250度 東経115.84444度 / -31.95250; 115.84444 (Old Perth Observatory ) 西オーストラリア州 最古の天文台で、1900年に運用を開始した。本館は1896年にジョージ・テンプル=プール(英語版 ) が、望遠鏡 のドーム は1897年にハワード・グラッブ が設計したものである。後はケープ写真掃天星表 やカルト・デュ・シエルなどのプロジェクトの重要な観測地の1つとなった。大気汚染 により、天文台は1964年〜1965年にビックリーに移転された。 ⓘPerth Observatory, Australia ルネッサンス から20世紀中期までの天文学 オーストラリア 、パース の東側35km離れたビックリー(英語版 ) にあるダーリング山脈 のグンジン山(英語版 ) 付近南緯32度0分28秒 東経116度8分9秒 / 南緯32.00778度 東経116.13583度 / -32.00778; 116.13583 (New Perth Observatory ) 168 メルボルン天文台(英語版 ) オーストラリア 、ビクトリア州 メルボルン のヴィクトリア王立植物園(英語版 ) 南緯37度49分47秒 東経144度58分30秒 / 南緯37.82972度 東経144.97500度 / -37.82972; 144.97500 (Melbourne Observatory, Australia ) 天体観測 用のウィリアムズタウン(英語版 ) 天文台と磁気 ・気象観測 用のフラッグスタッフ(英語版 ) 天文台が1863年に合併して成立した天文台であり、初期の主な業務は時報 であった。1869年、122cmの反射望遠鏡 であるグレート・メルボルン望遠鏡(英語版 ) は天文台に設置された。1908年、気象学部門はオーストラリア気象局 に移管された。1945年、光害 によりオーストラリア政府の支援は停止となり、天文台はヴィクトリア王立植物園の理事会 に払い下げられた。 ⓘMelbourne Observatory, Australia ルネッサンス から20世紀中期までの天文学 169 リヴィウ のリヴィウ天文台(英語版 ) ウクライナ 、リヴィウ北緯49度50分6秒 東経24度1分48秒 / 北緯49.83500度 東経24.03000度 / 49.83500; 24.03000 (Jesuit observatory, Lviv, Ukraine ) 1771年に建てられた旧イエズス会大学(ウクライナ語版 ) の天文台はウクライナ最古の天文台で、ガリツィア とロドメリア の地図 作製を行ったが、1784年前後に解体された。1900年〜1901年にリヴィウ大学に天文研究所が設立され、1912年に天文台は大学の屋上で設置された。1950年〜1951年、郊外のブリュホヴィッチに附属観測所が造られた。 ⓘLviv Observatory, Lviv (Lemberg), Ukraine ルネッサンス から20世紀中期までの天文学 ウクライナ 、リヴィウ州 リヴィウのリヴィウ国立大学 北緯49度49分58秒 東経24度1分47秒 / 北緯49.83278度 東経24.02972度 / 49.83278; 24.02972 (Astronomical Observatory of Lwiw National University ) ウクライナ 、リヴィウ州 のブリュホヴィッチ(英語版 ) 北緯49度55分2秒 東経23度57分6秒 / 北緯49.91722度 東経23.95167度 / 49.91722; 23.95167 (Out-station in Bryukhovychi, Astronomical Observatory of Lwiw National University ) ウクライナ 、リヴィウのリヴィウ工科大学(英語版 ) 測地学 および球面天文学 部北緯49度50分8秒 東経24度0分52秒 / 北緯49.83556度 東経24.01444度 / 49.83556; 24.01444 (Lwiw Polytechnic Institute, Lwiw, Department of Geodesy and Spherical Astronomy ) 170 キーウ 天文台 ウクライナ 、キーウの天文台の丘(タラス・シェフチェンコ 記念キーウ国立大学 天文台)北緯50度27分11秒 東経30度30分8秒 / 北緯50.45306度 東経30.50222度 / 50.45306; 30.50222 (Kiev (Kyiv) Observatory ) 1840年〜1845年に設立されたキーウ大学天文台(ウクライナ語版 ) はウクライナ最古の天文台の1つである。本館はウィケンティー・ベレッティ(ウクライナ語版 ) が設計した古典主義建築 で、1860年〜1890年に一部が改築された。ウクライナ国立学士院天文台(ウクライナ語版 ) は1944年、アレクサンドル・ヤコヴレヴィッチ・オルロフ(英語版 ) の主導の下でキーウの南側12km離れた場所に建設された。遠く離れたエルブルス山のテルスコル峰天文台(ロシア語版 ) には附属観測所がある。 ⓘKiev (Kyiv) Observatory, Ukraine ルネッサンス から20世紀中期までの天文学 ウクライナ 、キーウのホロシーイウ区 のホロシーイウの森(英語版 ) (ウクライナ国立学士院 天文台)北緯50度21分47秒 東経30度29分45秒 / 北緯50.36306度 東経30.49583度 / 50.36306; 30.49583 (New observatory Golosiiv ) ロシア 、コーカサス山脈 のエルブルス山 北緯43度16分29秒 東経42度30分3秒 / 北緯43.27472度 東経42.50083度 / 43.27472; 42.50083 (Astrophysical branch observatory on Mt. Terskol ) 171 ハリコフ天文台 ウクライナ 、ハルキウ 北緯50度0分9秒 東経36度13分51秒 / 北緯50.00250度 東経36.23083度 / 50.00250; 36.23083 (Kharkov Observatory, Ukraine ) 1880年、ヨハン・フット(ドイツ語版 ) はハルキウで天文観測施設を設けた。1888年、グリゴリー・ワシリエヴィッチ・レヴィツキー(英語版 ) はハリコフ大学 天文学部傘下の観測機器付きの天文台を設置した。南東70km離れた場所には附属のチュフイウ観測所(英語版 ) がある。 ⓘKharkov Observatory, Ukraine ルネッサンス から20世紀中期までの天文学 172 ミコライウ天文台 ウクライナ 、ムィコラーイウ 北緯46度58分18秒 東経31度58分32秒 / 北緯46.97167度 東経31.97556度 / 46.97167; 31.97556 (Mykolaiv (Nikolaev) Observatory, Ukraine ) 東南ヨーロッパ 最古の科学機関の1つである。黒海艦隊 司令官 アレクセイ・サムイロヴィッチ・グレイグ(英語版 ) の要望により、1821年にアレクサンドル1世 は建設を許可した。7ヘクタール の敷地内にはフョードル・イワノヴィッチ・ヴンシュ(ウクライナ語版 ) が設計した古典主義建築 の本館と3つの別館がある。天文台は1912年〜1991年にサンクトペテルブルク のプルコヴォ天文台 (ID No.93)の南部支所となった。 ⓘMykolaiv (Nikolaev) Observatory, Ukraine ルネッサンス から20世紀中期までの天文学 173 オデッサ天文台(ウクライナ語版 ) ウクライナ 、オデーサ のシェフチェンコ公園(英語版 ) 北緯46度28分36秒 東経30度45分24秒 / 北緯46.47667度 東経30.75667度 / 46.47667; 30.75667 (Odessa Observatory, Ukraine ) 黒海 の港湾都市 、オデーサでは1865年に帝国ノヴォロシア大学 に天文台が設置され、1870年に建設が始まった。1885年、アレクサンドル・オシポヴィッチ・ベルナルダッツィ(英語版 ) は屈折望遠鏡 のドーム を追加した。天文台は1933年にオデッサ州立大学 天文学部の一部となり、1957年に郊外のマヤキ(ウクライナ語版 ) に附属観測所が造られた。 ⓘOdessa Observatory, Ukraine ルネッサンス から20世紀中期までの天文学 174 クリミア共和国 のシメイス天文台(英語版 ) ウクライナ 、クリミア自治共和国 のヤルタ から16km離れた南西のシメイス(英語版 ) のコシュカ山(英語版 ) 北緯44度24分46秒 東経33度59分30秒 / 北緯44.41278度 東経33.99167度 / 44.41278; 33.99167 (Simeiz station ) シメイス天文台は1900年〜1906年、ニコライ・セルゲーヴィッチ・マリツォフ(ロシア語版 ) がコシュカ山で建設したものである。1908年にプルコヴォ天文台 (ID No.93)の天体物理学 専門の南部支所となった後、1950年代に閉鎖された。一方、第二次世界大戦 後、ソ連 政府はクリミア山脈 の北斜面に新しい天文台の建設を決定し、1949年にナウチニにクリミア天体物理天文台 が成立した。天文台には戦争賠償 としてベルリン=バーベルスベルク天文台 から導入された122cmの反射望遠鏡 があるほか、沿海部にも22mの電波望遠鏡 が設置された。小惑星センター によると、1966年〜2007年に1,286個の小惑星 はここで発見された。 ⓘSimeiz Observatory, Republic of Crimea ルネッサンス から20世紀中期までの天文学 ウクライナ 、クリミア自治共和国 のシメイス付近のカツィヴェリ(英語版 ) 北緯44度23分53秒 東経33度58分47秒 / 北緯44.39806度 東経33.97972度 / 44.39806; 33.97972 (22-m radio telescope at the foot of Mount Koshka in Katsiveli ) ウクライナ 、クリミア自治共和国 のシンフェロポリ から30km離れたナウチニ(英語版 ) 北緯44度43分36秒 東経34度1分0秒 / 北緯44.72667度 東経34.01667度 / 44.72667; 34.01667 (Crimean Astrophysical Observatory, Nautschnyj ) 175 ヴロツワフ のブレスラウ天文台(ポーランド語版 ) ポーランド 、ヴロツワフのシュチトニツキ公園(英語版 ) 北緯51度6分42秒 東経17度5分8秒 / 北緯51.11167度 東経17.08556度 / 51.11167; 17.08556 (Breslau Observatory, Wrocław, Poland ) 20世紀初、ユリウス・ハインリヒ・ゲオルク・フランツ(英語版 ) はブレスラウ大学 本館にあった天文台(ID No.176)をオーデル川 の中州 、マティアス島(ポーランド語版 ) に移し、現在のシュチトニツキ公園に「コペルニクス 通り天文研究所」を設立した。1920年代に研究所の敷地は百周年記念ホール に近いエリアへ拡大したため、天文台はフリッツ・ナタン(ドイツ語版 ) が設計した3階建てのバウハウス 様式の赤い建物に再移転された。第二次世界大戦 後、研究所はリヴィウ から来たポーランド人 天文学者 らにより再建された。