クリミア自治共和国
別名:Автономна Республіка Крим、Автономная Республика Крым、Qırım Muhtar Cumhuriyeti
英語:Autonomous Republic of Crimea
ウクライナの一部を構成する自治共和国。首都はシンフェロポリである。ロシアの租借地であるセヴァストポリ特別市を除く、クリミア半島のほぼ全域を領土とする。
2001年の国勢調査では、クリミア自治共和国には約118万人のロシア人、約49万人のウクライナ人、約24万人のクリミア・タタール人の居住が確認された。すなわち、クリミア自治共和国の民族構成の過半数をロシア人が占めており、その数はウクライナ人の2倍以上にも及んでいる。クリミア・タタール人はクリミア半島において、ロシア帝国併合以前に多数を占めていた民族であるが、その後ロシア領の時代が長く続いた結果、人口は全体の1割程度となり、影響力は限定的なものにとどまっている。
現在のクリミア自治共和国の領土は、1991年以前はソ連に属していた。ソ連解体後、クリミア半島では独立運動が盛んになり、翌1992年にはクリミア共和国として独立宣言が行われた。しかし、この独立宣言はウクライナの反発を受け、クリミア共和国議会は独立宣言の3か月後には、クリミア共和国がウクライナの一部に属することを認める形となった。その後の1995年に、現行憲法の成立とともに、正式にクリミア自治共和国と改称されている。クリミア自治共和国の独立運動は、ロシアの後ろ盾を得られなかったことからやがて衰えを見せたが、2009年には独立を求める反ウクライナデモが行われるなど、完全には終息してなかった。
2014年に、前年から継続していた反政府デモ(ユーロマイダン)などの影響により、ウクライナで親露派のヴィクトル・ヤヌコーヴィチ政権が崩壊すると、ウクライナとロシアの対立の構図が明確になった。それとともに、ロシア人住民が多数を占めるクリミア自治共和国において、再び独立の機運が高まることとなった。クリミア自治共和国は、大統領の座を追われたヤヌコーヴィチの重要な支持基盤であり、ヤヌコーヴィチがクリミア自治共和国領に逃亡したとも報じられた。クリミア自治共和国議会や軍隊の一部は、ウクライナの新政権への従属を拒否し、むしろロシアに忠誠を誓う態度を示した。
2014年2月に、ロシアはロシア人住民の保護を名目として、クリミア自治共和国領に派兵を行い、空港や主要な建物などの占拠を行った。3月にはクリミア自治共和国議会がロシアへの編入の是非を問う国民投票を実施、9割を超える賛成表を得て、ウクライナからの独立を宣言した。
クリミア独立宣言に対し、ウクライナ暫定政権は宣言は無効と主張している。EUや、大半の国も反対もしくは懸念を表明している。ロシアは独立宣言への支持を表明している。
クリミア自治共和国
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/10/20 07:57 UTC 版)
座標: 北緯45度18分 東経34度24分 / 北緯45.30度 東経34.40度
- ^ “Constitution of Ukraine - ウクライナ憲法の公式英訳” (英語). 2014年3月12日閲覧。
- ^ ウクライナ政府、クリミア・タタール語のラテン文字アルファベットを確定Ukrinform2021年2月26日付
- ^ 共同通信社. “クリミアが「独立宣言」 住民投票後にロシア編入へ” (Japanese). 全国新聞ネット. 2014年3月11日閲覧。
- ^ 時事通信社. “クリミア議会が独立宣言=住民投票控え-ウクライナ” (Japanese). 時事通信社. 2014年3月11日閲覧。
- ^ Agence France-Presse. “クリミア議会、ウクライナからの独立を決議” (Japanese). クリエイティヴ・リンク. 2014年3月11日閲覧。
- ^ “ロシア大統領、クリミア編入を表明 両者が条約に署名”. 朝日新聞. (2014年3月18日) 2014年3月18日閲覧。
- ^ ロシアの声. (2014年3月18日)
- ^ “rulers.org - Ukraine”. 2014年3月30日閲覧。
- ^ “ウクライナ議会、クリミア議会の解散を採決”. 日テレNEWS24. (2014年3月16日) 2014年3月18日閲覧。
- ^ “worldstatesmen.org - Pro-Ukraine: Autonomous Republic of Crimea (from 16 May 2014, in Kherson, Ukraine) in Exile”. worldstatesmen.org. 2021年7月12日閲覧。
- ^ ウクライナ国立統計委員会 (2001年12月5日). “2001年ウクライナ国勢調査:ウクライナの総人口” (ウクライナ語). 2011年12月14日閲覧。
