patron
「patron」とは、後援者・保護者・奨励者・得意客・ホテルの主人・所有者のことを意味する英語表現である。
「patron」の基本的な意味
「patron」は、人・団体・事業などの後援者・保護者・奨励者といった意味や、商店やホテルなどをひいきにしている客といった意味をもつ。特にフランスのホテルの主人や所有者を「patron」と表現することもある。可算名詞である。複数形は「patrons」である。「patron」が動詞化すると、「patronize」となる。「patron」の語源
原義は、「父のように保護を与える者」である。印欧語系で「養う」という意味をもつ「peh-」と「~する人」という意味をもつ「-ter」が合わさって出来た「phter」が、ラテン語で「父」という意味をもつ「pater」となり、ラテン語で「保護者」「雇い主」という意味をもつ「patronus」となった後に古期フランス語で「後援者」を意味する「patron」となり、最終的に英語でも「patron」という表現が用いられるようになった。「patron」の発音・読み方
「patron」の発音記号は「péɪtrən」である。カタカナで表記すると、「パトロン」となる。実際に発音する際は、「ペェィトゥラァン」「ペェィトゥラァンヌ」のようになる。「p」は、唇を閉じて息を止めた状態から勢いよく唇を破裂させるようにして「プッ」と発音する。「ei」は、二重母音であるため、「e」から「i」へスムーズに変化させて1つの音のように発音する。「e」の音ははっきりと強く、「i」の音はやや弱く発音するとよい。「t」は、舌先を前歯の裏の歯茎につけて息を止めた状態を作り、息を勢いよく破裂させるようにして「トゥ」と音を出す。「r」は、舌先を内側に巻き上げ、口内に触れないようにして「ル」のような音を出し、すぐに「ə」の音へ移行する。「ə」は、口をあまり開けず、弱く曖昧に「ア」と発音する「n」は、舌先を前歯の裏の歯茎につけ、息が口から出ないようにしながら鼻に抜けるように「ヌ」に近い「ン」の音を出す。
patron(ゲーム)とは
「 patron(ゲーム)」は、Overseer Gamesが処女作として制作したサバイバル街づくりシミュレーションゲームである。2021年8月10日に日本語対応のゲームとして正式リリースされた。中世ヨーロッパ調の村を舞台とし、住宅や農業などの環境を整備したり商業を発展させたりすることによって街を充実させるとともに、様々な自然災害や社会問題の解決を図ることが求められる。ソーシャル・ダイナミクスの要素が盛り込まれた構成となっている。patron(アーティスト支援サイト)とは
「Patreon」は、月額制のアーティスト支援プラットフォームである。アーティストが決定した一月あたりの支援金額に応じ、支援者は支援をすることによって特典を受けることができる。アーティストは、支援金額を設定して定期収入を得たり、アーティストページへの投稿を行ったり、Patreonスタッフの個別アドバイスや支援者へ提供する特典に関するサポートを受けたりすることができる。支援者は、好きなアーティストをサポートしたり、支援額に応じた特典を受けたり、専用のスマホアプリを利用したりすることができる。「patron」の使い方・例文
「patron」を「後援者」「支援者」「保護者」といった意味で用いる場合、「He is a powerful patron for me(彼は私にとって有力な後援者だ)」「I have to play a role as a patron of him(私は、彼の保護者としての役割を果たさなければならない)」「The patron understands genuine antiques(その後援者は本物の骨董品の良さを理解している)」などの表現となる。「patron」を「得意客」「ひいき客」といった意味で用いる場合、「She is a regular patron of this restaurant(彼はこのレストランの常連客だ)」「You have to search for a new patron(あなたは新しい顧客を求めなければならない)」「He's been a patron of this store for many years(あの人はこの店の長年の馴染み客である)」などの表現となる。
「patron god」で「氏神」という意味の表現として用いられたり、「patron saint」で「守り神」という意味の表現として用いられたりすることもある。
パトロン【(フランス)patron】
パトロン
パトロン(Patron)
パトロン
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/03/18 02:40 UTC 版)
パトロン(英: patron)は、後援者、支援者、賛助者、奨励者、または特権を持つ人や財政支援をする人をいう。現代でのパトロンは、必ずしも金銭援助に限るわけではなく、パトロンの人脈や影響力によって貢献するケースもある。後援、支援、賛助、奨励の行為そのものは、パトロネージュ(パトロネージ/パトロネッジ/パトロネジ/パトロナージュ)(英: patronage、仏: patronage)と呼ぶ。
- ^ 杉本欣久「妙法院門跡・真仁法親王と円山応挙の門人たち 円山応瑞・呉春・中村則苗・長沢芦雪・源琦」(『黒川古文化研究所紀要』16号、2017年)
- ^ Quoted in Michael Rosenthal, Constable, London: Thames and Hudson, 1987, p. 203.