同市から70km離れたビャウクフ(英語版 ) には附属の天体物理 観測所がある。 ⓘBreslau Observatory, Wrocław, Poland ルネッサンス から20世紀中期までの天文学 176 ヴロツワフ ・ブレスラウ大学 の数学タワー(ポーランド語版 ) ポーランド 、ヴロツワフのヴロツワフ大学本館(ポーランド語版 ) 北緯51度6分51秒 東経17度2分1秒 / 北緯51.11417度 東経17.03361度 / 51.11417; 17.03361 (Mathematical Tower, University of Breslau / Wrocław, Poland ) オーデル川 の南岸にあるヴロツワフ大学 本館は1728年〜1739年にヨハン・ブラシウス・パイントナー(ポーランド語版 ) の監督の下で建設されたバロック建築 である。附属天文台である数学タワーは1791年にロンギヌス・アントン・ユングニッツ(ポーランド語版 ) により本館の最上部に設置され、パルム・ハインリヒ・ルートヴィヒ・フォン・ボグスラフスキー とヨハン・ゴットフリート・ガレ はかつて台長を務めた。20世紀に市東部の新天文台(ID No.175)に移転された。 ⓘMathematical Tower, University of Breslau / Wrocław, Poland ルネッサンス から20世紀中期までの天文学 177 サンタ・フェ・デ・ボゴタ のコロンビア国家天文台(スペイン語版 ) コロンビア 、ボゴタ のナリーニョ宮殿 北緯4度35分46秒 西経74度4分39秒 / 北緯4.59611度 西経74.07750度 / 4.59611; -74.07750 (Santa Fé de Bogotá, National Observatory of Colombia ) 1802年、ホセ・セレスティーノ・ブルーノ・ムティス・イ・ボシオ が設置したアメリカ大陸 初の天文台である。1803年8月、ヌエバ・グラナダ 王立植物探検隊本部の庭に高さ22mの八角形 の新古典主義様式 の塔が建てられた。1814年にシモン・ボリバル のボゴタ攻略で略奪 に遭った後、軍学校 や刑務所 への改造を経て、20世紀に完全に廃棄された。その後、1921年にシモン・サラソーラ(英語版 ) はサン・バルトロメ国家天文台を設立し、1923年に同国初の地震計 を設置した。新天文台は1936年にコロンビア国立大学 の一部となり、1952年に現在地に移転された。 ⓘSanta Fé de Bogotá, National Observatory of Colombia ルネッサンス から20世紀中期までの天文学 コロンビア 、ボゴタ の学園都市(英語版 ) 北緯4度38分23秒 西経74度5分0秒 / 北緯4.63972度 西経74.08333度 / 4.63972; -74.08333 (Santa Fé de Bogotá, National Observatory of Colombia ) 178 モスクワ のシュテルンベルク天文研究所 ロシア 、モスクワ北緯55度42分4秒 東経37度32分34秒 / 北緯55.70111度 東経37.54278度 / 55.70111; 37.54278 (Sternberg Astronomical Institute, Moscow, Russia ) 旧モスクワ大学天文台(ロシア語版 ) は1819年〜1831年、アファナシー・グリゴリエヴィッチ・グリゴリエフ(英語版 ) によりモスクワ大学 のクラスノプレスネンスカヤキャンパス に建てられた石造の建物である。パーヴェル・カルロヴィッチ・シュテルンベルク の名前を冠するシュテルンベルク天文研究所は1931年に旧天文台内に設置されたが、1956年に雀が丘 の新キャンパスに移転された。 ⓘSternberg Astronomical Institute, Moscow, Russia ルネッサンス から20世紀中期までの天文学 179 アバストゥマニ天文台(英語版 ) ジョージア 、アバストゥマニ(英語版 ) 付近のカノビリ山(グルジア語版 ) 北緯41度45分15秒 東経42度49分10秒 / 北緯41.75417度 東経42.81944度 / 41.75417; 42.81944 (Abastumani Observatory, Georgia ) トビリシ から250km離れた小コーカサス山脈 にある旧ソ連諸国 最古の山岳天文台であり、1932年にエフゲニー・キリロヴィッチ・ハラーゼ(英語版 ) により設立された。その歴史は1892年にサンクトペテルブルク大学 が設置した臨時観測所 まで遡ることができる。 ⓘAbastumani Observatory, Georgia ルネッサンス から20世紀中期までの天文学 180 クラコフ天文台(ポーランド語版 ) ポーランド 、クラクフ ・ヤギェウォ大学 の植物園(英語版 ) 北緯50度3分49秒 東経19度57分21秒 / 北緯50.06361度 東経19.95583度 / 50.06361; 19.95583 (Astronomical Observatory Nicolaus Copernicus of the Jagiellonian University, Collegium Śniadecki ) コペルニクス の母校、クラコフ大学 の天文台は同大の植物園 にあり、1787年〜1792年にフェリクス・ラドヴァニスキ(ポーランド語版 ) が設計した建物である。タデウシュ・バナヒェヴィチ(英語版 ) は1920年代にルボミール山(ポーランド語版 ) に附属観測所(ポーランド語版 ) を、1953年にクラクフ西側10kmにあるスカワ要塞に電波天文台をそれぞれ設置した。 ⓘCracow Observatory, Poland ルネッサンス から20世紀中期までの天文学 ポーランド 、クラクフ 付近のスカワ要塞(ポーランド語版 ) 北緯50度3分13秒 東経19度49分30秒 / 北緯50.05361度 東経19.82500度 / 50.05361; 19.82500 (Fort Skała Astronomical Observatory of the Jagiellonian University ) 181 ワルシャワ天文台(ポーランド語版 ) ポーランド 、ワルシャワ のワジェンキ公園 北緯52度13分1秒 東経21度1分40秒 / 北緯52.21694度 東経21.02778度 / 52.21694; 21.02778 (Warsaw Observatory, Poland ) ワルシャワ大学 天文台の建物はフリスティアン・ピョトル・アイグネル(英語版 ) 、ミハウ・カド(ポーランド語版 ) とヒラリー・シュピロフスキ(ポーランド語版 ) が設計した4階建ての古典主義建築 で、1820年〜1824年に建てられた。第二次世界大戦 後、天文台の建物は1948年〜1950年にヤン・ドンブロフスキ(ポーランド語版 ) の監督の下で再建された。附属観測所(ポーランド語版 ) は1947年にクラクフ 付近のプシェゴジャウィ(英語版 ) に設置されたが、1952年にワルシャワの南東35km離れたオストロヴィク(英語版 ) に移転された。 ⓘWarsaw Observatory, Poland ルネッサンス から20世紀中期までの天文学 182 ポズナン天文台(英語版 ) ポーランド 、ポズナン のアダム・ミツキェヴィチ大学 北緯52度23分40秒 東経16度52分29秒 / 北緯52.39444度 東経16.87472度 / 52.39444; 16.87472 (Poznan Observatory, Poland ) 1761年、ユゼフ・ロガリニスキ(ポーランド語版 ) はポズナンのイエズス会 大学の建物の2階と屋上に天文台を設立し、マリア・レシュチニスカ により寄贈された機器を収容した。しかし、1773年にイエズス会は解散となったため、天文台は閉鎖された。1919年、カジミェシュ・ロムアルト・グラフ(英語版 ) は1880年代築のマナー・ハウス を改造し、ポズナン天文台を設置した。 ⓘPoznan Observatory, Poland ルネッサンス から20世紀中期までの天文学 183 トゥルン =ピヴニツェ天文台(英語版 ) ポーランド 、クヤヴィ=ポモージェ県 のピヴニツェ(英語版 ) 北緯53度5分43秒 東経18度33分46秒 / 北緯53.09528度 東経18.56278度 / 53.09528; 18.56278 (Torun-Piwnice Observatory, Poland ) もともと「トルン天文学センター」という名前であったが、2019年に「ニコラウス・コペルニクス大学(英語版 ) 天文研究所」に改編された。天文台はコペルニクス の故郷であるトルン の北側13km離れた場所にあり、1947年にヴワディスワフ・ジェヴルスキ(英語版 ) とヴィルヘルミナ・イヴァノフスカ(英語版 ) により設置された。1979年と1994年に設置された2台の電波望遠鏡 により、天文台は超長基線電波干渉法 の観測網の一角を成している。 ⓘTorun-Piwnice Observatory, Poland ルネッサンス から20世紀中期までの天文学 184 コンスタンティノープル のタキ・アッ=ディン天文台(英語版 ) トルコ 、イスタンブル ・べヨール(英語版 ) のアスマル・メスジト(トルコ語版 ) 地区北緯41度1分56秒 東経28度58分35秒 / 北緯41.03222度 東経28.97639度 / 41.03222; 28.97639 (Taqi ad-Din Observatory, Constantinople (Istanbul), Turkey ) 1575年、タキ・アッ=ディン(英語版 ) は現在のイスティクラル通りにオスマン帝国 初の天文台を設立し、1577年の大彗星の観測に成功した。しかし、当時サファヴィー朝 と戦争 を行ったムラト3世 はこの彗星 が災厄の前兆 だと考えたため、1580年に天文台を取り壊した。 ⓘTaqi ad-Din Observatory, Constantinople (Istanbul), Turkey ルネッサンス から20世紀中期までの天文学 185 イスタンブル の帝国天文台、カンディッリ天文台(英語版 ) トルコ 、イスタンブル・ユスキュダル のチェンゲルキョイ(英語版 ) 地区北緯41度3分48秒 東経29度3分44秒 / 北緯41.06333度 東経29.06222度 / 41.06333; 29.06222 (Imperial Observatory - Kandilli Observatory, Istanbul, Turkey ) 1868年に設立された帝国天文台の初期の活動は気象観測 、天気予報 と時報 であったが、1894年イスタンブール地震(英語版 ) の後は地震学 の研究も始まった。天文台は1909年の3月31日事件 で破壊された後、1911年にファティン・ギョクメン(英語版 ) によりイジャディエ(英語版 ) の丘の上に再建された。1940年に「カンディッリ天文・地球物理 観測所」に改称された後、ボアジチ大学 の一部となる。 ⓘImperial Observatory - Kandilli Observatory, Istanbul, Turkey ルネッサンス から20世紀中期までの天文学 186 イスタンブール大学天文台(英語版 ) トルコ 、イスタンブル ・ファティフ(英語版 ) のイスタンブール大学 本部キャンパス 北緯41度0分45秒 東経28度57分56秒 / 北緯41.01250度 東経28.96556度 / 41.01250; 28.96556 (Istanbul University Observatory, Turkey ) 1935年〜1936年、エルヴィン・フィンライ=フロインドリヒ(英語版 ) の監督の下で建設された天文台である。