ゴシック建築
ゴシック建築
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 00:46 UTC 版)
ボヘミアにおけるゴシック建築は年代別に3期に分けられる。13世紀から14世紀前半(主にプシェミスル朝の時代)はゴシック前期、14世紀から15世紀(主にルクセンブルク朝の時代)はゴシック盛期、およそ1471年から1526年のヤギェウォ朝の時代はゴシック後期と呼ばれる。ボヘミアの著名なゴシック建築家としては、ペトル・パルレーとベネディクト・リートが挙げられる。. ボヘミアにゴシック建築が広がったのは13世紀前半である。それまでのボヘミアではロマネスク建築が主だったが、すでにフランスではゴシック盛期を迎えていた。1230年代、シトー会による最初のゴシック建築が現れたが、これはまだロマネスク建築からの過渡期にあるものだった。純粋なロマネスク建築は1240年代にヴィネツ、ポトヴォロフ、ティスミツェ、コンドラツなどに現れたのを最後に生まれなくなった。過渡期のゴシック建築はまだ控えめで、柱頭などの装飾には葉やベリーのモチーフが好まれた。シトー会はボヘミアにおけるゴシック前期を牽引した。 13世紀中ごろから終わりにかけてトシェビーチに建てられた聖プロコピウスのバシリカは、この時代のヨーロッパにおいて最も異様な建築とされている。ベネディクト会の聖堂として建てられたこの建物は、ロマネスク建築とゴシック建築が混在する特異なつくりになっている。ただし「過渡期」建築とは一線を画しており、両様式の要素を成熟させ融合したことで、純粋なロマネスク建築と純粋なゴシック建築が両立していて、現在では世界遺産にも登録されている。1260年代以降、ボヘミアの建築に対するシトー会の影響力が弱まり、代わりにフランスの高度なゴシック建築の影響が表れるようになった。 ボヘミアのゴシック盛期はヴァーツラフ2世治下の1290年代から始まり、垂直性や光が強調されるようになった。ルクセンブルク朝の祖であるヤン・ルケンブルスキーはボヘミア王国を離れることが多く、あまり建築に力を入れなかったため、プラハ司教のヤン4世が南フランスの建築家を招いて国内の建築を振興した。 カール4世の時代、ボヘミアのゴシック建築は最盛期を迎える。彼は少年期を過ごしたフランスの影響を受けた芸術の支援者であり、さらに彼が皇帝に即位したことでプラハは神聖ローマ帝国の首都となりさらに発展した。彼と息子のヴァーツラフ4世の時代、短期間ながらボヘミアの文化はヨーロッパの頂点に上り詰めた。ボヘミアゴシック盛期最高の建築物は、1348年から1357年に建設されたカルシュテイン城である. しかし、ゴシック建築の隆盛はフス戦争の勃発により終わりを迎える。ボヘミア王国全土を巻き込んだ戦乱の中で多くの優れた修道院や城塞が消失し、新築中だった建造物は未完に終わった。この時代の見るべき建築物は、ターボル派が驚異的な要塞化を施したターボル市くらいである。戦後も高度な建築を復活させるだけの財政力を持つパトロンがおらず、新たに建った重要な建築物はティーンの前の聖母教会のみといえる。
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