19世紀イギリス
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/10 07:19 UTC 版)
「ディスペンセーション主義」の記事における「19世紀イギリス」の解説
19世紀のイギリスではディスペンセーションの神学が洗練され、各地に広がり始めた。その端緒を開いたのが、エドワード・アーヴィング(1792年 - 1834年)である。彼は、イエズス会士マヌエル・ラクンザ(英語版)の預言解釈を積極的に吸収し、預言についての自論を多数著した。またアーヴィングは、預言集会(prophecy conferences)を組織するなどして、黙示的講解の普及に努めた。 そしてアーヴィングの解釈はプリマス・ブレザレンの人たちに受け入れられ、ジョン・ネルスン・ダービ(1800年-1882年)が、その有力な推進者となった。彼は再臨が二つの段階からなると考えた。第一は、聖徒たちの携挙で、患難期が地上を荒廃させる前に、教会が携挙されるという説。(患難前携挙説)第二段階は、患難期の後で、キリストは聖徒たちと一緒に見える状態で地上に現れ、彼らと共に支配されるという考えである。神の救いの計画は、一件の聖約期に分割して理解されるべきであることを強調した。 なお、ディスペンセーション主義にとって千年期前再臨説は不可欠の要素であるが、千年期前再臨説がディスペンセーションに必然的に結びつくわけではないので、ディスペンセーション主義を採用せずに千年期前再臨説を主張する神学者も、イギリスでは多数いた。
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