天文台の建物はエクレム・ハック・アイヴェルディ(トルコ語版 ) が設計したもので、バウハウス 様式の影響が見られる。 ⓘIstanbul University Observatory, Turkey ルネッサンス から20世紀中期までの天文学 187 ケソン市 のマニラ天文台(英語版 ) フィリピン 、マニラ 北緯14度34分42秒 東経120度58分59秒 / 北緯14.57833度 東経120.98306度 / 14.57833; 120.98306 (Manila (Jesuit) Observatory, Observatorio Meteorológico del Ateneo Municipal de Manila ) イエズス会 は1865年に極東 初の天文台の1つである「マニラ気象観測所 」を設立し、1886年にマニラ 南部に移転した。1909年、気象局 はバギオのミラドール山に気象学 と地球力学の観測所 を設置した。1945年にマニラの戦い で破壊された後、天文台は1962年にディリマン のロヨラ高地(英語版 ) に再建された。附属施設としてはミラドール山観測所のほか、磁気赤道に近いダバオ の地磁気 観測所がある。 ⓘManila Observatory, Quezon City, Philippines ルネッサンス から20世紀中期までの天文学 フィリピン 、ベンゲット州 バギオ のミラドール山(英語版 ) 北緯16度24分35秒 東経120度34分47秒 / 北緯16.40972度 東経120.57972度 / 16.40972; 120.57972 (Mirador Observatory ) フィリピン 、マニラ首都圏 ケソン市のアテネオ・デ・マニラ大学 北緯14度38分12秒 東経121度4分36秒 / 北緯14.63667度 東経121.07667度 / 14.63667; 121.07667 (Modern Manila Observatory ) 188 ハバナ のベレン修道院(英語版 ) 天文台 キューバ 、ハバナ旧市街 北緯23度7分59秒 西経82度21分12秒 / 北緯23.13306度 西経82.35333度 / 23.13306; -82.35333 (Convento de Belén Observatory, Havana, Cuba ) ベレン聖母教会ことベレンイエズス会 修道院は1854年〜1925年にハバナの旧市街に存在しており、1858年に王立天文台は修道院のネオバロック様式の塔に設立された。ベニート・ビニェス(英語版 ) はここで西インド諸島 のハリケーン や1882年の金星の太陽面通過 などの観測と研究を行った。 ⓘConvento de Belén Observatory, Havana, Cuba ルネッサンス から20世紀中期までの天文学 世界遺産「ハバナ旧市街とその要塞群」の範囲内 191 アルジェ=ブザレア天文台 アルジェリア 、アルジェ のブザレア(英語版 ) 北緯36度47分52秒 東経3度1分56秒 / 北緯36.79778度 東経3.03222度 / 36.79778; 3.03222 (Observatoire de Algiers-Bouzareah, Algeria ) 1890年に設立されたブザレア天文台と1910年に設立された地震 観測所が1931年に合併して成立した天文台である。正式名称は「国立天文学、天体物理学 および地球物理学 研究センター」である。 ⓘObservatoire de Algiers-Bouzareah, Algeria ルネッサンス から20世紀中期までの天文学 192 モンテビデオ天文台(スペイン語版 ) ウルグアイ 、モンテビデオ のコルドン(英語版 ) 南緯34度54分14秒 西経56度10分33秒 / 南緯34.90389度 西経56.17583度 / -34.90389; -56.17583 (Observatorio Astronómico de Montevideo, Uruguay ) モンテビデオにおける天体観測 の起こりは1789年11月に行われた水星の太陽面通過 の観測で、観測記録はマドリード に現存している。1927年、公開天文台 は有識者の提案により、アルフレド・バスケス・アセベド研究所(スペイン語版 ) の建物の上層階に設置された。 ⓘObservatorio Astronómico de Montevideo, Uruguay ルネッサンス から20世紀中期までの天文学 193 ミツペ・ラモン のテルアビブ大学 ワイズ天文台 イスラエル 、ミツペ・ラモン付近のネゲヴ砂漠 北緯30度35分45秒 東経34度45分48秒 / 北緯30.59583度 東経34.76333度 / 30.59583; 34.76333 (Wise Observatory of Tel Aviv University, Mitzpeh Ramon, Israel ) ワイズ天文台は世界最大の侵食圏谷、ラモン・クレーター(英語版 ) の辺縁部に近い砂漠の中にあり、ミツペ・ラモンから西側5km、ベエルシェバ から南側85km離れた場所にある。1971年にスミソニアン協会 の援助により設置され、テルアビブ大学初代学長のジョージ・シュネイヴァイス・ワイズ(英語版 ) に因んで名付けられた。 ⓘWise Observatory of Tel Aviv University, Mitzpeh Ramon, Israel ルネッサンス から20世紀中期までの天文学 194 ダブリン のダンシンク天文台 アイルランド 、ダブリン都心から北西8km離れたキャッスルノック(英語版 ) 北緯53度23分14秒 西経6度20分19秒 / 北緯53.38722度 西経6.33861度 / 53.38722; -6.33861 (Dunsink Observatory, Dublin, Ireland ) 1783年〜1785年に建設されたアイルランド島 初の科学研究用建物と最古の科学機関で、1880年〜1916年に用いられたダブリン平均時 を決定した場所である。天文台は長らくダブリン大学トリニティ・カレッジ の附属施設であったが、1940年にダブリン高等研究所 理論物理学 部の一部、1947年に同研究所宇宙物理学 部の一部となった。天文台には1868年に導入された12インチ の屈折望遠鏡 であるサウス 望遠鏡 がある。 ⓘDunsink Observatory, Dublin, Ireland ルネッサンス から20世紀中期までの天文学 195 リッチモンド ・キュー のキングス天文台(英語版 ) イギリス 、ロンドン ・リッチモンド・アポン・テムズ区 のオールド・ディア・パーク(英語版 ) 北緯51度28分8秒 西経0度18分53秒 / 北緯51.46889度 西経0.31472度 / 51.46889; -0.31472 (King's Observatory, Kew, Richmond, UK ) ジョージ3世 は1769年6月3日の金星の太陽面通過 に触発され、同年に天文台を設立した。天文台の建物はウィリアム・チェンバーズ が設計した3階建てのパッラーディオ主義 基礎とする古典主義建築 で、屋上には現在も稼働中の世界最古の回転式ドーム があり、周辺の公園内には天文台の子午儀 の校正のために造られた3本のオベリスク がある。天文学的成果としてはベルフォー・スチュワート(英語版 ) による1859年の太陽嵐 の観測が挙げられる。天文台は1841年に民間に払い下げられ、王立学会 を経て1910年以降は気象庁 所有の建物となる。 ⓘKing's Observatory, Kew, Richmond, UK ルネッサンス から20世紀中期までの天文学 196 西アルプス とグラーナ渓谷(英語版 ) 星空保護区 イタリア 、ピエモンテ州 クーネオ県 のファウニエラ峠(英語版 ) 北緯44度23分9秒 東経7度7分19秒 / 北緯44.38583度 東経7.12194度 / 44.38583; 7.12194 (Colle Fauniera ) グラーナ渓谷はポー川 流域のグラーナ川(イタリア語版 ) の渓谷 で、生物多様性 に富む南西アルプス山脈 の山中にある。ファウニエラ峠はグラーナ谷の上流部にある美しいアルプスの風景と星空が見られる地域である。星空保護区はカステルマーニョという自治体 にある2つの異なるエリア(ファウニエラ峠とカステルマーニョ保護区)からなり、総面積は43km²である。緩衝地帯の面積は約130km²で、カラーリオ 、モンテマーレ 、ヴァルグラーナ 、モンテロッソ・グラーナ 、プラドレーヴェス の各自治体の区域からなる。 ⓘWestern Alpine and Grana Valley Sky Sanctuary, Italy 「空への窓」:星の光、夜空保護区 と天文台 イタリア 、ピエモンテ州 クーネオ県 のカステルマーニョ 北緯44度24分0秒 東経7度13分0秒 / 北緯44.40000度 東経7.21667度 / 44.40000; 7.21667 (Castelmagno Sanctuary ) 197 マンハイム天文台 ドイツ 、マンハイム 北緯49度29分12秒 東経8度27分35秒 / 北緯49.48667度 東経8.45972度 / 49.48667; 8.45972 (Mannheim Observatory, Germany ) 1750年代、クリスチャン・マイヤー はハイデルベルク とシュヴェツィンゲン 一帯で恒星 の観測を行い、プファルツ選帝侯領 の地図 を作製した。マイヤーは1764年にシュヴェツィンゲン城(英語版 ) の屋上に設置された天文台で所在地の経緯度 を測定した後、1770年にマンハイムに天文台を設置する計画を立てた。天文台は1772年〜1775年に建てられた高さ33mの八角形 の塔で、内部にはマイヤーの住まいや天頂望遠鏡 があり、マイヤーはここで二重星 の研究を行った。1880年、天文台はカールスルーエ に移転された。 ⓘMannheim Observatory, Germany ルネッサンス から20世紀中期までの天文学 198 ベール城(英語版 ) の「ロス卿 のパーソンズタウンのリヴァイアサン 」 アイルランド 、レンスター 地方オファリー県 のベール(英語版 ) 北緯53度5分48秒 西経7度55分3秒 / 北緯53.09667度 西経7.91750度 / 53.09667; -7.91750 (Lord Rosse's Leviathan of Parsonstown, Birr Castle, Irland ) 望遠鏡 製作の名人として知られる第3代ロス伯爵ウィリアム・パーソンズ は1842年〜1845年に6回の鋳造 を経て3トン の反射鏡 を製作し、ベール城にリヴァイアサンを設置した。リヴァイアサンは口径 72インチ ・焦点距離 16.5mの6フィート のニュートン式望遠鏡 で、1917年までは世界最大の望遠鏡であった。ロス卿はこの望遠鏡を用いて、渦巻星雲 は多くの星からなるのを発見した。 