スケールモデル
縮尺模型
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/06 17:23 UTC 版)
皇帝は建物の模型を見ることに関心を表した。そして石膏の縮尺模型(1m=2cm、50分の1)がルイ・ヴィルミノ(Louis Villeminot)によって1862年4月から翌1863年4月の間に、8,000フランを投じて製作された。それを見たのち、皇帝はいくつかの建物デザインの変更を要求した。最も重要なものは、ファザードの頂点の角のグループとともに、欄干に支えられたテラスの高さの抑制と、最後の翼棟の向こうにある皇帝のクアドリガ(馬車)の彫刻を配置する、横へと連続するフリーズの前にある大規模な屋根裏の階層の取り換えであった。組み合わされた変更とともに、模型は特別に1863年の万博で公開された産業館(w:Palais de l'Industrie)に導入されたレールの向こうに輸送され、展示された。 テオフィル・ゴーティエは模型について書いている(『モニテュール・ユニヴェルセル』紙1863年5月13日付(Le Moniteur Universel, 13 May 1863))。「総合的なアレンジは誰の目にも明らかで、すでに最終的な効果を決定するために、それにより良い許可をした一種のリアリティを獲得した…それは観衆の好奇心に魅力的で、それは効果として、新しいオペラ座を、あらかじめ用意したオペラグラスを通じて見せた」 。模型はいまは散逸した。しかし1863年にJ. B. Donasが撮影した写真が残る。 皇帝のクアドリガは決して加えられなかった、それらは模型には見られたのに。かわりにシャルル・ギュムリー(w:Charles Gumery)の金メッキをしたブロンズの彫刻群「ハーモニー」と「詩情」が1869年に取り付けられた。直線のフリーズは模型にも見られ、また皇帝のモノグラムの"N"と"E"("N"はNapoléon、"E"はEmpereur(皇帝)のイニシャル)の金メッキの文字をあしらった装飾的なメダリオンのレリーフが交互に高低をつけて再設計された。特別デザインの文字はお披露目のときには用意されなかった。そして代わりに商業的に利用できる代用品に代わられていた。1870年の、皇帝のセダンの敗北で、ガルニエはメダリオンをそれらを取り除くことができて安堵した。ガルニエの手紙での、オリジナルデザインは2000年の建物改修で最終的に導入された。
※この「縮尺模型」の解説は、「ガルニエ宮」の解説の一部です。
「縮尺模型」を含む「ガルニエ宮」の記事については、「ガルニエ宮」の概要を参照ください。
- 縮尺模型のページへのリンク