ゴシック様式
ゴシック様式
ゴシック様式
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/22 21:03 UTC 版)
「ヌエストラ・セニョーラ・デル・ピラール聖堂」の記事における「ゴシック様式」の解説
1434年の火事でロマネスク様式の教会は損傷し、ムデハル=ゴシック様式で再建が始まった。ゴシック様式の教会は15世紀に建てられた。今では聖歌隊席とダミアン・フォルメントが作った石膏の祭壇衝立を含む数カ所だけが無傷のままあるいは修復されて残っている。
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ゴシック様式
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/09/24 17:42 UTC 版)
ディニス1世は、13世紀後半にゴシック様式による回廊建設を命じた。これは1755年のリスボン地震で損傷した。大聖堂入り口近くに、14世紀初頭の豪商バルトロメウ・ジョアネスが自身の葬式の礼拝堂を建てた。彼の横たわる像が目印の墓は今も内側にある。少々後に、アフォンソ4世が、回廊に囲まれたゴシック様式の主礼拝堂によってとってかわられたロマネスク様式のアプスを持った。王とその家族は主礼拝堂に埋葬されたが、彼らの墓と礼拝堂は1755年の地震で破壊された。その回廊が今も残り、ポルトガル・ゴシック様式の重要な仕事を偲ばせる。円形の側廊は主礼拝堂とつながらない。側廊2階の部屋は助材で補強された丸天井に覆われている。 回廊には14世紀からの目立つゴシック様式の墓がある。その一つはアフォンソ4世の侍従ロポ・フェルナンデス・パシェコのものである。彼の横たわる像は剣を持ち、犬により守られている。彼の妻マリア・ヴィリャロボスは中世の本『リヴロ・ダス・ホラス』を読む姿の像である。3つめの墓は特定されていない王家の姫とされている。全ての墓が紋章で飾られている。 15世紀の後半25年間に、ヌーノ・ゴンサルヴェス作の『サン・ヴィセンテの祭壇画』が回廊にある聖ヴィセンテ礼拝堂内で描かれたと信じられている。現在祭壇画は、リスボン古美術館(Museu Nacional de Arte Antiga)の所蔵である。
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