ⓘLord Rosse's Leviathan of Parsonstown, Birr Castle, Irland ルネッサンス から20世紀中期までの天文学 199 エディンバラ市天文台(英語版 ) イギリス 、スコットランド 地方エディンバラ のカールトンの丘 北緯55度57分17秒 西経3度11分0秒 / 北緯55.95472度 西経3.18333度 / 55.95472; -3.18333 (Edinburgh City Observatory, UK ) 旧天文台であるゴシック・タワーはジェームズ・クレイグ が設計した高さ48フィート の八角形 の塔で、1776年にカールトンの丘の南西部に設置された。ウィリアム・ヘンリー・プレイフェア(英語版 ) は1818年に古代ギリシア の神殿 の形をした新古典主義様式 の天文台建物を建設し、1826年にその近辺に叔父のジョン・プレイフェア の記念碑 を設置した。1822年、市天文台はジョージ4世 の勅許 により王立天文台となり、1896年に市南部に新しい王立天文台(ID No.200)は設置された。 ⓘEdinburgh City Observatory, UK ルネッサンス から20世紀中期までの天文学 世界遺産「エディンバラの旧市街と新市街 」の範囲内 200 エディンバラ王立天文台(英語版 ) イギリス 、スコットランド 地方エディンバラ のブラックフォードの丘(英語版 ) 北緯55度55分23秒 西経3度11分16秒 / 北緯55.92306度 西経3.18778度 / 55.92306; -3.18778 (Royal Observatory Edinburgh, UK ) 1888年にジェイムズ・ルードヴィック・リンジー による機器と蔵書の寄贈を受け、カールトンの丘 にある市天文台(ID No.199)の代わりに、1892年〜1895年に市南部のブラックフォードの丘に新しい天文台が建設された。天文台の本館はウォルター・ウッド・ロバートソン(英語版 ) が設計した非対称の丁字形のネオルネッサンス建築 で、屋上には2つのドーム があり、東側のドームには91cmの反射望遠鏡 がある。 ⓘRoyal Observatory Edinburgh, UK ルネッサンス から20世紀中期までの天文学 201 オスロ のクリスチャニア天文台(ノルウェー語版 ) ノルウェー 、オスロ北緯59度54分46秒 東経10度43分5秒 / 北緯59.91278度 東経10.71806度 / 59.91278; 10.71806 (Christiania Observatory, Oslo, Norway ) クリスチャニア大学 の天文台の建物は1833年にクリスチャン・ハインリヒ・グロシュ(英語版 ) により建てられ、クリストフェル・ハンステーン は初代台長を務めた。天文台は1841年と1865年に所在地の経緯度 を測定したほか、皆既日食 や水星の太陽面通過 などの観測、測地 網と地図 の作製および報時球 による時報 を行った。近くのオスロ・フィヨルド のリンドヤ島(英語版 ) にはオスロ子午線 を示すマークがある。天文台は1934年に閉鎖され、後継施設としてオスロ大学 の理論天体物理 研究所とハレストゥア太陽観測所(英語版 ) がある。 ⓘChristiania Observatory, Oslo, Norway ルネッサンス から20世紀中期までの天文学 202 オーボ /トゥルク のヴァルティオヴォリ天文台(英語版 ) フィンランド 、南西スオミ県 トゥルクのヴォードベリエット公園(フィンランド語版 ) 北緯60度26分55秒 東経22度16分37秒 / 北緯60.44861度 東経22.27694度 / 60.44861; 22.27694 (Vartiovuori Observatory, Åbo/Turku, Finland ) 1817年〜1819年に建設された天文台の建物はカール・ルドヴィグ・エンゲル(英語版 ) が設計したラテン十字 形の新古典主義建築 である。1827年、フリードリヒ・ヴィルヘルム・アルゲランダー が台長を務めた時期にトゥルク大火(英語版 ) は発生し、丘の上にある天文台と近辺の木造家屋 は被害を免れたものの、1831年〜1834年に観測機器はヘルシンキ大学 天文台に移された。 ⓘVartiovuori Observatory, Åbo/Turku, Finland ルネッサンス から20世紀中期までの天文学 204 ID No.11 チャンキーヨのUNESCOによる世界遺産の説明 205 オンドジェヨフ天文台 チェコ 、プラハ の南東35km離れたオンドジェヨフ(英語版 ) 北緯49度54分55秒 東経14度46分52秒 / 北緯49.91528度 東経14.78111度 / 49.91528; 14.78111 (Ondřejov Observatory, Czech Republic ) 1898年、ヨゼフ・ヤン・フリッチ(チェコ語版 ) はオンドジェヨフ付近の土地を購入し、ヨゼフ・ファンタ(英語版 ) が設計したアール・ヌーヴォー様式 の天文台を築いた。フリッチは1905年に研究室 があるヴィラ 、1908年〜1912年に2つのドーム を建てた後、1928年に天文台をチェコスロバキア 政府に寄贈した。オンドジェヨフ天文台は旧クレメンティヌムの天文台(ID No.112)を統合した後、1954年に新たに成立したチェコスロバキア科学アカデミー(英語版 ) 天文研究所の傘下に入った。 ⓘOndřejov Observatory, Czech Republic ルネッサンス から20世紀中期までの天文学 206 ヴュルツブルク のノイバウ教会(ドイツ語版 ) 天文台 ドイツ 、ヴュルツブルク北緯49度47分27秒 東経9度55分56秒 / 北緯49.79083度 東経9.93222度 / 49.79083; 9.93222 (Neubaukirche Observatory, Würzburg, Germany ) 1583年〜1591年に建設されたノイバウ教会を含むヴュルツブルク大学 の建物はゲオルク・ロビン(ドイツ語版 ) が設計したルネサンス建築 である。バロック時代 にアントニオ・ペトリーニ(ドイツ語版 ) はノイバウ教会の塔をフランケン ・バロック様式 に改造した後、バルタザール・ノイマン は1722年にバロック様式の図書館棟を追加した。フランツ・フベルティ(ドイツ語版 ) は1757年に高さ91mのノイバウ教会の塔に天文台を設置し、そこで1761年の金星の太陽面通過 と1770年のレクセル彗星 を観測した。 ⓘNeubaukirche Observatory, Würzburg, Germany ルネッサンス から20世紀中期までの天文学 207 上海天文台(中国語版 ) (佘山天文台(中国語版 ) ) 中華人民共和国 、上海市 の佘山(英語版 ) 北緯31度5分45秒 東経121度11分4秒 / 北緯31.09583度 東経121.18444度 / 31.09583; 121.18444 (Shanghai Astronomical Observatory (Sheshan Station) ) 1872年、フランス のイエズス会 は徐家匯聖イグナチオ大聖堂 に気象観測所 を設置し、翌年に徐家匯観象台を設け、セッキ の気象測器、ヴィーヘルト の地震計 、セオドライト など様々な機器を用いて気象学 、天文学、地磁気 、地震学 の観測を行った。1890年に徐家匯 の南西25km離れた佘山に附属観測所は建てられ、1908年に地磁気部門は30km離れた菉葭浜(中国語版 ) に移転された。1962年、佘山天文台は徐家匯天文台と統合され、中国科学院 上海天文台となった。 ⓘShanghai Astronomical Observatory (Sheshan Station), China ルネッサンス から20世紀中期までの天文学 中華人民共和国 、上海市 の南丹路北緯31度11分25秒 東経121度25分46秒 / 北緯31.19028度 東経121.42944度 / 31.19028; 121.42944 (Shanghai Astronomical Observatory ) 208 チャプルテペク城 天文台 メキシコ 、メキシコシティ のミゲル・イダルゴ のチャプルテペクの森 北緯19度25分14秒 西経99度10分54秒 / 北緯19.42056度 西経99.18167度 / 19.42056; -99.18167 (Astronomical Observatory Castillo de Chapultepec, Mexico ) チャプルテペクの丘はテノチティトラン のアステカ族 の聖地 であった。1785年、ベルナルド・ビンセンテ・デ・ガルベス・イ・マドリード の命令によりチャプルテペク城の建設が始まったが、彼の急逝により建設が止まった。メキシコ独立戦争 以降、城は陸軍士官学校の用地となり、敷地に「カバジェーロ・アルト(スペイン語版 ) 」という見張り塔 が建設された。米墨戦争 期のアメリカ軍 による占領を経て、1864年にマクシミリアン1世 の要請により、ラモン・ロドリゲス・アランゴイティ(スペイン語版 ) らは城をネオゴシック と新ロマン主義 の建物に改造した。1878年、国立天文・気象 ・磁気 観測所は城に設置され、見張り塔は観測塔となった。1883年、天文台はタクバヤ にある大司教 の旧居に移転された。 ⓘAstronomical Observatory Castillo de Chapultepec, Mexico ルネッサンス から20世紀中期までの天文学 209 1931年以前のストックホルム天文台 スウェーデン 、ストックホルム の天文台の森(英語版 ) 北緯59度20分30秒 東経18度3分17秒 / 北緯59.34167度 東経18.05472度 / 59.34167; 18.05472 (Stockholm Observatory (until 1931), Sweden ) 1748年〜1753年に建設されたストックホルム旧天文台はカール・ホーレマン(英語版 ) が設計したスウェーデン式のロココ建築 である。スウェーデンではセルシウス の家(ID No.106)に次ぐ2番目に古い天文台である。天文台には1756年から現在までの250年以上にわたる気象観測 活動の記録が残っている。1875年と1881年に増築が行われ、19世紀以降にウーゴ・ギュルデーン やベルティル・リンドブラッド は台長を務めた。1931年、天文台はサルトシェバーデン天文台(ID No.244)に移転された。 ⓘStockholm Observatory (until 1931), Sweden ルネッサンス から20世紀中期までの天文学 210 ミシシッピ州 オクスフォード のミシシッピ大学 のバーナード天文台(英語版 ) アメリカ合衆国 、ミシシッピ州ラファイエット郡 オックスフォードのミシシッピ大学北緯34度21分58秒 西経89度32分4秒 / 北緯34.36611度 西経89.53444度 / 34.36611; -89.53444 (Barnard Observatory, University of Mississippi, Oxford, MS, USA ) 1859年に建設されたギリシア復興建築で、建物中央の大きなドームには大型な屈折望遠鏡 が入居する予定があったものの、南北戦争 により注文した望遠鏡は届けなくなった。当の望遠鏡は後に旧シカゴ大学(英語版 ) により購入され、現在はその後身校のノースウェスタン大学 のディアボーン天文台(英語版 ) にある。なお、製造者の1人のアルヴァン・グラハム・クラーク は1862年の望遠鏡のテスト中にシリウスB を発見した。 