- ^ ウクライナ国立統計委員会 (2001年12月5日). “2001年ウクライナ国勢調査:ウクライナの都市人口・農村人口” (ウクライナ語). 2011年12月14日閲覧。
- ^ ウクライナ国立統計委員会 (2001年12月5日). “2001年ウクライナ国勢調査:ウクライナの性別人口” (ウクライナ語). 2011年12月14日閲覧。
- ^ ウクライナ国立統計委員会 (2001年12月5日). “2001年ウクライナ国勢調査:地域別民族構成” (ウクライナ語). 2011年12月14日閲覧。
- 1 クリミア自治共和国とは
- 2 クリミア自治共和国の概要
- 3 名称
- 4 行政区画
- 5 参考文献
- 6 外部リンク
クリミア自治共和国(1992年-)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/28 15:47 UTC 版)
「クリミアの歴史」の記事における「クリミア自治共和国(1992年-)」の解説
「クリミア自治共和国」も参照 独立したウクライナはクリミアに自治共和国を復活させ、クリミア・タタール人の帰還が許可され、クリミアの全人口の約1割を占めるまでになった。帝政期以来の多数派であるロシア人の中にはクリミアがウクライナ領になったことに不満を持ち、ロシア連邦へ帰属することを求める者たちも出始めた。 1992年5月5日、クリミア議会はウクライナからの独立を決議し、クリミア共和国を宣言した。ウクライナ議会は5月15日に独立無効を決議したが、黒海艦隊の基地として戦略的に重要なクリミアへの関心を持つロシアは独立の動きを支持し、5月21日にクリミアのウクライナ移管を定めた1954年の決定は違法とする議会決議を行った。しかし、ロシアで独立を宣言していたチェチェン共和国に対し、1994年にロシアが武力鎮圧を開始すると、一方で自国からのチェチェンの独立を禁圧しながらウクライナからのクリミアの独立を支持するのは自己矛盾であるとの国際的批判が高まり、ロシアはクリミア独立運動への支援を取りやめた:415。 その結果、クリミア内での独立運動も後ろ盾を失って急速に沈静化し、またウクライナ側でもロシアに敵対的な民族主義政党の活動が和らいだため、クリミア議会もウクライナ共和国内の自治共和国であることを認めるようになった。クリミアの自治権は1996年に制定されたウクライナの現行憲法で再確認され、クリミア自治共和国の設置が規定されたが、同時にクリミア半島は「ウクライナの不可分な構成部分」とされ、自治共和国の離脱権は否定された。1998年にウクライナ憲法の枠内でクリミア自治共和国憲法(ロシア語版)が制定された。
※この「クリミア自治共和国(1992年-)」の解説は、「クリミアの歴史」の解説の一部です。
「クリミア自治共和国(1992年-)」を含む「クリミアの歴史」の記事については、「クリミアの歴史」の概要を参照ください。
クリミア自治共和国
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/20 22:07 UTC 版)
「ウクライナの政治」の記事における「クリミア自治共和国」の解説
1992年、クリミアの多くの親ロシアの政治組織は、クリミアの分離とロシアへの併合を提唱した。ソ連時代、クリミアはペラヤースラウ条約の300周年を記念して、1954年にニキータ・フルシチョフ一等書記官によってロシアからウクライナに譲渡された。 1992年7月、クリミアとウクライナの議会は、クリミアが重要な文化的および経済的自治を維持しながら、クリミアの管轄下にとどまると決定し、クリミア自治共和国を創設した。 クリミア半島は、ウクライナの主権下にありながら、ウクライナ軍とロシア軍の両方の主要な軍事基地の場所として機能し、ロシア人が多く住んでいた。 2014年初頭、ウクライナの親ロシア大統領であるヴィクトル・ヤヌコーヴィチは、ロシアではなく欧州連合とウクライナを同盟させることを拒否したことを理由に、ウクライナ人に追放された。これを受けて、ロシアは2014年2月にクリミアに侵攻し、占領した。 2014年3月、物議を醸す国民投票がクリミアで開催され、投票者の97%がロシアに参加した。 2014年3月18日、ロシアと新しい自称クリミア共和国は、ロシア連邦におけるクリミア共和国とセヴァストポリの加盟条約に署名した。これに応じて、国連総会は、国民投票が無効であると宣言し、クリミアに対するウクライナの主張を公式に支持する拘束力のない決議68/262を可決した。ロシアは半島を2つの連邦の主題として管理しているが、ウクライナと大多数の国はロシアの併合を認識していない。
※この「クリミア自治共和国」の解説は、「ウクライナの政治」の解説の一部です。
「クリミア自治共和国」を含む「ウクライナの政治」の記事については、「ウクライナの政治」の概要を参照ください。
「クリミア自治共和国」の例文・使い方・用例・文例
- クリミア自治共和国のページへのリンク