- ^ F. W. Kent et al., eds.,Patronage, Art, and Society in Renaissance Italy, Oxford, Oxford University Press, 1987.
- ^ Cedric C. Brown, Patronage, Politics, and Literary traditions in England, 1558–1658, Detroit, Wayne State University Press, 1993.
- ^ [1], British Monarchy website, London.
- ^ “Pew: Impact Of Billionaire Funded Journalism Is Tiny”. 2014年5月9日閲覧。
- ^ Davis, Seth: The difference between patrons and fans, Golf.com, April 6 2007.、2014年5月8日閲覧。
- ^ McGee, Eugene (2010年10月4日). “'Rules' critics must look at bigger picture”. Irish Independent. 2014年5月8日閲覧。
- ^ “A new tradition in the GAA?”. Irish Times (2010年9月21日). 2014年5月8日閲覧。
- ^ "Boss Tweed", Gotham Gazette, New York, 4 July 2005.
- ^ “Shakman Decrees”. Encyclopedia of Chicago. 2014年5月9日閲覧。
- ^ “SHAKMAN v. DEMOCRATIC ORGANIZATION OF COOK CTY”. Leagle. 2014年5月9日閲覧。
- ^ Mordechai Zaken, Jewish Subjects and their Tribal Chieftains in Kurdistan: A Study in Survival, Leiden and Boston, Brill, 2007.
- ^ History of Civilizations of Central Asia, Volume 4, Part 2 By C. E. Bosworth, M.S.Asimov, page 300
パトロン
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/03 03:29 UTC 版)
知識慾を司る悪魔。カルロスのことを高く評価している一方、ボロを凡夫扱いしている。中立の十愚魔。
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パトロン
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/11 16:19 UTC 版)
マダムの父。いつもなぜか服のどこかに穴があいている。
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パトロン
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/19 05:11 UTC 版)
母国では美術・芸術に関する機関を支援しており、「ウェスト・オブ・イングランド王立芸術アカデミー」など複数のアートクラブのメンバーでもある。母校であるグロスターシャー大学から名誉博士号が贈られ、姓名「Crook」が新設した寮の名称にも採用されている。同州の大使やカレッジ名誉副会長、芸術著作権協会の管理職も務めている。これまでの高い業績を評価され、2011年には大英帝国勲章(MBE)を叙勲した。 【主な支援先】 ナショナル・スター大学 Linc(白血病&化学療法基金) チェルトナム・オープンスタジオ Art Shape(芸術機関) ディーン彫刻の森
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パトロン
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/27 05:16 UTC 版)