ⓘBarnard Observatory, University of Mississippi, Oxford, MS, USA ルネッサンス から20世紀中期までの天文学 211 ヌーシャテル州立天文台(英語版 ) スイス 、ヌーシャテル 北緯47度0分0秒 東経6度57分11秒 / 北緯47.00000度 東経6.95306度 / 47.00000; 6.95306 (Observatoire cantonal de Neuchâtel, Switzerland ) 1858年にヌーシャテル州 政府が設立した天文台であり、設立の目的は地場産業 の精密時計 (クロノグラフ 、クロノメーター など)の製造業 の促進である。天文台は1860年に建設された2階建ての古典主義建築 で、1901年に初代台長のアドルフ・ヒルシュ(ドイツ語版 ) の遺言状 によりヌーシャテル市に寄贈された。1909年〜1911年、シャルル・レプラトニエ が設計したスティル・サパン様式 の「パヴィヨン ・ヒルシュ」は建設された。天文台は1959年に最初の原子時計 を作製し、2007年までは欧州宇宙機関 に時報 を提供した。 ⓘObservatoire cantonal de Neuchâtel, Switzerland ルネッサンス から20世紀中期までの天文学 212 ジュネーヴ のジュネーブ天文台 スイス 、ジュネーヴ州 ジュネーヴの天文台公園(旧サン=アントワーヌ要塞 )北緯46度11分59秒 東経6度9分8秒 / 北緯46.19972度 東経6.15222度 / 46.19972; 6.15222 (Geneva Observatory, Geneva ) 1772年、ジャック=アンドレ・マレ(英語版 ) はジュネーヴにスイス初の天文台を設立した。その後、天文台はヴァシュロン・コンスタンタン などのジュネーヴの時計 職人 のために気象観測 と時刻 の計測を始めた。1817年、マルク=オーギュスト・ピクテ(英語版 ) はグラン・サン・ベルナール峠 に観測所 を設立した。1830年、ジャン=アルフレッド・ゴーティエ(英語版 ) は近くのサン=アントワーヌ要塞に2代目のジュネーブ天文台を建設した。天文台は1967年にヴェルソワのジュネーヴ大学 に移転された後、旧天文台の建物は1969年に取り壊された。 ⓘObservatoire de Genève, Geneva, Switzerland ルネッサンス から20世紀中期までの天文学 スイス 、ジュネーヴ州 のヴェルソワ 北緯46度18分32秒 東経6度8分6秒 / 北緯46.30889度 東経6.13500度 / 46.30889; 6.13500 (The new Geneva Observatory ) 213 ボローニャ天文台(イタリア語版 ) のラ・スペーコラ(イタリア語版 ) イタリア 、ボローニャ県 ボローニャ のザンボーニ通り北緯44度29分48秒 東経11度21分9秒 / 北緯44.49667度 東経11.35250度 / 44.49667; 11.35250 (La Specola, Bologna Observatory, Italy ) 1712年、自邸に私設天文台を設置した地元の貴族 、ルイージ・フェルディナンド・マルシーリ はボローニャ大学 へのコレクション の寄贈と研究所 の設立の契約を結んだ。ラ・スペーコラ天文台はジュゼッペ・アントニオ・トッリ(英語版 ) とカルロ・フランチェスコ・トッティ(英語版 ) が設計した4階建ての後期バロック建築 で、1713年〜1726年に大学本部のポッジ宮殿(英語版 ) に建設された。20世紀以降にグイード・オルン=ダルトゥーロ らは台長を務めた。関連施設として、ボローニャ天体物理学 ・宇宙科学 観測所、ロイアーノ観測所、ファビオ・ムッツィ・ジョヴァニョーニ天文台、メディチーナ電波天文台(英語版 ) 、カザレッキオ・ディ・レーノ のフェルシナ天文台がある。 ⓘLa Specola, Bologna Observatory, Italy ルネッサンス から20世紀中期までの天文学 イタリア 、ボローニャ県 ボローニャ のピエロ・ゴベッティ通り北緯44度31分18秒 東経11度20分11秒 / 北緯44.52167度 東経11.33639度 / 44.52167; 11.33639 (National Institute for Astrophysics (INAF) - Astrophysics and Space Science Observatory of Bologna ) イタリア 、ボローニャ から37km離れたロイアーノ 北緯44度15分33秒 東経11度20分4秒 / 北緯44.25917度 東経11.33444度 / 44.25917; 11.33444 (Loiano Astronomical Park ) イタリア 、ボローニャ県 ボローニャ のマリオ・ジャッキャ広場北緯44度28分56秒 東経11度21分21秒 / 北緯44.48222度 東経11.35583度 / 44.48222; 11.35583 (Osservatorio Astronomico "Fabio Muzzi Giovagnoni" ) イタリア 、ボローニャ県 のメディチーナ 北緯44度31分15秒 東経11度38分49秒 / 北緯44.52083度 東経11.64694度 / 44.52083; 11.64694 (INAF- Istituto di Radioastronomia - Stazione di Medicina ) イタリア 、ボローニャ県 のモンテ・サン・ピエトロ 北緯44度21分23秒 東経11度9分9秒 / 北緯44.35639度 東経11.15250度 / 44.35639; 11.15250 (Osservatorio Astronomico Felsina, Casalecchio di Reno ) 215 ミラノ のブレラ天文台(英語版 ) イタリア 、ミラノ県 のミラノ北緯45度28分17秒 東経9度11分22秒 / 北緯45.47139度 東経9.18944度 / 45.47139; 9.18944 (Osservatorio Astronomico di Brera ) 1764年、ブレラ天文台はジュゼッペ・ロドヴィーコ・ラグランジャ とイエズス会 のルッジェーロ・ジュゼッペ・ボスコヴィッチ によりミラノのブレラ宮殿(英語版 ) に設立された。ジョヴァンニ・スキャパレッリ はここで8インチ の屈折望遠鏡 を用いて、火星 の観測を行ったのは有名である。1920年代、ブリアンツァ 地域のメラーテに附属のメラーテ観測所(英語版 ) が建てられた。 ⓘOsservatorio Astronomico di Brera, Milano, Italy ルネッサンス から20世紀中期までの天文学 イタリア 、レッコ県 のメラーテ 北緯45度42分22秒 東経9度25分42秒 / 北緯45.70611度 東経9.42833度 / 45.70611; 9.42833 (Merate Observatory ) 216 ブカレスト のブカレスト天文台(ルーマニア語版 ) ルーマニア 、ブカレスト北緯44度24分39秒 東経26度5分42秒 / 北緯44.41083度 東経26.09500度 / 44.41083; 26.09500 (Bucharest Observatory, Bucuresti, Romania ) シュテファン・ヘピテス(英語版 ) は1884年にルーマニア気象研究所を設立し、スピル・ハレット(英語版 ) は1908年にフィラレットの丘(英語版 ) に気象天文台を設立した。天文台の建物は本館、ドーム 、子午線 室などからなる新古典主義建築 で、その隣にある図書館 の「ヴィラ・ボシアヌ」は1859年に建てられた八角形 のロマン主義 建築である。1920年に天文台の気象学 部門は分立し、1958年に天文台に太陽 観測所が建設された。 ⓘBucharest Observatory, Bucuresti, Romania ルネッサンス から20世紀中期までの天文学 217 ビハール州 ムザッファルプル のランガット・シン・カレッジ(英語版 ) 天文台 インド 、ビハール州ムザッファルプルのカランバーグ通り北緯26度6分50秒 東経85度22分44秒 / 北緯26.11389度 東経85.37889度 / 26.11389; 85.37889 (Langat Singh College Observatory ) 1899年に設立されたランガット・シン・カレッジはビハール州北部で最古の高等教育機関 である。パトナ から北側100km離れた場所にあるこの建物はイギリス 、オックスフォード のベリオール・カレッジ を原型としたもので、インド・サラセン様式の要素を多く取り入れた。天文台である金属 のドーム は1914年〜1916年に多数のイグルー 状の石細工と共にカレッジの屋上に建設され、1922年に運用開始し、1958年にプラネタリウム が追加された。 ⓘLangat Singh College Observatory in Muzaffarpur, Bihar, India ルネッサンス から20世紀中期までの天文学 インド 、ビハール州ムザッファルプルの大学通り北緯26度6分51秒 東経85度22分45秒 / 北緯26.11417度 東経85.37917度 / 26.11417; 85.37917 (Planetarium, Langat Singh College ) 220 ウィーン のメルカー稜堡(ドイツ語版 ) のマリノーニ天文台 オーストリア 、ウィーンのパスクヴァラティ・ハウス(英語版 ) (ルートヴィヒ・ファン・ベートーヴェン の家)北緯48度12分42秒 東経16度21分42秒 / 北緯48.21167度 東経16.36167度 / 48.21167; 16.36167 (Marinoni Observatory, Mölkerbastei, Vienna, Austria ) ウィーンの地図 を作製したジョヴァンニ・ヤコポ・デ・マリノーニ(ドイツ語版 ) は1720年代、メルカー稜堡にある自宅の屋根 に2階建ての塔を建て、ウィーン初の天文台を設置した。しかし、一帯にウィーンの森 が広がり、ドナウ川 沿いの低地 には霧 も多いため、天文台から地平線 付近を見えず、子午線 や正中 などの観測しかできなかった。天文台の屋根には羅針図 と連動する風見鶏 があり、内部には望遠鏡 、四分儀 、振り子時計 、天球儀 などが設置された。その後、天文台はヨーロッパ 中で有名となり、レオンハルト・オイラー も興味を示した。 ⓘMarinoni Observatory, Mölkerbastei, Vienna, Austria ルネッサンス から20世紀中期までの天文学 222 ユニバーシティ・カレッジ・コーク のクロフォード天文台(英語版 ) アイルランド 、コーク のユニバーシティ・カレッジ・コーク北緯51度53分33秒 西経8度29分32秒 / 北緯51.89250度 西経8.49222度 / 51.89250; -8.49222 (Crawford Observatory, University College Cork, Ireland ) アイルランド国立大学 のコーク校は1845年に設立され、1849年に建物は建てられた。その後、地元の醸造業 者のウィリアム・ホレイショ・クロフォード(英語版 ) は1,000ポンド を大学に寄付し、それにより建てられた天文台の建物は大学初期の建物と同じく教会 様式で、ブリテン諸島 で数少ないゴシック建築 の特徴を持つ天文台の1つである。構造は18世紀のスカンディナヴィア半島 に由来するもので、2階建ての中央棟には赤道儀 があるほか、東ウィング には同国内で最も保存状態の良い子午環 、西ウィングにはシデロスタティック 望遠鏡 がある。 ⓘCrawford Observatory, University College Cork, Ireland ルネッサンス から20世紀中期までの天文学 223 コインブラ 天文台 ポルトガル 、コインブラのコインブラ大学 北緯40度12分25秒 西経8度25分33秒 / 北緯40.20694度 西経8.42583度 / 40.20694; -8.42583 (Observatório Astronómico da Universidade de Coimbra ) 1290年に設立されたコインブラ大学はポルトガル語圏 最古の大学であり、イエズス会 大学を経て1772年にポンバル侯爵およびオエイラス伯爵セバスティアン・ジョゼ・デ・カルヴァーリョ・イ・メロ により世俗化 改革が行われた。1777年に仮設の天文台建物が建てられた後、1790年〜1799年に王立天文台は本部キャンパスのジョアニナ図書館 の隣に建設され、同国初の天文台建物となった。天文台は1925年以降の毎日の太陽 の観測を行い、現在は世界最大の太陽活動 の連続観測記録を蓄積してきた。1927年以降は太陽のスペクトル線 を観測し、彩層 の研究に役を立った。天文台は1951年に同大の地球物理 天文台に移転された。 ⓘCoimbra Observatory, Portugal ルネッサンス から20世紀中期までの天文学 跡地は世界遺産「コインブラ大学 - アルタとソフィア 」の範囲内にある ポルトガル 、コインブラのサンタ・クララ高地(英語版 ) にあるコインブラ大学 のキャンパス 北緯40度11分57秒 西経8度26分41秒 / 北緯40.19917度 西経8.44472度 / 40.19917; -8.44472 (New Observatory in Coimbra ) 230 ドレスデン のロールマン天文台(ドイツ語版 ) ドイツ 、ドレスデンのスートヴァーシュタット(ドイツ語版 ) 北緯51度1分47秒 東経13度43分46秒 / 北緯51.02972度 東経13.72944度 / 51.02972; 13.72944 (Lohrmann-Observatory, Dresden, Germany ) ドレスデン工科大学 の天文台はベルンハルト・パッテンハウゼン(ドイツ語版 ) により1913年に設立された。マルティン・デュルファー(英語版 ) が建設したバイヤー・ビル(ドイツ語版 ) はドイツ初の高層ビル の1つで、北ドイツに多い赤レンガ の寄棟造 にアール・ヌーヴォー の要素を加えた建物である。高さ40mの天文台の塔はビルの八角形 の部分の上にそびえ立ち、ガラス の円柱 構造の上に観測ドーム がある。1961年〜1968年、同大にはヴィルヘルム・ゴットヘルフ・ロールマン(英語版 ) の名前を冠する測地天文学研究所があった。 ⓘLohrmann-Observatory, Dresden, Germany ルネッサンス から20世紀中期までの天文学 232 1879年以前のウィーン大学天文台 (現・オーストリア科学アカデミー(英語版 ) ) オーストリア 、ウィーン 1区 のイグナーツ・ザイペル博士広場(ドイツ語版 ) 北緯48度12分30秒 東経16度22分39秒 / 北緯48.20833度 東経16.37750度 / 48.20833; 16.37750 (Old University Observatory Vienna (before 1879, now Academy of Sciences), Austria ) ヨハン・ヨゼフ・グラフ・フォン・トラウトソン・ツ・ファルケンシュタイン(英語版 ) は1753年〜1756年にウィーン大学 の建物の屋上に4階建ての木造 の天文台を設置した。初代台長のマクシミリアン・ヘル(英語版 ) は1769年にヴァードー で金星の太陽面通過 の観測を行い、天文単位 の長さを計算した。19世紀初からウィーン中心部の観測条件が悪くなったため、天文台は1825年〜1833年に再建された後、1879年に新しいウィーン大学天文台(ID No.148)に移転された。 ⓘOld University Observatory Vienna (before 1879, now Academy of Sciences), Austria ルネッサンス から20世紀中期までの天文学 233 ウィーン =オッタクリング(英語版 ) のクフナー天文台(英語版 ) オーストリア 、ウィーンのオッタクリング北緯48度12分46秒 東経16度17分29秒 / 北緯48.21278度 東経16.29139度 / 48.21278; 16.29139 (Kuffner Observatory, Vienna-Ottakring, Austria ) クフナー天文台は1884年〜1886年にビール 醸造業 者のモーリッツ・フォン・クフナー(英語版 ) の私設研究所として建設された。フランツ・リッター・フォン・ノイマン(英語版 ) が設計した十字形 の本館やヘリオメーターのドーム などからなる。天文台でレオ・アントン・カール・デ・バル は恒星 の年周視差 の測定を行い、カール・シュヴァルツシルト は感光材料 の吸光度 に関するシュヴァルツシルトの法則を発見した。1915年、天文台はクフナー家の財務状況の悪化により閉鎖された。クフナー家が1938年にスイス に逃げた後、建物は国家社会主義労働者党 に没収されたが、戦後の1947年に公開天文台 として再開され、1950年に所有権はクフナー家に返還された。 ⓘKuffner Observatory, Vienna-Ottakring, Austria ルネッサンス から20世紀中期までの天文学 234 ブルームフォンテーン のボイデン天文台 南アフリカ共和国 、フリーステイト州 ブルームフォンテーンの東側26kmにあるマセルスポールト(英語版 ) 南緯29度2分20秒 東経26度24分17秒 / 南緯29.03889度 東経26.40472度 / -29.03889; 26.40472 (Boyden Observatory, Bloemfontein, South Africa ) ユーライア・アサートン・ボイデン(英語版 ) の名前を冠するハーバード大学天文台 の附属観測所は1889年にペルー のリマ 付近に設立され、1890年にアレキパ に移転された。デービッド・ギル とソロン・アーヴィング・ベイリー による調査の後、観測所は1927年に天文台に改称された上に現在地に移転された。著名な成果としてはウィリアム・ヘンリー・ピッカリング によるフェーベ の発見、アニー・ジャンプ・キャノン らによるヘンリー・ドレイパー星表 の作製、ハーロー・シャプレー によるシャプレー超銀河団 の発見、ろ座矮小銀河 の発見、ポール・ホッジ(英語版 ) による大マゼラン雲 の写真集 の作製が挙げられる。 ⓘBoyden Observatory, Bloemfontein, South Africa ルネッサンス から20世紀中期までの天文学 235 トランシルヴァニア 地方アルバ・ユリア のバッチャーニアナ天文台(ハンガリー語版 ) ルーマニア 、トランシルヴァニア地方アルバ・ユリア北緯46度4分13秒 東経23度34分15秒 / 北緯46.07028度 東経23.57083度 / 46.07028; 23.57083 (Specula Batthyaniana, Alba Iulia, Transylvania, Romania ) トランシルヴァニア地方の司教 、バッチャーニ・イグナーツ(英語版 ) は1792年〜1798年にアルバ・ユリアの星形要塞 にある旧三位一体修道会 の3階建ての建物を後期バロック様式 の複合施設に改造し、内部に写本 やインキュナブラ などを保存する図書館 とハプスブルク帝国 初の天文台を設置した。天文台は18世紀後半にウィーン のイエズス会 士、マクシミリアン・ヘル(英語版 ) の下で大きな発展を遂げたが、1860年に閉鎖された。 ⓘSpecula Batthyaniana, Alba Iulia, Transylvania, Romania ルネッサンス から20世紀中期までの天文学 236 メリダ のジャノ・デル・アト国立天文台 ベネズエラ 、メリダ付近のジャノ・デル・アト北緯8度47分11秒 西経70度52分19秒 / 北緯8.78639度 西経70.87194度 / 8.78639; -70.87194 (Mérida Astrophysical Observatory ) 1888年、カヒガル海軍天文台(スペイン語版 ) はカラカスのキンタナの丘に設立された。1940年代以降の近代化の試みによりドイツ から多くの機器を導入したが、地震 研究所の新設などに止まった。1960年、天文台近代化委員会はメリダに近いアンデス山脈 に新天文台を建設することを決定したが、政治的な理由により計画は中止となった。1961年にカラカスの天文台はベネズエラ海軍 総司令部の下に置かれた後、1972年〜1975年にメリダから70km離れた山地 に4つのドーム からなるジャノ・デル・アト国立天文台は建設された。 ⓘLlano del Hato National Astronomical Observatory (CIDA), Mérida, Venezuela ルネッサンス から20世紀中期までの天文学 ベネズエラ 、カラカス の首都地区 のカヒガルの丘北緯10度30分13秒 西経66度55分44秒 / 北緯10.50361度 西経66.92889度 / 10.50361; -66.92889 (Cagigal Naval Observatory (former Cagigal Astronomical and Meteorological of Caracas) ) ベネズエラ 、メリダのアンデス大学(英語版 ) 北緯8度37分6秒 西経71度8分22秒 / 北緯8.61833度 西経71.13944度 / 8.61833; -71.13944 (Mérida, University of the Andes ) 237 ライプツィヒ =ヨハニシュタール(ドイツ語版 ) のライプツィヒ天文台(ドイツ語版 ) ドイツ 、ライプツィヒのプライセンブルク城(英語版 ) 北緯51度20分10秒 東経12度22分20秒 / 北緯51.33611度 東経12.37222度 / 51.33611; 12.37222 (Old Leipzig Observatory ) 1787年〜1790年、初代のライプツィヒ大学 天文台はゲオルク・ハインリヒ・ボルツ(ドイツ語版 ) とカール・フリードリヒ・ヒンデンブルク(英語版 ) の設計に基づき、プライセンブルク城の塔に建てられた。1861年に旧天文台は閉鎖され、ヨハニシュタールの新天文台の初代台長にカール・クリスチャン・ブルーンス が就任した。新天文台にはアルベルト・ゴイテブリュック(英語版 ) が設計した本館のほか、2階建ての古典主義建築 の台長の邸宅と子午線 室があり、1866年にカール・フリードリヒ・ツェルナー はドーム を追加した。天文台は1943年12月の空襲 で被害を受けた後、1956年に閉鎖された。 