1400年代のブルゴーニュ公国周辺の北ヨーロッパでは商人や銀行家が力を持っていた。15世紀初頭から半ばにかけて国際貿易が盛んになったことによって国内の経済も大きく潤うこととなり、贅沢な美術品に対する需要も高まっていった。当時の北ヨーロッパで活動する芸術家たちの諸外国のパトロンとなったのは、バルト海沿岸のドイツやポーランド、イベリア半島諸国、イタリア、そしてイングランドとスコットランドの有力な一族たちだった。15世紀初頭の芸術家たちは公開市場に出向いて自身の作品を売却するとともに、作品制作に必要な額、パネル、顔料などを購入していた。その後、15世紀半ばごろから美術品の売買を専門とする画商が台頭し、美術品市場を大きく左右する力を持つようになっていった。小規模な絵画作品が注文によって制作されることはあまりなかった。そのような作品は画家が独自に描き、既成の作品として定期的に開催される公開即売会で売却されるか、画商が画家の工房を訪れて既成の絵画の中から気に入った作品を買い付けて、需要がありそうな大都市で売却された。何千点も制作された既成作品の主たる顧客は、公務員、聖職者、ギルド会員、医師、商人などの中流階級層だった。中流階級の室内装飾にはグルーサイズで制作された比較的安価な絵画が使用されることが多かったが、板に描かれた高価な宗教画を室内に飾ることは強い憧憬の対象でもあった。商人階級層は自身の信仰に応じた祈祷用の小さな板絵を注文することが多かった。既存の作品に対して様々な修正依頼がかけられ、注文主の肖像画が描きいれられることもあった。もっとも多くみられるのは、既存の作品に注文主の紋章を描き足しただけのものである。ファン・デル・ウェイデンの『聖母を描く聖ルカ』は、描かれた紋章が異なる数点のバージョンが現存している。 歴代のブルゴーニュ公は自身の趣味趣向のためには金を惜しまなかった。フィリップ3世も、大叔父にあたるベリー公ジャン1世らと同じく、芸術を強く庇護して多くの美術品を制作させた。当時のブルゴーニュ宮廷は芸術の発信地として諸国に大きな影響力を持っており、高価な装飾写本、金で縁取りされたタペストリー、真珠やルビーで装飾されたグラスなどの豪華な贅沢品が好まれていた。このようなブルゴーニュ公宮の贅沢な美術品への嗜好は一般市民の間にも広まっていくこととなった。1440年代から1450年代にかけてのブルッヘやヘントでは、一般市民からの依頼で多くの美術品が制作されている。ネーデルラントの画家たちが描いた板絵は、制作過程で希少な素材や高価な貴金属が使用されていないにも関わらず非常な高額で取引されていた。これは絵画作品それ自体が西洋美術における最高峰だと高く評価されていたためである。1425年の記録に「高い技術で優れた作品を制作する」画家を雇い入れたというフィリップ3世の言葉が残されている。ヤン・ファン・エイクはフィリップ3世に仕えていた時期に『受胎告知』を描き、ファン・デル・ウェイデンは1440年代にフィリップ3世の肖像画家に選ばれた。 ブルゴーニュ宮廷には多くの宮廷人、役人が仕えており、その中には自らの富や権力を誇示する目的で画家に作品制作を依頼する者もいた。諸都市の議会などの公的団体も同様の目的で著名な画家たちに作品制作を依頼している。政体からの依頼で描かれた作品として、ボウツの『皇帝オットー3世の裁き』やファン・デル・ウェイデンの『トラヤヌス帝の裁き (en:The Justice of Trajan and Herkinbald)』、ダフィトの『カンビュセス王の裁き』などがある。公的団体からの絵画制作依頼はさほど多くなく、収入面でも画家にとって実入りの多いものではなかったが、市庁舎などに人目に触れる場所に飾られたために、描いた画家の名声を高めることに貢献した。たとえば、メムリンクがブルッヘの聖ヨハネ病院の依頼で描いた『聖ヨハネの祭壇画 (en:St John Altarpiece (Memling))』は、メムリンクに多くの絵画制作依頼をもたらしている。 諸国のパトロンの存在と国際貿易の発展が、ネーデルラントの画家たちに工房を経営し、徒弟や助手を雇い入れることが可能な金銭的余裕を与えた。第一級の画家だったペトルス・クリストゥスやハンス・メムリンクのパトロンは工房を経営していた都市の有力者だけだったが、その名声はブルッヘ在住の諸外国人のなかでも鳴り響いていた。さらに、華麗で豪奢なブルゴーニュ公宮に対抗しようと、その作品だけでなくブルッヘで活動している画家自身を王宮に迎え入れようとする諸外国の王侯貴族も少なくなかった。たとえばウルビーノ公フェデリーコ・ダ・モンテフェルトロは1473年ごろにヨース・ファン・ワッセンホフを、300点にのぼる絵画コレクションを所蔵していたカスティーリャ女王イサベル1世はミケル・シトウとフアン・デ・フランデスをそれぞれ自らの宮廷に迎え入れている。
※この「パトロン」の解説は、「初期フランドル派」の解説の一部です。
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