ⓘLeipzig Observatory, Leipzig-Johannisthal, Germany ルネッサンス から20世紀中期までの天文学 ドイツ 、ライプツィヒのヨハニシュタール北緯51度20分2秒 東経12度23分18秒 / 北緯51.33389度 東経12.38833度 / 51.33389; 12.38833 (New Leipzig Observatory ) 238 ハレ・アン・デア・ザーレ天文台(ドイツ語版 ) ドイツ 、ハレ・アン・デア・ザーレ の大学植物園(英語版 ) 北緯51度29分21秒 東経11度57分34秒 / 北緯51.48917度 東経11.95944度 / 51.48917; 11.95944 (Observatory Halle an der Saale, Germany ) この天文台はハレ大学 学長 のカール・クリストフ・フォン・ホフマン(ドイツ語版 ) の指示により、1788年に栗 の並木道 と共に附属植物園 の敷地内に建設された。建物はカール・ゴットハルト・ラングハンス(英語版 ) が設計した風の塔 に似た3階建てのドーリア式 の八角形 の塔で、入り口の両側にトスカナ式 の柱 が並んでおり、1階には子午線 室と図書館 、最上階には屈折望遠鏡 とバルコニー がある。天文台は古典主義建築 のライオン校舎(ドイツ語版 ) と並ぶ同大で最古の建物の1つである。 ⓘObservatory Halle an der Saale, Germany ルネッサンス から20世紀中期までの天文学 239 ロッブリー 宮殿の1688年日食 天文台 タイ 、ロッブリー県 ロッブリーのクライソン・シーハラート宮殿(タイ語版 ) 北緯14度48分43秒 東経100度38分42秒 / 北緯14.81194度 東経100.64500度 / 14.81194; 100.64500 (Solar Eclipse Observatory 1688, Palace in Lop Buri, Siam (Thailand) ) ナーラーイ王 は西洋 の技術に関心を持ち、タイにおける天文学の創始者と見なされる。王は1664年にオランダ海軍 の封鎖によりアユタヤ からロッブリーに移り、イエズス会 の協力の下で離宮 のクライソン・シーハラート宮殿を建てた。1685年、王はフランス のイエズス会士と共に皆既月食 を観測し、ロッブリーの経度 を計算した。また、コンスタンティン・フォールコン の提案により、4階建ての八角形 のワット・サン・パオロ天文台(タイ語版 ) が建設された。王は1688年4月30日の部分日食 の観測の数ヶ月後に崩御 し、ペートラーチャー 王が即位 するとフランス人 は追い出された。タイで次に行われた天体観測 はラーマ4世 治世下での1868年8月18日の日食の観測となった。 ⓘSolar Eclipse Observatory 1688, Palace in Lop Buri, Siam (Thailand) ルネッサンス から20世紀中期までの天文学 タイ 、ロッブリー県 ロッブリーのプラ・ナーラーイ・ラチャニウェート 北緯14度47分59秒 東経100度36分36秒 / 北緯14.79972度 東経100.61000度 / 14.79972; 100.61000 (Palace in Lop Buri ) タイ 、ロッブリー県 ムアンロッブリー郡 ターヒン自治体 北緯14度47分44秒 東経100度37分10秒 / 北緯14.79556度 東経100.61944度 / 14.79556; 100.61944 (Wat San Paolo Observatory ) 240 コペンハーゲン大学 の東防御壁天文台(英語版 ) デンマーク 、コペンハーゲン のローゼンボー城 付近のコペンハーゲン大学植物園 北緯55度41分13秒 東経12度34分33秒 / 北緯55.68694度 東経12.57583度 / 55.68694; 12.57583 (Østervold Observatory, Copenhagen University, Denmark ) この天文台は1859年〜1861年にハインリヒ・ルイス・ダレスト の計画に基づき、古い要塞 の城壁 の上に建てられた。建物はハンス・クリスチャン・ハンセン(英語版 ) が設計した新古典主義建築 である。この天文台でダレストはNGC 1 、NGC 26 などの深宇宙天体を発見し、ハンス・カール・フレデリク・クリスチャン・シェレルプ(英語版 ) は『星座の書 』を翻訳 した。トルヴァルド・ニコライ・ティエレ 、スヴァンテ・エリス・ストレームグレン 、ベンクト・ストレームグレン らも台長を務めた。 ⓘØstervold Observatory, Copenhagen University, Denmark ルネッサンス から20世紀中期までの天文学 241 コペンハーゲン大学 のブロルフェルド天文台 デンマーク 、シェラン地域 のブロルフェルド(デンマーク語版 ) 北緯55度37分29秒 東経11度39分53秒 / 北緯55.62472度 東経11.66472度 / 55.62472; 11.66472 (Brorfelde Observatory, Copenhagen University, Denmark ) 光害 などにより、1953年にコペンハーゲンから西側50km離れた場所にブロルフェルド天文台が建設された。天文台はカイ・ゴットロブ(英語版 ) が設計した赤色系の本館、工房 などからなる建物群であり、庭園 は環境デザイナー のゲオルク・ゲオルクセン(デンマーク語版 ) が設計したものである。コペンハーゲン大学は1993年に天文台、東防御壁研究所(ID No.240)と地球物理学 研究所を統合しニールス・ボーア研究所 を設置した。 ⓘBrorfelde Observatory, Copenhagen University, Denmark ルネッサンス から20世紀中期までの天文学 242 オーフス大学 のオーレ・レーマー天文台(英語版 ) デンマーク 、オーフス のマーセリスボー城 付近北緯56度7分40秒 東経10度11分36秒 / 北緯56.12778度 東経10.19333度 / 56.12778; 10.19333 (Ole Rømer Observatory, Aarhus University, Denmark ) 地元出身のオーレ・レーマー の名前を冠するこの天文台は丘の上にあり、1909年〜1911年に建設された。アントン・ソフス・ローゼン(英語版 ) が設計した天文台の建物群は観測棟、本館と台長の別館からなり、漆喰 の壁 と瓦屋根 が特徴的なアーツ・アンド・クラフツ建築 である。初代台長はテューリンゲン州 のアルテンブルク に私設天文台を設けたフリードリヒ・クリューガー(ドイツ語版 ) であった。天文台は1956年にオーフス大学の一部となり、別館は一時期オーフスの科学館 となった。 ⓘOle Rømer Observatory, Aarhus University, Denmark ルネッサンス から20世紀中期までの天文学 243 ルンド の旧ルンド天文台(英語版 ) スウェーデン 、スコーネ地方 ルンドの市立公園(スウェーデン語版 ) 北緯55度41分59秒 東経13度11分16秒 / 北緯55.69972度 東経13.18778度 / 55.69972; 13.18778 (Lunds gamla observatorium ) 1672年、アンデシュ・スポーレ(英語版 ) はルンド大学の天文台を設立したが、1676年のルンドの戦い で大部分が焼失した。1749年、ルンド大学天文学部の本館と新天文台はルンダゴード公園にある2階建てのクングスフーセットに置かれ、1837年〜1839年にカール・ゲオルク・ブルニウス(英語版 ) による増築が行われた。1867年、ルンド大学天文学部は中世 の城壁 内にあるヘルゴ・ゼッテルヴァル(英語版 ) が設計した「旧ルンド天文台」に移転され、カール・シャーリエ やクヌート・ルントマルク(英語版 ) は台長を務めた。1962年、ロメレ山(スウェーデン語版 ) に附属の観測所が設置された。2001年、ルンド大学天文学部はティコ・ブラーエ の胸像 などと共に旧給水塔 の周辺に移転された。 ⓘLunds gamla observatorium, Lund, Sweden ルネッサンス から20世紀中期までの天文学 スウェーデン 、ルンドのウィンストルップス通りと聖ペトロ教会通り北緯55度42分23秒 東経13度11分29秒 / 北緯55.70639度 東経13.19139度 / 55.70639; 13.19139 (Observatory of Andreas Spole ) スウェーデン 、ルンドのルンダゴード公園(英語版 ) のクングスフーセット(英語版 ) 北緯55度42分19秒 東経13度11分38秒 / 北緯55.70528度 東経13.19389度 / 55.70528; 13.19389 (Kungshuset Observatory ) スウェーデン 、ルンドのルンド大学 北緯55度42分42秒 東経13度12分16秒 / 北緯55.71167度 東経13.20444度 / 55.71167; 13.20444 (Astronomical Faculty (Lund Observatory) ) 244 セーデルマンランド地方 のサルトシェバーデン天文台(スウェーデン語版 ) スウェーデン 、セーデルマンランド地方サルトシェバーデン(英語版 ) にあるカールスバーデル山(スウェーデン語版 ) 北緯59度16分19秒 東経18度18分15秒 / 北緯59.27194度 東経18.30417度 / 59.27194; 18.30417 (Saltsjöbaden Observatory, Södermanland, Sweden ) 1920年代末の光害 により、ストックホルム天文台 台長のベルティル・リンドブラッド は天文台(ID No.209)の移転を計画した。1929年〜1931年、アクセル・アンデルベリ(英語版 ) が設計した新しい天文台はストックホルム 南東部のストックホルム群島(英語版 ) に建設された。レンガ造 の本館は高台にあり、周辺に観測用のドーム があり、内部には多数の天体物理学 観測用の光学望遠鏡 がある。 ⓘSaltsjöbaden Observatory, Södermanland, Sweden ルネッサンス から20世紀中期までの天文学 245 ソフィア大学天文台(ブルガリア語版 ) ブルガリア 、ソフィア のボリス公園(英語版 ) 北緯42度40分55秒 東経23度20分41秒 / 北緯42.68194度 東経23.34472度 / 42.68194; 23.34472 (Sofia University Observatory, Sofia, Bulgaria ) 1889年、ソフィア大学 の物理学部の下に天文学科が設立され、オフリドの聖クリメント の名前を冠するソフィア大学の天文台はマリン・バチェヴァロフ(ブルガリア語版 ) の主導の下で、1892年〜1894年にボリス公園に建設された。1897年、同国初の望遠鏡 である6インチ の赤道儀 式屈折望遠鏡 は導入された。20世紀中期、台長のニコラ・イワノフ・ボネフ(ブルガリア語版 ) の下で天文台は大きな発展を遂げ、最初の人工衛星 ・スプートニク1号 の打ち上げに関する観測も行った。 ⓘSofia University Observatory, Sofia, Bulgaria ルネッサンス から20世紀中期までの天文学 246 香港気象台 中華人民共和国 、香港 ・九龍 の尖沙咀 北緯22度18分9秒 東経114度10分27秒 / 北緯22.30250度 東経114.17417度 / 22.30250; 114.17417 (Hong Kong (Meteorological) Observatory ) 王立協会 による提案により、香港天文台は1883年にジョージ・ボーエン(英語版 ) により尖沙咀に設置された。本部ビルはアーチ 型の窓 と長いベランダ がある2階建ての漆喰 壁のレンガ造 の建物で、隣には1983年に建てられた「百周年記念ビル」がある。天文台では台風情報 を中心とした気象観測 に加えて、時刻 および磁気 の観測も行われた。 ⓘMeteorological Observatory, Hongkong, China ルネッサンス から20世紀中期までの天文学 中華人民共和国 、香港 の汀角村北緯22度28分29秒 東経114度13分12秒 / 北緯22.47472度 東経114.22000度 / 22.47472; 114.22000 (Jesuit Observatory, Shan-Liu-Road ) 247 ニュージャージー州 ホルムデル(英語版 ) のベル電話研究所 のホルムデル・ホーンアンテナ(英語版 ) アメリカ合衆国 、ニュージャージー州モンマス郡 ホルムデルのクロフォードの丘(英語版 ) 北緯40度23分29秒 西経74度11分7秒 / 北緯40.39139度 西経74.18528度 / 40.39139; -74.18528 (Holmdel Horn Antenna at Bell Telephone Laboratories in Holmdel, New Jersey, USA ) 1959年に建設された長さ50フィート 、直径 20フィートで、重さ18トン のマイクロ波 ホーンアンテナ であり、主体部分はアルミニウム 製で、基部の三角形 の構造は鋼製 である。1960年代に衛星通信 のアンテナ および電波望遠鏡 として使用され、エコー やテルスター衛星 の信号の受信を行った。1964年、ロバート・ウッドロウ・ウィルソン とアーノ・アラン・ペンジアス はここで銀河系 の外に由来する波長 7.35cmのノイズ を探知した。後にプリンストン大学 のロバート・ヘンリー・ディッケ 、ジム・ピーブルズ とデビッド・トッド・ウィルキンソン により宇宙マイクロ波背景放射 と特定され、ジョージ・ガモフ とジョルジュ・ルメートル の宇宙膨張論 とビッグバン理論 を裏付けた。 ⓘHolmdel Horn Antenna at Bell Telephone Laboratories in Holmdel, New Jersey, USA ルネッサンス から20世紀中期までの天文学 1978年のノーベル物理学賞 関連 248 東京都 台東区 の浅草天文台 日本 、東京都台東区鳥越神社 東側の浅草橋 3丁目北緯35度42分5秒 東経139度47分20秒 / 北緯35.70139度 東経139.78889度 / 35.70139; 139.78889 (Asakusa Astronomical Observatory, Taito City, Tokyo, Japan ) 浅草天文台は江戸時代 後期の1782年〜1795年に高橋至時 により設立され、別名は「頒暦 所御用屋敷」である。当時の天文方 は将軍 の指揮の下で観測を通じて計時 、暦 の編纂 を行い、土地測量、地理誌 の編纂、洋書 の翻訳 なども行った。天文台は1869年までに浅草に存在していた。 ⓘAsakusa Astronomical Observatory, Taito City, Tokyo, Japan ルネッサンス から20世紀中期までの天文学 249 東京国立天文台 の三鷹キャンパス 日本 、東京都 三鷹市 大沢 北緯35度40分31秒 東経139度32分17秒 / 北緯35.67528度 東経139.53806度 / 35.67528; 139.53806 (Mitaka Observatory, Tokyo National Astronomical Observatory of Japan ) 1888年、東京帝国大学 観象台、海軍省 観象台および内務省 地理局が合併して、かつて海軍気象台があった麻布区 の飯倉 に東京天文台 が設立された。当時の天文台はレプソルド子午儀 を用いて時刻 を計測し、毎日の正午 に皇居 の午砲台 で午砲 による時報 を行った。1923年の関東地震 で倒壊した後、1924年に天文台は三鷹村に移転され、1935年に建物の建設が終わった。 ⓘMitaka Observatory, Tokyo National Astronomical Observatory of Japan ルネッサンス から20世紀中期までの天文学 250 徐羅伐 (慶州 )の瞻星台 大韓民国 、慶尚北道 慶州市北緯35度50分7秒 東経129度13分9秒 / 北緯35.83528度 東経129.21917度 / 35.83528; 129.21917 (Cheomseongdae Observatory, Seorabeol (today Gyeongju), South Korea ) 東洋 最古の天文台 として知られる新羅 時代築の基部の長さが5.7m、高さが9.17mの石塔である。石塔は瓶 形の円柱で、上と下には四角形 の構造、正面には四角形の窓 がある。塔は月の日数と同じく30層の石からなり、毎層は月数と同じく12の石で構成されているため、瞻星台は年間の日数と同じく約360個の石で構成されている。 ⓘCheomseongdae Observatory, Seorabeol (today Gyeongju), South Korea ルネッサンス から20世紀中期までの天文学 世界遺産「慶州歴史地域 」の構成資産 251 京都大学 の花山天文台 と飛騨天文台 日本 、京都府 京都市 左京区 北白川追分町 の京都大学吉田キャンパス 北緯35度1分50秒 東経135度47分3秒 / 北緯35.03056度 東経135.78417度 / 35.03056; 135.78417 (Kyoto University, Japan ) 京都大学における天文学の研究は京都帝国大学理工学部の敷地内で佐々木哲夫によるフィンレー彗星 の観測から始まり、天文台は当時「京都天文台 」と称された。1921年に宇宙物理学科 が物理学科から独立したのに伴い、天文台も「京都大学天文台」と改名した。しかし、その後の京都市電 の開通により観測条件が悪化したため、1927年に天文台が宇治郡 山科町 の花山山 に移転された。1929年に大倉三郎 が設計した建物が竣工し、初代台長に山本一清 が就任した。1958年に京都大学理学部 傘下の花山天文台と生駒山 太陽観測所 (1941年〜1972年間に存在)が統合され、理学部附属の天文台となった。1968年に北アルプス に太陽系 内天体観測用の飛騨天文台が新設された後、花山天文台はデータ解析 の研究拠点となった。 ⓘKwasan and Hida Observatories, Kyoto University, Japan ルネッサンス から20世紀中期までの天文学 日本 、京都府 京都市 山科区 北緯34度59分37秒 東経135度47分37秒 / 北緯34.99361度 東経135.79361度 / 34.99361; 135.79361 (Kwasan Observatory, Kyoto University, Japan ) 日本 、岐阜県 高山市 の大雨見山北緯36度15分14秒 東経137度18分19秒 / 北緯36.25389度 東経137.30528度 / 36.25389; 137.30528 (Hida Observatory, Kyoto University, Japan ) 252 ポルト・アレグレ のリオ・グランデ・ド・スル連邦大学天文台(ポルトガル語版 ) ブラジル 、リオグランデ・ド・スル州 ポルト・アレグレの旧市街にあるリオ・グランデ・ド・スル連邦大学(英語版 ) 南緯30度1分56秒 西経51度13分19秒 / 南緯30.03222度 西経51.22194度 / -30.03222; -51.22194 (Observatório Astronômico da UFRGS, Porto Alegre, Brazil ) 1906年9月18日にポルト・アレグレ工学学校の一部として設立され、1934年にリオ・グランデ・ド・スル連邦大学の成立と共に同大の一部となった。4階の建物は初代台長を務めたマノエル・バルボサ・アスンプサン・イタキ(ポルトガル語版 ) が設計したアール・ヌーヴォー様式 のものである。子午線 室にはクロノス と地球儀 を示すフレスコ画 があり、外には天球儀 と日時計 の装飾があるウーラニアー 像もある。1940年代に郊外にモロ・サンタナ天文台(ポルトガル語版 ) が設立された。 ⓘObservatório Astronômico da UFRGS, Porto Alegre, Brazil ルネッサンス から20世紀中期までの天文学 253 コペルニクス の時代のヤギェウォ大学 のコレギウム・マイウス(英語版 ) ポーランド 、クラクフ のヤギェウォ大学北緯50度3分42秒 東経19度56分2秒 / 北緯50.06167度 東経19.93389度 / 50.06167; 19.93389 (Collegium Maius at the time of Copernicus, Jagiellonian University, Kraków/Cracow, Poland ) ニコラウス・コペルニクス は1491年〜1496年にヤギェウォ大学で勉学しており、1493年にマルチン・ビリカ(英語版 ) により大学に寄付され天文機器を使ったことがある。この機器は今もヤギェウォ大学の博物館に保存されている。 ⓘCollegium Maius at the time of Copernicus, Jagiellonian University, Kraków/Cracow, Poland ルネッサンス から20世紀中期までの天文学 254 オルシュティン/アレンシュタイン城(英語版 ) のヘリオグラフ (天文表) ポーランド 、オルシュティン のオルシュティン城北緯53度46分40秒 東経20度28分28秒 / 北緯53.77778度 東経20.47444度 / 53.77778; 20.47444 (Heliograph (Astronomical Table), Olsztyn/Allenstein Castle, Poland ) ニコラウス・コペルニクス は1516年〜1521年と1523年に2度もヴァルミア大司教区(英語版 ) のオルシュティン城に滞在した。コペルニクスは1517年に城内の壁に垂直式日時計 であるヘリオグラフを刻み込み、分点 の観測を通じて太陽の黄道 と年の長さについて観察した。 ⓘHeliograph (Astronomical Table), Olsztyn/Allenstein Castle, Poland ルネッサンス から20世紀中期までの天文学 255 フラウエンブルク/フロムボルク(英語版 ) でのコペルニクス の観測サイト ポーランド 、フロムボルクのフロムボルク大聖堂(英語版 ) とコペルニクス塔北緯54度21分25秒 東経19度40分51秒 / 北緯54.35694度 東経19.68083度 / 54.35694; 19.68083 (Copernicus observing site in Frauenburg / Frombork, Poland ) ニコラウス・コペルニクス は1497年、1512年〜1516年と1517年以降にフロムボルクに居住しており、司教区 の総管理者を務めながら、大聖堂の一角にあるコペルニクス塔から観測活動を行ったと見られる。 ⓘCopernicus observing site in Frauenburg / Frombork, Poland ルネッサンス から20世紀中期までの天文学